第21話
リセルが厨房の奥からごそごそと支度を始めるのを、メルティはわくわくとした様子で見守っていた。
「特別に仕込んだ酒に合わせるなら、料理もそれなりのものを出さないとね」
そう呟きながら、リセルは手際よく鉄鍋を火にかける。ほどなくして、じゅうっと小気味よい音とともに、香ばしいバターの匂いが店内に広がり始めた。
「――お待たせ」
運ばれてきたのは、分厚く切り分けられた、艶やかな飴色のキノコだった。表面はこんがりと焼き色がつき、たっぷりの香草バターが絡みついている。まるでステーキのような、堂々とした佇まいだった。
「大樹の芳醇キノコステーキだ。この森でしか採れない特別な逸品でね」
そして、リセルが取り出したのは、あの深い緑色をした瓶。栓を開けた瞬間、爽やかな柑橘を思わせる香りが、ふわりと立ち昇った。
「んー、いい匂い……」
メルティはさっそくフォークとナイフを手に取ると、キノコステーキに切り込む。ほろりと崩れる感触の後、キノコとは思えないほど濃密な汁が、断面からじゅわりと溢れ出した。
一口。
「――んんんんっ!!」
思わず声が漏れる。
「お肉みたい……! ううん、それ以上に濃厚な旨味です……!」
噛むたびに深い味わいが広がり、香草バターの芳醇な香りに、ほんのりとしたスパイスの刺激が重なる。歯応えもしっかりとしていて、まるで極上の肉料理を食べているかのような満足感だった。
「これ、キノコなのに……こんなに贅沢な味がするなんて……!」
メルティが目を輝かせながら味わう様子に、リセルはどこか誇らしげに口元を緩めた。
「うちの森は、いい土壌でね。年月をかけて、じっくり養分を蓄えるんだよ」
続けて、キリッと冷えた緑色の果実酒をひとくち。
「――んっ!」
柑橘を思わせる爽やかな香りが口いっぱいに広がり、舌に残っていた香草バターのコクを、すっと軽くしていく。
「んふぅ~……! 森の恵み、最高です……!」
キノコをひとくち、酒をひとくち。メルティはうっとりと目を細めながら、フォークとグラスを夢中で往復させた。
そんな様子を眺めながら、リセルも自分のグラスに酒を注ぎ、ゆったりと味わい始める。カウンターを挟んで交わされる会話が、いつしか穏やかで気安いものへと変わっていった。
「あんたみたいに、料理を心から楽しんで食う奴、久しぶりに見たよ」
「だって、本当に美味しいので」
「……ふん。素直な奴だね」
リセルは満更でもなさそうに、グラスを揺らす。
しばらく酒を酌み交わすうちに、彼女の口調は、初めて会った時よりもずっと柔らかくなっていた。
メルティも、ふと気づく。
一人で静かに味わうお酒も好きだ。けれど、こうして同じ酒を飲みながら、美味しいと話す時間も悪くない。
「……ふふ」
「なんだい、急に」
「いえ。楽しいな、と思って」
そう答えると、リセルは一瞬だけ目を丸くし、それから小さく笑った。
「そうかい」
すっかり緩んだ空気の中、メルティはふと、思い出したように口を開いた。
「あの、リセルさん」
「ん? なんだい」
「実はわたし、数千年に一度仕込まれるっていう『月光酒』っていうお酒を探して、この街に来たんです」
「――!!」
リセルは目を見開き、手にしていたグラスを危うく落としかけた。
「なに……!? あんた、月光酒を探してるのかい……!?」
「はい。旅先で噂を聞いて、どうしても飲んでみたくて」
驚きに固まっていたリセルだったが、すぐに、にやりと口の端を持ち上げた。
「――ふん、あんた運がいいね」
「え?」
「あの酒は、樹海の最奥にある巨木の花が開いた時だけ仕込まれるんだが……」
リセルは声を落とし、どこか楽しげに続けた。
「ちょうど今夜、その花が開くって話なんだよ」
「――!!!!」
メルティの目が、これまでにないほど大きく見開かれる。
「今夜……!?」
「ああ。数千年ぶりの大きな開花になるだろうって、森の長老たちの間で噂になっててね」
メルティはがたりと椅子から身を乗り出した。
「見に行きたいです……!」
その勢いに、リセルは思わず苦笑した。
「まったく、忙しない奴だね」
それから、リセルは自分のグラスを、くいっと一気に呷った。
「――よし、決めた」
空になったグラスを、カウンターにことりと置く。
「あたしも、あの花が咲くところは、まだ一度も見たことがないんだ。せっかくだ、あんたと一緒に見に行ってやるよ!」
「本当ですか!」
「ああ。それに、もし本当に月光酒が仕込まれるなら、あたしだって一杯くらい味見してみたいしね」
リセルの言葉に、メルティは満面の笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします!」
二つのグラスが、再びこつんと触れ合う。
窓の外では、夕暮れの光が徐々に薄れ、樹海全体が静かに夜の帳へと包まれ始めていた。
数千年に一度だけ咲くという、幻の花――そして、そこから生まれる伝説の月光酒。
リセルと一緒に出かける、初めての夜の冒険。
メルティの胸は、まだ見ぬ光景と酒への期待でいっぱいに膨らんでいた。




