第16話
翌朝、メルティは可愛らしい日傘を差し、鼻歌交じりに砂漠の奥へと向かっていた。
目指すは、街の外れに口を開ける「大砂海ダンジョン」。灼熱の太陽が容赦なく照りつける中、ダンジョンの入り口付近では、命からがら逃げ帰ってきた冒険者たちが、砂まみれになりながらへたり込んでいた。
「くそっ……! 奥に、とんでもない化け物がいやがる……!」
「あんなの相手に、勝てるわけがねぇ……!」
傷だらけの男たちの横を、メルティは日傘を軽やかに揺らしながら、まるで散歩でもするかのように通り過ぎていく。
「行ってきます」
誰にともなくそう呟くと、逃げ惑う冒険者たちとは正反対の方向――ダンジョンの最奥へと、迷いなく足を進めていった。
*
砂の丘を幾つも越えた先――突如、地面が大きく震え、爆発するように砂煙が吹き上がった。
「――!!」
砂塵の中から姿を現したのは、体長十五メートルはあろうかという、漆黒の甲殻を持つ巨大なサソリだった。鋭く尖った二本の大鋏が、太陽の光を受けてぎらりと光る。振り上げられた毒針つきの尾は、それだけで人を容易く貫くほどの威圧感を放っていた。
通称、砂海の魔王――巨大砂サソリ。
その恐ろしい姿を目の当たりにしても、メルティの瞳には、恐怖の色など欠片も浮かんでいなかった。
「――大きい」
むしろ、感嘆にも似た響きだった。
じっくりと観察するように、大鋏の付け根から、艶やかな尾の先までを見つめる。
「あの大きなハサミ、絶対に身がぎっしり詰まってます……。それに尻尾のところ、脂も乗ってそう……」
メルティの目に映るその魔物は、もはや脅威の対象ではなく、極上の食材以外の何物でもなかった。
「ギィイイイイイッ!!」
サソリが甲高い咆哮を上げ、猛スピードで突進してくる。巨大な鋏が、メルティを挟み潰さんとばかりに勢いよく振り下ろされた。
メルティは日傘をくるりと閉じると、地を蹴り、その一撃を紙一重で回避する。
「肉を傷つけないように、慎重に……」
呟きながら、指先に極小の魔力刃を纏わせる。狙いは、繊細な一点――甲殻の継ぎ目。それも、肉質を損なわない急所のみ。
振るわれた尾の一撃をひらりとかわし、懐に潜り込んだ瞬間――メルティの指先が、閃光のように走った。
「――終わり、です」
ドンッ、という小さな音とともに、巨大な体躯がぐらりと傾ぎ、どすん、と砂の上に崩れ落ちた。
周辺一帯の砂が、静かに舞い上がっては、風に流されて消えていく。
あれほどまでに冒険者たちを恐怖させていた砂海の魔王は、外殻にはほとんど傷らしい傷もなく、身の詰まった部分を一切損なわないまま、完璧な形で仕留められていた。
「――よし!」
メルティは満足げに袖をまくり上げると、手際よく解体を始める。大きな鋏を丁寧に切り離し、艶やかな尾の身を慎重に取り出していく様子は、まるで熟練の料理人のようだった。
「わぁ……! すごい、ぷりぷりです……!」
半透明の身は、光を受けてつやつやと輝いている。想像していた以上の質感に、思わず頬が緩んだ。
――と、その時。
突如、頭上の空間が、幾何学模様の光を放ちながら大きく歪んだ。
「――なっ!?」
驚いて見上げた先、光の渦の中から、ふわりと小さな木箱が降ってきた。丁寧な魔力の緩衝がかけられたそれは、砂の上にことりと軽やかに着地する。
箱には、王家の紋章と、見覚えのある達筆な文字が刻まれた手紙が添えられていた。
『メルティ嬢! 砂漠の暑さに参っておらぬか!? そなたが巨大砂サソリを狩りに砂漠の奥へ向かったと聞き、いてもたってもいられず、この私の愛の保冷箱を、王家特注の超高速転送魔法陣にて送らせてもらった! これでその肉、冷やしながら持ち帰るがよい!』
「……」
メルティはしばし手紙を見つめた後、恐る恐る木箱を開けてみる。
中には、冷気を纏う魔導保冷装置が組み込まれた、見るからに高級な保冷箱が収められていた。しかもご丁寧に、氷結の魔石まで大量に添えられている。
「――!!!」
メルティの表情が、一気に輝いた。
「これ……! ちょうど欲しかったやつです……!」
灼熱の砂漠で新鮮な魔物肉を持ち帰るためには、冷却手段が不可欠だった。その、まさに痒いところに手が届く絶妙なタイミングでの差し入れに、メルティは思わず両手を合わせる。
「アルベルト様、本当に気の利く人です……!」
その感謝の対象が、彼の愛情ではなく完璧なタイミングの装備支援であることは、遠く王都で執務に追われているであろう当の本人には、当然知る由もなかった。
メルティは大喜びで、切り分けた大鋏の身と尾の肉を、丁寧に保冷箱の中へと詰めていく。ひんやりとした冷気に包まれた極上の食材を見つめ、ふふっと満足げに笑みをこぼした。
「よし、これを街の料理人さんに持っていきましょう!」
保冷箱を大切そうに両手で抱えたメルティは、日傘を再び開くと、砂海の魔王を討伐した余韻など微塵も感じさせない、軽やかな足取りでオアシス都市へと戻っていくのだった。
その足取りは、これから始まる極上の晩餐を心待ちにするように、いつもより少し弾んでいた。




