音のない二十秒
安全封印が外れた魔導銃は、僕の手の中で低く震えた。
正面にいる暗殺者が、ミーシャと子どもへ銃口を向けている。距離は四歩。彼の指は引き金へかかっていた。
発射まで、あと一秒。
僕は魔導銃を投げた。
狙いは男の顔ではない。銃口だった。
黒い銃身へ魔導銃がぶつかり、二つの封印術式が触れ合う。青黒い光が弾け、男の腕が跳ね上がった。引き金が引かれるより先に、僕は四歩を詰めていた。
右手で男の手首を押さえる。
左足を男の足の内側へ差し込む。
身体を回す。
力は要らない。重心が崩れる方向へ、ほんの少し押せばいい。
男は階段の壁へ背中を打ちつけ、魔導銃を落とした。僕は床へ落ちる銃を足で蹴り、地下へ滑らせる。
「ミーシャ、下がって!」
彼女が子どもを抱えたまま、一段下がった。
その上を、別の魔導弾が通り過ぎた。
僕は振り返らず、倒れた男の外套を掴んで引いた。男の身体が盾になり、弾は外套の肩口へ食い込む。封殺の魔力が布を凍らせた。
背後でシアンが叫ぶ。
「ユーリ、右!」
右側の廊下から、二人の暗殺者が入ってくる。
僕は倒れた男の魔導銃を拾った。安全封印は外れている。再装填の必要はない。発射すれば、封殺弾が周囲の魔力を奪う。
患者がいる。
撃てない。
だから、撃つ前に近づく。
僕は薬棚の影から出た。
一人目が魔導銃を向ける。肩が上がる。視線が銃口へ落ちる。発射する人間は、狙う直前に必ず敵を見る。
その一瞬を使った。
僕は横へ踏み込み、銃身を手のひらで外へ流した。魔導弾が壁をえぐる。反動で男の肘が伸びたところへ、肩をぶつける。
男の腕が下がる。
膝の裏を蹴る。
倒れた男の手から魔導銃を奪い、二人目の足元へ滑らせる。二人目が視線を落とした。
遅い。
僕は距離を詰め、魔導銃を持つ手首を両手で挟んだ。手首を捻るのではなく、銃口を天井へ向ける。男の親指が安全封印へ触れた。
カチッ。
解除される前に、僕の指が封印の上を押さえた。
魔力の流れを止める。
男が驚いている間に、柄で脇腹を打った。息が抜け、身体が折れる。シアンがその男を受け止め、床へ静かに寝かせた。
床に落ちた薬瓶が、かすかに鳴る。
それ以外の音は、ほとんどなかった。
侵入から、五秒。
僕の頭の中に、数字が浮かんだ。
三。
正面の部屋に、まだ三人。
二。
屋根の上に二人。うち一人は、診療所の裏口へ回っている。
一。
外の指揮官が、次の命令を出そうとしている。
僕は立ち上がった。
シアンが僕の腕を掴む。
「もういい。俺が行く」
「外へ出たら、患者が射線に入る」
「でも、お前は――」
「二十秒だけ」
自分でも、どうしてそんな言葉が出たのかわからなかった。
「二十秒で、指揮を崩す」
シアンの手が離れた。
僕は廊下へ走った。
走ったというより、身体が勝手に最短距離を選んだ。
正面の部屋では、暗殺者三人が薬液の霧から抜け出そうとしていた。視界が悪い。中央の男が短い手信号を出している。指揮官ではない。命令を受け取る連絡役だ。
連絡役を止める。
右の男が先に僕を見つけた。
魔導銃の発射音が鳴る前に、僕は壁の角へ身を滑り込ませた。魔導弾が壁に当たり、封印の光が走る。僕は床へ落ちていた包帯の金具を拾い、男の魔導銃の側面へ投げた。
金具が封印へ刺さる。
発射機構が一瞬だけ止まった。
その隙に、僕は男の懐へ入り込む。喉を打たない。顔も狙わない。魔導銃を持つ腕の付け根へ肩を当て、壁へ押しつける。
男の手から武器が落ちた。
左の男が近づいてくる。
僕は床に膝をつき、男の足を払った。倒れた身体の上を跳ぶ。背後から手が伸びる。指が外套へ触れる前に、僕は肘を引き、相手の胸元にある連絡用の魔導具へ打ち込んだ。
魔導具が割れた。
外へ向かっていた命令の光が、途中で途切れる。
残り時間、十秒。
僕は中央の連絡役へ向いた。
男は、もう魔導銃を構えていなかった。腰の小さな魔導具を握っている。指揮官へ敵の位置を送るための通信器だ。
転生後の世界の魔導通信。
その光は、前世の記録ではない。
今ここで発せられ、今ここで消える信号だ。
僕は魔導具を壊すため、男の手首を掴んだ。
だが、男は笑った。
「遅い」
彼の魔導具から、外の指揮官の声が響く。
「子どもを先に消せ」
地下階段へ、別の足音が近づいていた。
裏口へ回った二人が、地下貯蔵室へ入ろうとしている。
僕は連絡役を壁へ押しつけ、魔導具を奪った。男の肘が僕の脇腹へ入る。痛みが走る。左腕の傷が開き、包帯に赤が滲んだ。
それでも手を離さない。
「三、二、一」
僕は数えた。
連絡役が意味を理解する前に、魔導具の送信結晶を握り潰した。
外から、命令の光が消える。
同時に、地下階段で魔導銃の発射準備音が止まった。
残り、五秒。
僕は正面の最後の男を見た。
彼は、床へ落ちた魔導銃を拾おうとしていた。僕は先にその銃を蹴り上げ、男の手の甲へ柄を落とす。男がうめき、武器を離した。
残り、三秒。
屋根の上から、雪を踏み抜く音がした。
僕は暖炉の脇にあった長い火掻き棒を掴んだ。天井の点検口へ突き上げる。留め金が外れ、屋根裏へ上がろうとしていた男の手が滑った。
男が床へ落ちる。
残り、一秒。
裏口の向こうで、パックの声が響いた。
「右、敵。伏せて!」
エリーゼが患者の寝台を押した。寝台の脚が裏口へぶつかり、侵入しようとしていた男の足を止める。
そこで、時間が切れた。
二十秒。
診療所の中で、立っている暗殺者はいなくなっていた。
誰も死んでいない。
患者も、子どもも、傷ついていない。
なのに、僕の両手は震えていた。
火掻き棒が床へ落ちる。
乾いた音が、やけに大きく響いた。
「ユーリ?」
シアンが呼んだ。
僕は返事をしようとした。けれど、喉が閉じて声が出ない。
目の前には、倒れた男たちがいる。骨は折れているかもしれない。腕を痛めた者もいる。僕がそうした。
頭の中では、すべて必要な動きだったとわかっている。
患者を守るため。
子どもを逃がすため。
敵を殺さないため。
それでも、手が止まらない。
「僕が……やったの?」
「そうだ」
シアンは短く答えた。
その声が優しかったから、余計に怖くなった。
僕は壁へ背を預け、ずるずると座り込んだ。いつもの謝罪が喉まで出かかったが、声にならない。何度も使ってきた言葉が、今は自分を隠す形さえ失っていた。
ミーシャが地下階段から戻ってきた。
「先生、みんな無事。だけど、これ……」
彼女の手には、暗殺者が運び込んだ弾薬箱があった。
箱の側面に、二つの刻印が押されている。
一つは、帝国軍の黒い鷲。
もう一つは、王立輸送ギルドの搬送印。
同じ箱に、敵国の軍用刻印と、王国の正規輸送印が並んでいた。
ミーシャが箱の泥を指で擦る。
「この箱も、塩坑の泥がついてる」
僕は答えられなかった。
外では、吹雪が弱まり始めていた。
開け放たれた診療所の入口から、ひとりの男が歩いてくる。
黒い外套。濡れた髪。手には王国式の魔導銃。
男は倒れた暗殺者たちを見回し、最後に僕へ銃口を向けた。
「動くな、ユーリ・クロムウェル」
王国特務捜査隊きっての腕利き、ガウェイン特務捜査官だった。




