今日も届く荷物
王都へ戻った朝、僕は物流局の入口で怒鳴られていた。
「お前は、書類を持ったまま何日かかっている!」
「申し訳ありません!」
僕は深く頭を下げた。
配達員の制服に身を包み、少し猫背にして不安そうに視線を下げる。以前と同じ姿だ。ただし、怒鳴られている僕の耳には、別の通信札が三つつながっていた。王国特務捜査隊のガウェイン、王都で封印鑑定を続けるフィーナ、そして名前のない影班の連絡札。
「聞いているのか!」
「は、はい! すぐに届けます!」
僕は伝票を落とした。紙が床へ散らばり、周囲からため息と笑い声が聞こえる。その中で慌てたふりをしながら一枚だけを抜き取ると、宛先の文字が他と違っていた。王都北区、旧王国軍記念碑。差出人は空欄で、封印には王家の印と影班の古い印が重なっている。
「ユーリ、今の伝票は見えましたか」
フィーナの声が、耳元の通信札から聞こえた。
「見えた。封印は二重。新しい王家の印の上に、古い影班の印がある」
「紙の繊維は?」
「通常の物流局のものではない。灰が混じっている」
「燃えた記録の灰と同じか、鑑定できますか」
「触っただけでは断定できない。届け先で採取する」
「なら、勝手に開けないでください」
「分かっている」
僕は、落とした伝票を拾い上げた。
物流局の職員は、僕がまた失敗したと思っている。それでいい。気弱な配達員が、誰にも気づかれずに一枚の封書を運ぶ。以前なら一人で判断し、一人で危険な場所へ向かった。今は、見たものを伝え、判断を分け、戻る場所を確認してから歩く。
「ガウェイン、北区へ向かう」
「了解した。到着時刻を送れ」
「一時間後」
「長い」
「配達員は足が遅い」
「君が本当に足を遅くしているならな」
ガウェインの声は、疑いを残したままだった。
その疑いが、今はありがたい。
僕を無条件に信じる人間ばかりなら、また同じ失敗をする。
疑問を持つ者がいて、物証を確認する者がいて、現場へ手を伸ばす者がいる。
それぞれが違うから、僕は一人で全部を背負わずに済む。
物流局を出たところで、フィーナから新しい通信が入った。
「封書の裏面に、極めて薄い傷があります」
「封を開けずに分かるの?」
「鑑定鏡なら、表面の圧力痕を見られます。誰かが一度、封書を開けようとして止めた」
「シアン?」
「まだ断定できません。指紋も、魔力痕もありません」
シアンの行方は、今も分からない。
公爵家の金庫から残された伝票だけが、彼がどこかで別の取引先を追っていることを示している。
死んだとも、戻ったとも言えない。
だから、僕は名前を口にしただけで結論を出さない。
「到着したら、まず周囲の足跡を確認します」
「それはミーシャの担当では?」
「教えてもらった」
僕はグラキエスの雪を思い出した。泥の乾き方、靴底の削れ、誰かが立っていた場所に残る生活の跡。魔法も暗号も使わない証拠がある。フィーナが物証に変え、ガウェインが時刻と証言を結び、僕が人の動きを読む。それだけで、記録から消されるはずだったものを残せるかもしれない。
北区へ向かう途中、通信札からパックの声が届いた。
「ユーリ、聞く。王都、だいじょうぶ?」
「今のところは大丈夫。そっちは?」
「辺境、雪。パック、食べる。ヴォルク、怒る」
「ヴォルクは何に怒っているの?」
「車、部品ない。パック、鍋、つかう」
「鍋を魔導装甲車の部品にしたの?」
「ちがう。部品、鍋に入れた」
僕は足を止め、思わず笑った。
通信札の向こうから、ヴォルクの低い声が響く。
「笑うな。必要な部品だった」
「パックは、食事をどうするの?」
「別の鍋、ある。パック、つくる」
短い言葉の中に、辺境の様子と僕への気遣いが詰まっていた。
「パック、ありがとう。帰ったら食べる」
「ユーリ、食べる。寝る。ひとり、しない」
その短い言葉が、胸に残った。
「うん。ひとりでしない」
通信を切った。
北区の端には、十四年前にグラキエス救援へ向かった王国軍の名を刻んだ古い記念碑が立っている。そこにアーノルドの名前はなく、救援命令が撤回されて部隊が戻らなかったことも書かれていない。ただ、王国のために辺境を守った英雄たちの名前だけが並んでいた。
僕は、記念碑の前で足を止めた。
石の根元には新しい靴跡が一つあった。雪を踏んだ踵だけが深く沈んでいる。立ったまま、長く待っていた人間の跡だ。その横には、灰色の粉が少しだけ落ちていた。
「フィーナ、灰を採取する」
「封書を置く前に、周辺の状態を記録してください」
「分かった」
僕は小さな証拠札を取り出し、採取時刻と足跡の向きを刻んだ。風で消える前に、見たものを残しておく。
そして、記念碑の台座へ封書を置いた。
封書を置いたあと、留め紐の端が風もないのに左へ逃げているのに気づいた。余った端だけを内側へ隠した、簡素でほどけにくい結び目だった。シアンが好んだ形に似ていたが、僕は名前を口にせず、結び目の形だけを証拠札へ写し取った。
誰もいないはずの場所で、封書の紙がわずかに震えた。
中身に魔力がある。僕は王家の印と影班の印を確認してから、裏面へ影班の印を押した。それは命令を受け取った印ではない。ここへ届けたという、僕自身の記録だった。
「ユーリ、開けないのですか」
フィーナが訊く。
「開けない。届けるのが仕事だから」
「中身が危険でも?」
「危険なら、開ける人が別にいる」
僕は一歩下がった。
以前の僕なら、封を開けて中身を確かめていた。
誰にも知らせず、僕だけで判断していた。
今は、封印を守り、証拠を残し、必要な人間へ渡す。
それが、配達員としての仕事だった。
背後で、古い石が軋んだ。
封書の中身が、風もないのに外へ滑り出る。
一枚の灰色の羽根。
羽根の軸には、見たことのない細い刻印があった。
王家でも、影班でもない。
けれど、灰印と同じ向きに魔力が流れている。
フィーナの息を呑む音が、通信札から聞こえた。
「それは、何ですか」
「分からない」
僕は灰色の羽根を拾い上げた。
冷たい。古代炉の結晶とは違い、生きた魔力が羽根の先で微かに揺れている。
遠くで、誰かが見ている気配がした。
僕は振り返った。
記念碑の向こうに、人影はない。
ただ、朝の風が石の間を抜けていく。
「ガウェイン、追加の証拠を送る」
「聞いている。勝手に触るな」
「もう触った」
「君は本当に配達員か」
「配達員だよ」
僕は、羽根を証拠袋へ収めた。
古代兵器を運んだだけなのに、盗難犯にされた。そこから始まった旅は、父の罪と王国の隠蔽、そして前世の記憶へつながっていた。この街を揺るがした陰謀は、ひとまず終わった。それでも、記録から消された人たちがいる限り、僕の仕事は終わらない。
僕は配達員の鞄を背負い直し、王都の人波へ戻っていく。今日も気弱なふりをした配達員として、誰かの証拠と記憶を、誰かが帰るための道を、影のように静かに運ぶために。




