第11話
馬車が停まったのは、王宮の敷地内、緑豊かな庭園の奥にひっそりと佇む、一軒の料亭だった。
白亜の壁に、瀟洒な曲線を描く屋根。入り口には彫刻の施された柱が並び、庭園には色とりどりの花々と、静かな噴水の水音が響いている。案内されたのは、大きな窓から手入れの行き届いた薔薇園を一望できる完全個室だった。
「わぁ……」
メルティは物珍しそうに部屋を見回す。ふかふかの絨毯、優雅な調度品、そして中央に置かれた重厚な円卓。庶民の酒場とは、何もかもが違っていた。
アルベルト王子は、そんなメルティの正面にどっかりと腰を下ろすと、優雅な仕草でワイングラスを傾けた。
「どうだ、メルティ嬢。この私に選ばれし者しか入れぬ、至高の空間は」
金髪をかき上げ、これ見よがしに微笑む。
「私の妃となれば、毎日これが味わえるのだぞ? 王都中の貴族が羨む栄華、私の隣に立つ栄誉――」
「わぁ、庭園、綺麗ですね」
メルティは窓の外の薔薇園を眺めながら、純粋な感嘆の声を漏らしている。アルベルトの眉がぴくりと動いた。
「そ、そうであろう! この庭園も、私が特別に――」
その時、静かに扉が開き、給仕たちが恭しく料理を運び入れてきた。
「本日のメインでございます。王室厳選、最高級フィレステーキのトリュフソース添えでございます」
白磁の皿の中央には、艶やかな焼き色をまとった厚切りのステーキ。香ばしく焼き上げられた表面に、濃厚なトリュフソースがかけられている。皿が置かれただけで、深みのある香りがふわりと広がった。
「うわぁ……いい匂い……!」
続いて、古めかしいラベルの貼られたワインボトルが開栓される。深い紅色のワインが、グラスへ静かに注がれていった。
「これは王室蔵出しの特級ヴィンテージだ。数十年もの間、地下深くで眠っていた逸品でな」
アルベルトが得意げに解説する間にも、メルティはすでにナイフとフォークを構えている。
「――いただきます」
ナイフを入れると、ほとんど力を加えることなく刃が沈んだ。一切れを口へ運ぶ。
「――んんっ……!」
柔らかな肉が、舌の上でほろりとほどける。噛むほどに広がる肉の甘み。そこへトリュフの複雑な香りが重なり、後味に深い余韻を残した。
「お肉、すごく柔らかい……! トリュフもいい香り……!」
続けて、ワイングラスを傾ける。
「……っ」
熟した果実を思わせる深い味わいと、角の取れた滑らかな渋み。ステーキの余韻が残る口にワインを含むと、肉の脂がすっと引き締まり、代わりにトリュフの香りがもう一度鮮やかに浮かび上がった。
メルティはもう一切れ肉を頬張り、再びワインをひとくち。
「んんぅ……幸せ……」
頬をほんのり赤く染め、心の底から嬉しそうに目を細める。
その顔を見た瞬間、アルベルトは息を呑んだ。
「……」
ほんの一瞬だけ、芝居がかった笑みが消える。けれど次の瞬間には、いつもの自信に満ちた表情へと戻っていた。
「――っ! そ、そうか!」
拳をぐっと握りしめる。
「ついに私の愛に酔いしれ、胸をときめかせているのだな、メルティ嬢! 無理もない! 王宮随一の美食と、この私からの深い愛情に触れれば、どんな女とて心を開かぬはずがない!」
両手を優雅に広げ、高らかに言い放つアルベルト。しかし、そんな熱弁はメルティの耳にはほとんど届いていなかった。
ステーキとワインの余韻を十分に味わったあと、メルティは綺麗になった皿を、すっと差し出す。
「あの」
「な、なんだ、メルティ嬢? ようやく私に、その愛らしい瞳を――」
「これ、お代わりってできますか?」
「……は?」
アルベルトが固まった。
「あと、ワインも」
「……」
周囲に控えていた給仕たちも、思わず顔を見合わせる。
しかし、ここで引き下がるほど、アルベルト王子の見栄とプライドは安くなかった。
「ふ、ふふ……! よかろう! いくらでも食うが良い!」
わずかに引き攣った笑みを浮かべながらも、優雅な仕草で給仕へ合図を送る。
「私の元では、そなたの食欲すら愛おしいものよ! さあ、次のステーキを持ってこい!」
「ありがとうございます」
メルティは満面の笑みで頭を下げると、次の皿が運ばれてくるのを楽しそうに待ち構えた。
窓の外では、薔薇の花びらが風に揺れている。
一人は、自らのもてなしに手応えを感じ、もう一人はただひたすらに、次なるご馳走へ胸を躍らせていた。
そんな噛み合わない二人を包むように、王宮の贅沢な午後はゆっくりと過ぎていくのだった。




