第20話
暗殺組織のアジトを後にしたメルティは、腹ごなしがてら樹海の奥へと歩を進め、やがて――目的地である「樹海都市」に、無事たどり着いた。
「――わぁ」
目の前に広がる光景に、メルティは思わず足を止めた。
見上げるほど巨大な樹々が、天を突くようにそびえ立っている。その太い幹や枝の上には、木そのものと一体化するようにして、無数の家々が寄り添うように建てられていた。木々の間を渡された吊り橋や、蔓を模した階段が、街全体を複雑に繋いでいる。木漏れ日がきらきらと降り注ぎ、澄んだ空気の中に、微かな花の香りと、瑞々しい緑の匂いが漂っていた。
「――すごい……」
これまで巡ってきたどの街とも違う、幻想的で静謐な光景に、メルティの胸が高鳴っていく。
だが、そんな旅の高揚感とは裏腹に、街を歩くメルティに向けられる視線は、決して温かいものではなかった。
すらりとした長い耳を持つ、美しい住人たち――エルフたちが、遠巻きに、どこか値踏みするような冷たい視線を投げかけてくる。
「……人間か」
「珍しいね。この森の奥まで来るとは」
ひそひそと囁かれる声には、明確な警戒と、排他的な色が滲んでいた。しかし、メルティはそんな空気などまるで意に介さず、きょろきょろと辺りを見回しながら、目的の場所を探していく。
「んー、お酒の匂い……こっち、かな」
鼻をひくつかせながら辿り着いたのは、大樹の根元にひっそりと佇む、古びた小さな酒場だった。苔むした木の扉を開けると、ふわりと、森の木の実を思わせる甘い香りが鼻先をくすぐる。
「――いらっしゃい」
カウンターの奥から、抑揚のない声が返ってきた。エプロン姿で酒瓶を磨いていたのは、切れ長の瞳が印象的な、エルフの女性だった。すっと通った鼻筋と、どこか気の強そうな眉が、独特の存在感を放っている。
彼女はメルティの姿を一瞥すると、あからさまに眉を寄せた。
「――人間はお断りだよ。他を当たりな」
「あの」
メルティは怯むことなく、しかし丁寧にカウンターへと歩み寄る。
「一口だけでいいので、お酒をいただけませんか」
「……」
リセルはしばし値踏みするようにメルティを見つめていたが、やがて面倒くさそうにため息をついた。追い払うにはこれが早いと判断したのだろう、棚の隅から適当な瓶を取り出すと、雑にグラスへと注いだ。
「ほら。これでも飲んで、さっさと帰りな」
差し出されたのは、これといって特徴もなさそうな、素っ気ないラベルの果実酒だった。
メルティは「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げると、まずグラスに鼻を近づけ、静かに香りを確かめる。それから、大切そうに、ひとくち含んだ。
「――」
口の中で、じっくりと味わうように、ゆっくりと目を閉じる。
「銀月苺の樹皮熟成ですね」
「……は?」
その一言に、リセルの手が、思わず止まった。
「香りはとても素晴らしいです。でも……仕込みの時期が、去年より少し早いですか? 渋みの奥に感じる若さが、そう教えてくれます」
「――!!」
リセルは大きく目を見開き、グラス磨きの手を完全に止めた。
「お、おい……。あんた、まさかそれを、たった一口で見抜いたのかい……!?」
「はい。すごく美味しいお酒です。丁寧に造られているのが分かります」
メルティは決して自慢げにではなく、ただ純粋に感想を述べただけといった様子で、もうひとくち味わっていた。
リセルは、しばし言葉を失ったまま、目の前の小柄な少女をまじまじと見つめた。適当にあしらうつもりで出した安酒の、正確な銘柄どころか、仕込みの時期のずれまで言い当てられるとは、思ってもみなかったのだろう。
「……へぇ」
やがて、その口元に、これまでとは違う、面白がるような笑みが浮かぶ。
「ただの人間じゃないみたいじゃないか」
カウンターに肘をつき、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「名前は?」
「メルティです」
「あたしはリセルだ。この店をやってる」
リセルと名乗ったエルフは、腕を組みながら、改めてメルティを見つめた。
「あんた、そこまで酒の味が分かるってことは……相当な酒好きだね」
「はい。お酒とご飯のことだけは、誰にも負けたくないので」
あっさりと答えるメルティに、リセルは思わず、小さく噴き出した。
「面白い奴だ」
棚の奥から、これまでとは違う、古びたラベルの瓶を取り出す。
「これは、この店でしか出さない特別な一本さ。あんたほどの舌なら、きっと分かるはずだよ」
とくとくと注がれた、深い緑がかった液体を、リセルは満足げに見つめた。
「本当の『樹海の味』ってやつを、教えてやるよ」
その言葉に、メルティの目が、期待に満ちてきらきらと輝いた。
「よろしくお願いします!」
その返事に、リセルは思わず、口元をふっと緩めた。
これまで誰一人として認めることのなかった、この頑固な森の料理人が、初めて人間に対して見せた、小さな心の変化だった。
カウンターに置かれた二つのグラスが、木漏れ日を受けて、静かに輝いていた。




