第19話
「――ふぁ~……よく寝たぁ」
メルティが目を覚ましたのは、見知らぬ豪奢な一室だった。天蓋付きの寝台に横たえられ、窓の外にはうっそうと茂る樹海が広がっている。二日酔いの気配など欠片もない、すっきりとした目覚めだった。
起き上がろうとしたところで、両手足に巻きつけられた、鈍く光る鎖の存在に気づく。刻まれた紋様から察するに、それなりの魔力封じの効果を持つ、特注の魔法拘束具のようだった。
「あ、これ邪魔ですね」
メルティは特に慌てる様子もなく、寝ぼけ眼のまま指先で鎖を摘まむと、まるで糸くずでも千切るかのように――プチッ、プチッ、と軽やかに引きちぎっていった。
*
メルティが起きた気配を察したのか、ほどなくして部屋の扉が勢いよく開いた。
「ククク……ようやく目覚めたか、怪物め!」
部屋へと踏み込んできたのは、豪華な黒衣を纏った、いかにも怪しげな中年の男だった。周囲には、屈強な部下たちがずらりと控えている。
「我々、闇に生きる暗殺組織の恐ろしさを、これから存分に――」
ボスは芝居がかった仕草で両手を広げ、朗々と演説を始めた。だが、その言葉はメルティの耳をあっさりとすり抜けていった。
「――」
メルティの視線は、ボスの背後――屋敷の奥へと向けられていた。ぴくり、と小さな鼻が動く。
(お肉の匂い……それに、すごく良いお酒の香りも……)
「聞いているのか! 我らはお前を無力化し、依頼主より莫大な報酬を得るために――」
「――失礼します」
メルティはボスの言葉を遮ると、するりと立ち上がった。
「な、なんだ、貴様……」
「あちらから、いい匂いがするので」
目を輝かせながら、メルティは扉に向かってためらいなく手を伸ばす。だが、鍵のかかったその扉は、彼女にとっては薄い板切れも同然だった。
ズドオオオンッ!!!
扉ごと、その先の壁までもが、まとめて粉々に吹き飛んだ。
「なっ、なにをする!? そこは我らの――」
ボスの制止も間に合わないまま、メルティは瓦礫の向こうに広がる大広間へと、迷わず足を踏み入れていった。
*
大広間の中央、長い食卓の上には、これから始まるはずだった「勝利の宴」のための料理が、これでもかと並べられていた。
艶やかな焼き色をまとった、王室級の極厚ローストビーフ。その傍らには、百年もの熟成を経たという格式高いラベルの魔導赤ワインが、これ見よがしに鎮座している。
「――!!!」
メルティの瞳が、まばゆいばかりに輝いた。
「連れてきてくれて、ありがとうございます……!」
感謝の言葉とともに、迷わずナイフを手に取り、極厚のローストビーフに切り込む。柔らかく、しっとりとした感触が刃先に伝わってきた。
一口。
「――んんんんっ!!」
噛んだ瞬間、濃厚な肉汁と上質な脂の甘みが口いっぱいに広がる。厚切りなのに驚くほど柔らかく、噛むほどに肉の旨味が深まっていった。
「柔らかい……! 肉汁がすごい……!」
続けて、百年物の赤ワインをグラスに注ぎ、ひとくち。
「――んんぅ~っ……!」
熟した果実を思わせる豊かな香りと、年月を重ねた丸みのある味わい。肉の脂を包み込みながら、長い余韻を残していく。
「これ、お肉とすごく合います……!」
「な、なにをやっている、あの女は!?」
異変に気づいた部下たちが、我先にと武器を構え、メルティへと殺到する。
「構うな、今のうちにやってしまえ!」
しかし、メルティは片手にワイングラスを持ったまま、もう片方の手で、向かってくる部下たちを一人、また一人と軽く弾き飛ばしていく。
パン、パン、と小気味よい音が響くたびに、屈強な男たちがまるで木の葉のように吹き飛び、次々と床へ沈んでいった。
「がはっ……!」
「う、動けねぇ……」
あっという間に、大広間は伸びた部下たちで埋め尽くされていく。それでいて、メルティのグラスからは一滴の酒もこぼれていなかった。
その一部始終を、部屋の入り口で立ち尽くしたまま見ていたボスは、ぶるぶると震え始めた。
「ば、化け物……! こんな……こんなの、勝てるわけが……」
その言葉に、メルティの手がほんの一瞬だけ止まった。
けれど、何も言わない。
すぐに残っていたワインをひとくち飲むと、最後のローストビーフまで丁寧に味わい尽くした。
「――ごちそうさまでした!」
あまりの絶望に白目を剥き、その場に崩れ落ちたボスを尻目に、メルティは伸びきった男たちの間を軽やかに通り抜ける。
屋敷を出ていくその足取りは、まるで高級店で食事を終えた帰りのように、満ち足りたものだった。
*
――一方その頃、王都。
執務室に飛び込んできた急報に、アルベルト王子は勢いよく椅子から立ち上がった。
「な、なんだと!? メルティ嬢が、樹海の宿場町で何者かに拉致されただと……!?」
報告書を握りしめる手が、わなわなと震え出す。
「メルティ嬢に、なんということを……!」
いつもの芝居がかった調子はなかった。
握り締めた拳が、執務机へ叩きつけられる。
「すぐに近衛騎士団を招集しろ! 私自ら出撃する! この王都の総力を挙げてでも、あの卑劣な組織を叩き潰してくれる!」
部下たちが慌てて出撃の準備に走り回る中、王子は自分専用の豪華な鎧に袖を通しながら、燃えるような瞳で樹海の方角を睨みつけていた。
「待っていろ、メルティ嬢! 今、この私が救い出しに――」
その頃、当のメルティは腹ごなしに樹海の宿場町を歩きながら、幻のエルフ木の実酒を飲ませてくれる店を、のんびりと探している最中だったのだが――王子がそれを知る由もなかった。




