第10話
翌朝、宿の一室で財布の中身を確認したメルティは、小さくため息をついた。
「……王都の物価、高めですね」
昨夜、ワインとローストビーフのお代わりを重ねに重ねた結果、財布の小銭がずいぶんと寂しくなっていた。
もちろん、元SSSランク冒険者として稼いだ莫大な貯蓄は、冒険者ギルドの預かり金として、今もたっぷり残っている。だが、旅先での飲食代をわざわざそこから切り崩すのは、メルティの主義に反していた。
「よし。日銭、稼ぎましょう」
思い立ったが吉日とばかりに、メルティは身支度を整え、王都の冒険者ギルドへと足を向けた。
*
王都のギルドは、これまで巡ってきたどの街よりも規模が大きく、掲示板にも膨大な数の依頼書がびっしりと貼り出されていた。メルティは腕を組み、その一枚一枚を吟味するように見つめていく。
「んー、手っ取り早く稼げるのは……」
依頼書を見るたびに、頭の中で報酬の金貨を計算する。そんな中、ひときわ大きく、赤い縁取りのされた依頼書が目に留まった。
『危険度:A。王都近郊・黒鉄山脈に出没する【鋼鉄の暴威】討伐依頼。討伐が困難なため、報酬は通常の三倍』
「三倍」
その一言に、メルティの目がきらりと輝いた。効率がいい――それだけが、彼女の判断基準だった。
「これにしましょう」
迷いなく依頼書を引っぺがし、受付へと向かう。
その光景を遠巻きに見ていた周囲の冒険者たちが、ざわりとどよめいた。
「あの嬢ちゃんがA級を!?」
「十五歳くらいにしか見えないのに!?」
「単独で!?」
ざわつく視線の中を、メルティは意にも介さず受付カウンターへと進んだ。
「これ、お願いします」
依頼書を差し出されたベテランの受付嬢は、書面に目を通した瞬間、驚愕に目を見開いた。
「お、お客様、これは危険度Aの……お一人で受注されるおつもりですか?」
「はい。手っ取り早いので」
「て、手っ取り早い……!?」
絶句する受付嬢を尻目に、メルティはギルドカードを提示すると、あっさりと踵を返し、王都の外へと向かっていった。
*
黒鉄山脈は、鋭く切り立った岩肌が続く、荒涼とした地帯だった。
メルティが足を踏み入れてほどなく、大地を揺るがすほどの重い足音が響き渡る。木々の合間から姿を現したのは、全身を鋼鉄のような硬質な鱗で覆われた、巨大な猪型の魔獣だった。両の眼が赤く光り、荒い鼻息とともに、地面に深い爪痕を刻んでいる。
「ゴアアアアアッ!!」
咆哮とともに、鋼鉄の暴威が猛然と突進してくる。その一撃を受ければ、並の岩壁すら容易く粉砕されるだろう、圧倒的な質量と速度だった。
メルティはその突進を、日傘を差したまま、ひらりと一歩横にずれるだけで軽々とかわす。
「散歩がてら、ですね」
呟きながら、指先にほんの少しだけ魔力を灯す。極限まで絞り込まれた、無駄のない一撃だった。
すれ違いざま、その指先が魔獣の額へ、ことりと軽く触れた――ように見えた瞬間。
ドンッ。
鈍い音とともに、巨大な鋼鉄の体躯が、地響きを立てて崩れ落ちた。
辺りには、静かな砂埃が舞い上がるだけ。あれほどまでに恐れられていた魔獣は、傷ひとつ見えないほど綺麗な状態で、ただ静かに横たわっていた。
「――終わり」
メルティは日傘をくるりと肩に担ぐと、何事もなかったかのように王都へと引き返していく。
*
「え……もう、討伐完了、ですか……!?」
わずか一時間足らずでギルドに舞い戻ってきたメルティに、受付嬢は声を裏返しながら報告書を受け取った。急いで確認に走った職員が、真っ青な顔で戻ってくる。
「ほ、本当に討伐されています……。しかも、ほぼ無傷の状態で……」
その報告に、ギルド内がざわめいた。
「マジかよ……」
「あれを一人で……?」
受付嬢が慌てて奥へ駆け込み、ほどなくして報酬の金貨袋が運ばれてきた。ずしりと重い袋が、次々とカウンターの上に積み上げられた。
「こ、これが討伐報酬……通常の三倍の、規定金額だ……!」
メルティはずっしりと重い金貨袋を受け取ると、満足げに頬を緩ませた。
「ありがとうございます。これで美味しいお酒が飲めます!」
その屈託のない笑顔に、周囲のどよめきは、いつしか呆れと感嘆の入り混じった笑い声へと変わっていった。
*
先ほどまで寂しかった財布をすっかり膨らませ、ほくほくとした足取りでギルドを出たメルティの前に、豪奢な白馬に引かれた馬車が、すっと横付けされた。
馬車の扉が優雅に開き、中から金髪をなびかせたアルベルト王子が、決めポーズと共に姿を現す。
「――待っていたぞ、メルティ嬢!」
その芝居がかった登場に、メルティはずしりと重い金貨袋を抱えたまま、こてんと首を傾げるのだった。
「昨夜のそなたの美しい振る舞い、そして今また聞こえてきた、紅蓮の暴れ牛単独討伐の武勇伝……! ますますこの私の心を掴んで離さんぞ!」
王子は自信満々に胸を張ると、優雅な手つきで招待状を差し出した。
「これは私からの、愛のプレゼントだ。王宮御用達の超最高級料亭にて、最高の料理と極上の酒を、そなたにご馳走しよう!」
「――!!」
メルティの目が、これまでにないほど大きく見開かれた。
「王宮御用達……最高級料亭……」
ごくり、と喉が鳴る。
王子の愛の言葉には欠片も心が動かないメルティだったが、「王宮御用達」「最高級」「タダ」という単語の羅列には、抗いようのない魅力があった。
「行きます。今すぐ行きましょう」
これまでのどんな依頼を受けた時よりも、力強く即答するメルティ。その勢いのまま、ずんずんと馬車に向かって歩き出す。
あまりの食いつきの良さに、王子は一瞬きょとんとしたものの、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「ふ……ふはは! そうか、そうか! 分かってはいたが、やはりそなたもこの私の魅力には抗えなかったか!」
金色の髪をかき上げ、自信満々に胸を張るアルベルト。
「王都中の令嬢が涙して羨む、私からの特別な招待だ! さあ、乗るがよい!」
メルティは王子の言葉など右から左に聞き流しながら、馬車の座席に腰かけると、うきうきとした様子で窓の外を眺めた。
「王宮の料亭……どんなお肉が出てくるんだろう……。お酒も、きっとすごいのが……」
その表情は、恋する乙女のそれではなく、次なる極上のグルメに思いを馳せる、純粋な食いしん坊の顔だった。
向かいの席に座った王子は、そんなメルティの様子を見て、自分に見惚れているとでも思ったのか、満足げに何度も頷いている。
「ふ……この私に落ちるのも無理はない」
馬車はがたごとと石畳を進み、王宮へと向かっていく。
互いにまったく別のことを考えながら、それでも二人を乗せた馬車は、同じ方向へと軽やかに走り出していった。




