第23話
王宮に連れ戻されるなり、アルベルト王子は息巻いていた。
「もう二度と、そなたが怪しい奴らに狙われることのないよう、この私が万全を期そう! 王宮随一のシェフたちを総動員し、盛大な宴を催してやる!」
拳を握りしめ、鼻息荒く語る王子の背後では、すでに大勢の料理人たちが慌ただしく準備に走り回っている様子が窺えた。
「あの、アルベルト様」
メルティは、じりじりと後ずさりながら口を開いた。
「その、過保護すぎます……」
「な、なにを言う! そなたの身の安全を思えばこそ――」
王子が熱弁を振るっている隙に、メルティはすっと物陰に身を滑らせる。もとより、いかに絢爛豪華な宴であろうと、四方を騎士に固められた息苦しい空間よりも、気ままにふらりと立ち寄れる街の酒場の方が、ずっと性に合っていた。
「……あれ、メルティ嬢?」
王子が振り返った時には、すでに小柄な少女の姿は、どこにも見当たらなかった。
「――ま、また逃げられた……!?」
王宮の廊下に、王子の悲痛な声が虚しく響き渡った。
*
「んー、久しぶり」
王宮を後にしたメルティは、久方ぶりに眺める王都の街並みに、のんびりと目を細めていた。
賑やかな大通りの喧騒、露店から漂う焼き菓子の香り、行き交う人々の活気。豪華絢爛な宮廷料理も確かに素晴らしかったが、やはり気取らない街の空気の方が、なんとなく心が緩んでいく気がした。
「やっぱり、こういう庶民的な場所が落ち着きます」
しばらく歩いた先、路地裏に見つけたのは、活気に満ちた大衆酒場だった。開け放たれた扉から、賑やかな話し声と、食欲をそそる匂いが漏れ出している。
メルティは迷わずその暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声に迎えられ、カウンター席に腰を下ろす。壁に貼られたメニューを眺め、目に留まったのは、この店の名物らしい一品だった。
「牛すじの赤ワイン味噌煮込みと、エールビールをください!」
「あいよ!」
*
ほどなくして、湯気を立てる土鍋がカウンターに置かれた。とろりと濃厚な茶色いソースの中に、ほろほろに煮込まれた牛すじが、ごろごろと沈んでいる。ふわりと立ち昇る匂いは、赤ワインのコクと香ばしい味噌が混ざり合った、食欲をそそるものだった。
同時に、きんきんに冷えたエールビールが、白い泡をたっぷりと纏った状態でジョッキに注がれる。
「――いただきます」
まずはれんげで、牛すじをひとくち。
「――んんんんっ!!」
れんげですくっただけで崩れそうなほど柔らかかった牛すじは、口に入れた瞬間、とろりとほどけていく。長時間煮込まれた肉に赤ワインと味噌の味がしっかり染み込み、濃厚なコクが舌の上に広がった。
「トロトロ……! こんなに柔らかいの、久しぶりです……!」
夢中で牛すじを頬張り、続けてエールビールをぐいっとひとくち。
「――んくっ、んくっ……!」
きりりとした苦味と喉ごしが、煮込みの濃い味わいをすっと軽くしていく。
「プハァーッ!」
思わず声が漏れた。
「んふぅ~……! やっぱりこういうお酒とご飯が、一番落ち着きます……!」
王宮の贅を尽くした料理も、無論素晴らしかった。だが、飾らない一皿と、気取らない酒場で飲むエールには、また別の良さがある。
濃厚な煮込みをひとくち、冷たいビールをひとくち。その繰り返しに、メルティの頬はいつしか幸せそうに緩みきっていた。
「やっぱり、王都のご飯も美味しいですね」
満足げに息を吐き、メルティはビールのお代わりを頼む。店内は変わらず活気に満ち、あちこちのテーブルから、笑い声や乾杯の声が絶えず響いていた。
――と、その時。
隣のテーブルに座っていた、屈強な冒険者風の男たちの会話が、ふと耳に届いた。
「……そういやよ、聞いたか? 北の古代遺跡の周辺で、最近妙な連中がコソコソ動いてるって話」
「ああ、聞いた聞いた。夜な夜な、明かりも点けずにうろついてる奴らがいるとかなんとか」
「遺跡荒らしにしちゃあ、やけに手慣れてる連中らしいぜ。ギルドでも、ちょっとした噂になってる」
「ふぅん……あそこ、確か大昔の封印がどうとか、物騒な伝承もあったよな」
「さあな。ま、俺たちにゃ関係ねぇ話だ」
男たちは軽い調子で話を切り上げ、また別の話題へと移っていく。
メルティは、その会話をなんとなく聞くともなしに聞いていたが――ふと、煮込みを口に運ぶ手が止まった。
「……北の、古代遺跡」
口にした瞬間、胸の奥がほんのわずかにざわついた。
理由は分からない。
ただ――「封印」という言葉だけが、妙に耳に残っている。
「……?」
メルティは小さく首を傾げた。
けれど、考えても理由は思い浮かばない。やがて目の前の煮込みから立ち昇る湯気に気づくと、メルティは再びれんげを手に取った。
今はまだ、目の前のご馳走を冷ましてしまう方がもったいない。
「いただきます」
そう小さく呟いて、もう一口。
いつも通りの美味しさに、メルティの表情はすぐに緩んだ。
それでも。
先ほど耳にした「封印」という言葉だけは、賑やかな王都の夜の片隅で、いつまでも胸の奥に残り続けていた。




