黒い光を追わせる
黒い光が地下室を満たす中、ガウェインは死んだ配達人を抱えたまま壁際へ下がった。
「出口は?」
僕が訊くと、フィーナが通信石越しに答えた。
『灰羽が、地下室の奥へ向かっている。入口とは別の経路があるわ』
僕は最後のページを折り、懐へ入れた。
黒い光がこちらへ伸びる。
紙を消すためではない。ページに残った七人分の魔力を追っている。
僕は灰色の金属片を床へ置き、未知の灰羽を重ねた。
三本の線のうち、右端だけが白く反応した。
壁の奥で、古い錠が外れる。
「ガウェイン、こっちです」
僕たちは、開いた隙間へ滑り込んだ。
最後に入ったガウェインが、腕を伸ばして黒い光を遮る。光は彼の盾へ当たり、薄い亀裂を走らせた。
扉が閉まると、地下室の音が遠ざかった。
新しい通路は、乾いていた。
壁の両側に、白と黒の魔導管が並んでいる。白い管は一定の間隔で脈打ち、黒い管は時々、内部で何かを量るように重く沈んだ。
通路の先には、二つの部屋があった。
左側からは薬草と毛布の匂いがする。
右側からは、冷たい金属と灰の匂いがした。
ガウェインが右の扉へ向かう。
「まず、秤部を潰す」
「待ってください」
僕は左の扉を指した。
「あちらにも魔力が流れている」
フィーナが壁へ鑑定鏡を当てる。
『救護物資の搬送路よ。グラキエス側の診療所へ、今夜の薬が送られる予定になっている』
「この組織が使っているなら、全部止めるべきだ」
ガウェインの声には、怒りが混じっていた。
「人を消した連中が管理している道だ」
「でも、道を壊せば薬も止まる」
僕は白い管を見た。
同じ帳簿に、二つの記録があった。
救護物資の量と、消された人間の番号。
同じ魔導管を通り、同じ認証核を使っている。
だからといって、同じものではない。
前世でも救助路と強制執行路が同じ網を使っていた。網を切れば救助まで消える。その判断で、僕は間違えたのかもしれない。
「ユーリ」
ガウェインが呼んだ。
「敵を庇うのか?」
「違います」
僕は黒い管と白い管の分岐を調べた。
「敵と救護を、一括して扱わないだけです」
黒い管は、途中で白い管へ合流している。
逆に、白い管から黒い管へは一度も戻っていない。
秤部が救護路を利用しているのではない。
救護路の途中へ、秤部の分岐を勝手に差し込んでいる。
『白い管の記録には、受け取る人の名前と体調がある』
フィーナが鑑定鏡を動かしながら言った。
『黒い管には、重量と優先度しかない。数字が人間の名前を置き換えている』
「同じ組織の中に、命を守る帳簿と、命を削る帳簿がある」
『帳簿だけじゃないわ。白い側は受け取った者の魔力を返している。でも、黒い側は一度も返さない』
救護路は運んだ人間を帰すため、秤部は戻さないために使う。根は同じでも、向かう先は違った。
その違いを切り落とすには、両方を知っている者が必要だった。
「黒い管の根元を切れば、白い搬送路は残せる」
『本当に?』
フィーナの声が強くなる。
『魔力の流れを間違えたら、両方が止まるわ』
「だから、僕が触ります」
ガウェインが手を伸ばした。
「危険だ」
「配達で、似た仕組みには触っています」
「慣れているとは言っていないな」
即答だった。
僕は返事をしなかった。
黒い管の根元へ、灰色の金属片を差し込む。羽根の形をした溝が、金属片を受け入れた。
白い管の脈動が一度だけ強くなった。
黒い管の中で、重い魔力が逆流する。
通路の向こうから、人の声がした。
「秤部の分岐を切るな!」
黒い扉が開き、数人の運び手が現れた。黒い腕章をつけている。けれど、その後ろには白い腕章の運び手もいた。
「その線を切れば、今夜の薬が届かない!」
白い腕章の女が叫んだ。
「知っている」
僕は答えた。
「だから、白い管は残す」
「あなたに判断できるの?」
「誰にも全部を判断する権利はありません」
黒い腕章の男が魔導具を構えた。
「人間を消す帳簿を守るために、正義を語るな!」
魔導弾が飛ぶ。
ガウェインの盾が受け止めた。衝撃で白い管が揺れ、薬草の匂いが一瞬だけ薄くなる。
「撃つな! 救護路が崩れる!」
白い腕章の女が怒鳴った。
黒い腕章の男は、彼女へも魔導具を向けた。
「秤部の命令に逆らう者は、荷物と同じだ」
その言葉が落ちた瞬間、僕は金属片を回した。
黒い管の根元に、灰色の線が走る。
黒い魔力だけが、音もなく切断された。
白い管の脈動は続いている。
遠くで、どこかの診療所へ薬が届いたことを示す淡い光が点いた。
白い腕章の女が、床へ膝をついた。
「本当に、届いた……」
彼女の声には、安堵よりも驚きが強かった。
「私たちは、黒い管を切れば全部が止まると聞かされていた。だから、帳簿を見ても黙っていた」
「誰に?」
「秤部の上役に。救護路を止めたくなければ、数字に従えと」
ガウェインが彼女へ近づいた。
「上役の名前を言えるか」
「名前は知らない。黒い帳簿では、名前を呼ばないから」
彼女は、自分の白い腕章を見た。
「でも、印なら分かる。黒い三本線の中央に、欠けた点がある」
その印は、さっき再点灯した黒い光の中にあった。
秤部は一つの部屋にいるのではない。
救護路の各所に、別の秤を置いている。
黒い腕章の男が膝をついた。
「秤部の印が……消えた」
ガウェインが、彼の腕章を見た。
「救護部門の者は、武器を置け」
白い腕章の運び手たちは、ゆっくりと魔導具を床へ置いた。
敵の中にも、救護路を守っていた者がいる。
全部を壊す必要はない。
壊すべき場所だけを切り分ける。
僕がそう決めた直後、白い管の裏側に小さな隠し部屋があることに気づいた。
扉には、シアンの結び目が刻まれている。
中に入ると、机の上に一枚の紙が置かれていた。
見慣れた筆跡だった。
――俺を信用するな。
その下に、羽根形の印を追うな、と続いている。
僕は紙を拾った。
裏側には、まだ文字がない。
けれど、紙を折れば別の言葉が浮かぶような、薄い魔力の溝が残っていた。
シアンは裏切ったのか。
それとも、僕たちに追わせるために、わざとそう書いたのか。
黒い管の向こうで、秤部の印が一つだけ再点灯した。
切断されたはずの道が、別の場所からこちらを見ていた。
紙の魔力溝は、折る順番を待っていた。
僕は机の上へ紙を置き、表面に刻まれた羽根形の印へ指を当てる。
羽根の軸に沿って、細い線が三本走っている。
一度目は横。
二度目は斜め。
三度目は、左下の角を内側へ折る。
紙を折るたび、薄い魔力が内側へ集まった。
最後の折り目が重なった瞬間、表に書かれていた文字が消える。
代わりに、裏側へ新しい文字が浮かんだ。
――追うな。
その下に、もう一行。
――追わせろ。
文字は、紙に書かれたものではなかった。
薄い魔力の溝が重なり、折り目を境に一時だけ浮かび上がっている。紙を開けば消え、同じ折り方をしても、灰羽を持たない者には見えない仕組みだ。
シアンは、文章だけでなく、読む人間まで選んでいた。
僕が紙の端をなぞると、最後の折り目の隙間に小さな結び目が現れた。締められていない輪。逃げ道を残した合図だ。
灰羽を追う者は、見えている道へ進む。
けれど、シアンが残した道は、最初から別の出口へつながっている。
僕は、紙を握りつぶしそうになった。
「シアンは、最初からこれを読ませるつもりだった?」
ガウェインが訊く。
「分かりません。でも、紙の折り目は意図的です」
フィーナが通信石越しに答えた。
『表の文章を信じさせて、裏側の指示を隠す。書き手が、読む人間の行動まで想定している』
「俺を信用するな。灰羽を追うな」
ガウェインが、表の文を読み上げた。
「なのに、裏では追わせろか」
「追わせる相手を、選べという意味かもしれません」
僕は、地下の白い管と黒い管を見た。
秤部の分岐は切断した。それでも、別の場所に黒い印が残っている。敵は切断された道を捨て、別の道からこちらを見ていた。
シアンは、その動きまで読んでいたらしい。僕たちに自分を追わせず、追跡の視線だけを別の場所へ向けさせるために。
夜の街の光景が、突然、目の奥へ浮かんだ。
暗い路地を走る味方の背中。
その後ろを、敵の足音が追っている。
実際に逃げているのは避難民だった。味方は、敵に見つかるために別の道へ出ていた。
魔導通信の向こうから、短い指示が響く。
追わせろ。救助路から目を逸らせ。
僕はその作戦を知っていた。
知っていたからこそ、シアンの書き置きが腹立たしかった。
同じやり方は、誰かが追う役を引き受けなければ成立しない。
その役を、シアンが一人で背負っている。
「あいつは、誰かを逃がしている」
僕が呟くと、ガウェインが紙を見た。
「推測か?」
「この折り方は、追跡者へ見せるためのものです。灰羽を追えば、敵もそこへ集まる。シアンは、敵が追う道を作っている」
『その間に、別の誰かを救護路から出す』
フィーナが続けた。
地下室の奥で、白い魔導管が一度だけ強く光った。
その光は、王都からグラキエスへ向かう道を示している。
黒い印が向いていたのは、帝国側の第三経路だった。
シアンが自分を帝国側へ運ぶように見せかければ、秤部はそちらへ追跡を集中させる。
その隙に、救護物資と別の誰かが白い道を通れる。
筋は通っていた。
通っているからこそ、僕は納得できなかった。
「追うなと言われたから、追わないんですか?」
ガウェインが訊いた。
「いいえ」
僕は紙を折り直した。
「追わせる先を、僕たちが決めます」
フィーナが息を呑む。
『シアンが仕掛けた陽動を、さらに利用するつもり?』
「彼が一人で敵を引き受けているなら、少なくとも、敵の道を一つ減らす必要があります」
僕は灰羽を手に取った。
追うな。
その命令には従わない。
追わせろ。
その意図だけを、正しく引き受ける。
地下室の外で、白い腕章の女が声を上げた。
「王都物流局から、正式な通達が届いた!」
彼女が持ってきたのは、青い封筒だった。
封蝋には王都物流局の印がある。今度は古い王家の印ではなく、現在の物流局が使う正式な認証だった。
ガウェインが封筒を開く。
中の紙へ、僕の名前が書かれていた。
王立輸送ギルド、特例輸送便担当。
対象――ユーリ。
行き先――帝国国境通過便。
配達品――医療用魔導具。
その下に、別の小さな欄がある。
特例理由――王家旧認証と帝国側受取認証の照合。
「僕が、帝国へ?」
「正式な指名だ」
ガウェインは紙を裏返した。
「逮捕命令の対象でありながら、王立便の担当者に選ばれている」
「誰が選んだんですか」
「発令者の欄は空白だ。ただし、承認印は三つある」
王立輸送ギルド。
王家旧救護院の残存認証。
そして、帝国側の受取印。
僕の胸元で、羽片が熱を持った。
羽根の魔力が、帝国へ伸びる第三経路へ反応している。
その先から、一度だけ短い応答が返ってきた。
軽く、軽く、重く。
シアンの三拍子に似ている。
僕は、すぐには返さなかった。
返せば、こちらの位置が伝わる。シアンが敵へ見せるために残した信号なら、応答そのものが罠になる。
けれど、通信を完全に断てば、彼が誰かを逃がすために使っている道を見失う。
僕は羽根ではなく、灰色の金属片を短く二度、最後だけ長く叩いた。
返事ではない。
届いたことだけを知らせる、配達の合図だ。
帝国側から、もう一度だけ脈動が返った。
今度は、三本目の線の途中で止まった。
受取人は、目的地ではなく、経路の途中にいる。
ガウェインが僕の顔を見た。
「受けるのか?」
「はい」
「罠かもしれない」
「分かっています」
僕は、シアンの紙を懐へ入れた。
「でも、帝国へ行けば、彼が誰を追わせているのか分かる」
「一人で行かせるつもりはない」
フィーナの通信が割り込んだ。
『私は医療用魔導具の鑑定担当として同行する。正規便なら、途中の封印を確認できる』
「俺は、逮捕命令の照合担当として乗る」
ガウェインが続けた。
「帝国側の受取印が本物か、俺自身が見る必要がある」
『物流局の経路と荷札は私が手配するわ』
別の声が通信石に重なった。
セリアだった。
『ユーリを正式な担当者として登録できる。ただし、登録した瞬間から輸送便の記録は王都と帝国の両方へ流れる』
「それなら、誰かが僕たちを消す時にも、記録が残る」
『そういうこと。消すなら、王都と帝国の記録を同時に消す必要がある』
セリアの声が、少しだけ低くなった。
『そんなことができる者がいるなら、今回の便は最初から狙われているわ』
白い救護路の向こうで、薬を待つ人々がいる。
黒い第三経路の先には、七人の最後の届け先がある。
そして、リオが「ミレア」と呼んだ母親の手掛かりも、その先へつながっている可能性がある。
母親が七人目だと、まだ決めてはいけない。死亡印がないことも、生きている証拠にはならない。それでも、記録を確かめずに切り捨てれば、黒曜の天秤と同じ判断になる。
そして、その間を一人で走っている配達人がいる。
答えを確かめるために、僕は帝国行きの特例輸送便を受け取った。追うべきはシアンの姿ではなく、彼が残した受領経路だった。




