王家の印が届くとき
「そこまでだ」
王旗の下から、若い声が響いた。
王は王宮から脱出してきたのではない。公爵軍が城門を閉じる前、北門外の王家救護指揮所へ避難民の受け入れを視察するために出ていた。
戒厳令が敷かれた後、王宮と城門の内側は公爵軍に押さえられた。だが、王家記録院の印でのみ開く古い救護路が、外郭と地下炉の近くまで残っていた。
記録院の緊急警報を受けた王は、王家救援隊を率いて、その路から戻ってきたのだ。
大通りにいた兵士たちが、一斉に道を開ける。
先頭の馬から降りたのは、まだ少年の面影を残した青年だった。
金の髪。
白い外套。
胸元には王家の紋章がある。
エドワード三世。
若き国王は、護衛を数人だけ連れて、燃え落ちる封印箱の前まで歩いてきた。
ルシアン公爵が、深く頭を下げる。
「陛下。王都は黎明の瞳の暴走によって危機にさらされました。まずは反逆者たちを拘束し、詳細を」
「その説明は、後で聞く」
国王は、公爵の言葉を遮った。
「私は王都の外から、赤い光を見ていた。王城の記録係から、地下炉の警報も受けている。今さら、黎明の瞳だけが原因だと言われても信じられない」
公爵の口元が、わずかに歪んだ。
「陛下は、王国を守るために私を信じるべきです」
「信じることと、証拠を確認することは別だ」
国王は、ガウェインへ視線を向けた。
「王国特務捜査隊のガウェイン特務捜査官。報告を」
ガウェインは一歩前へ出て、膝をついた。
「地下炉の起動には、公爵家の命令書が使われていました。古代兵器の本物を、王都地下炉へ搬送する指示。輸送記録には、バレル統括部長の承認印があります」
彼は、焼け残った封蝋の破片を差し出した。
「記録の一部は焼却されましたが、封蝋の印影と魔力残滓は残っています。発行元は公爵家の執務室です」
「写しだ」
公爵が口を挟んだ。
「偽造された記録を、私の責任にするつもりか」
「だから、他の物証も提出する」
フィーナが前へ出た。
手には、鑑定鏡と小さな金属皿がある。
「焼却された紙片から採取した魔力を鑑定しました。封蝋を押した時の魔力と、命令書へ署名した時の魔力は一致しています」
「魔力など、誰かが似せられる」
「完全には」
フィーナは、公爵をまっすぐ見た。
「封蝋の表面に残る圧力の癖、魔力の流れる順番、紙繊維へ染み込んだ温度。三つが同じ人間のものです」
彼女は金属皿を傾けた。
薄い光が、封蝋の破片に沿って走る。
「これは、あなたが押した封蝋です」
大通りに、ざわめきが広がった。
僕は、焼け残った暗号板の末尾を思い出した。
「『首謀者は、死者の息子を最初から待っていた』。あの首謀者は、公爵ですか」
ガウェインが、焼けた記録へ目を落とした。
「今回の輸送と地下炉の起動を一つの計画として動かした人物は、ルシアン公爵だ。君がアーノルドの息子であることを利用した指示も、公爵家の記録に残っている」
フィーナが続けた。
「ただし、暗号板へその一文を書いた手が公爵本人だとは、まだ証明できません。計画の責任と、文字を刻んだ人物の特定は分けて扱います」
公爵の兵士たちも、互いの顔を見ている。
国王は、次にカイルへ目を向けた。
「君の証言を聞く」
拘束を解かれたカイルが、外套の裏から薄い紙束を取り出した。
炎の影響を受けていない、折り畳まれた記録だった。
「本物の輸送記録です。公爵家から物流局へ出された命令と、バレル部長が内容を書き換えた記録。俺は配達の途中で気づきました」
「なぜ、これを今まで出さなかった」
国王の問いに、カイルは苦く笑った。
「出せる相手がいなかったからです。公爵家へ持っていけば消され、物流局へ戻れば俺の責任にされた」
「だから、地下へ持ち込んだ?」
「俺が逃げるより、証拠を残すほうが重要だと思った」
カイルは、僕を一度見た。
「それに、ユーリが戻ってくると信じていました」
胸の奥が、熱くなった。
僕は、言葉を返せなかった。
国王は、最後にレヴィが抱えているアーノルドへ目を向けた。
「アーノルドの命令書は?」
ガウェインが、別の紙束を差し出した。
「十四年前の救援記録です。アーノルドが出した命令は、避難民を優先し、救護路を閉じるというもの。軍事作戦のためではなく、帝国兵から住民を逃がすための判断でした」
公爵が鼻で笑った。
「過去の命令書が、今回の罪を消すとでも?」
「消さない」
僕は言った。
「父さんが無罪だと言っているわけじゃない。黎明の瞳にも、隠すべき罪はある。けれど、存在しない罪まで背負わせることは許さない」
国王が、僕を見た。
「君の名は?」
「ユーリ。配達員です」
「配達員が、王国の責任を語るのか」
「運んだ荷物の行き先が、王都の地下炉だったからです」
国王の目が、わずかに細くなった。
「なるほど」
ルシアン公爵が、苛立ったように杖を鳴らした。
「陛下、この件には王家の封印も関わっています」
空気が凍った。
「公爵」
ガウェインが低く言う。
「それ以上は」
「王家の許可なく、古代炉を動かせると思うのか?」
公爵は国王を見据えた。
「十四年前の救援路閉鎖も、今回の地下施設の管理も、王家の印がなければ成立しない。私を裁けば、先代の隠蔽まで明らかになる」
兵士たちの間から、息を呑む音がした。
フィーナが証拠袋を開いた。
「確認しておきます。先ほど鑑定した命令書の王家の印は、王家が出した命令の証明ではありません。公爵家が先に作った文書へ、後から重ねられた偽装印です」
ガウェインは、別の記録束を掲げた。
「ただし、王家が無関係だったという意味でもない。王家の保管庫から、先代の側近が救援撤回後の現場報告と古代炉の存在を把握しながら、記録を封じた文書が見つかっている」
偽造された命令書と、偽造を見逃した王家の隠蔽。
二つは同じ罪ではない。
だが、十四年前に人々を救えなかった結果だけは、どちらにも残っている。
若い国王は、しばらく黙っていた。
やがて、王旗を見上げる。
「私の先代が隠した記録なら、私が公表する」
公爵が目を見開いた。
「陛下、それでは王家の権威が」
「権威とは、罪を隠すための壁ではない」
国王の声が、大通りの端まで響いた。
「王家の封印が関わっていたなら、その事実も記録に残す。先代の罪を消して、別の者へ押しつけることはしない」
彼は、護衛へ手を上げた。
「ルシアン公爵を拘束せよ」
公爵軍の兵士が動こうとした。
しかし、彼らの背後には、すでに王国軍が立っている。
ガウェインの部下が一斉に武器を向けた。
公爵は、逃げ道がないことを悟った。
外套の紋章へ手を伸ばしかけ、指を止める。兵士たちが誰一人、自分と目を合わせない。
「この私を、ただの反逆者として扱うつもりか」
「国家反逆、王都破壊計画、帝国との密約、証拠隠滅」
国王が淡々と読み上げる。
「爵位と貴族特権を剥奪する。財産は没収し、被害者の補償へ回す。裁判は公開する」
ルシアン公爵の外套から、公爵家の紋章が外された。
地面へ落ちた紋章が、乾いた音を立てる。ルシアンはそれを拾わなかった。拾えば、もう誰も自分の命令を受け取らないと認めることになる。
それが地面へ落ちた瞬間、兵士たちが槍を下げた。
公爵は、兵士たちを振り返った。
「私を守れ。これは命令だ」
誰も動かなかった。
先ほどまで公爵家の旗を掲げていた隊長が、槍から旗を外した。布を畳み、足元へ置く。
「避難路を閉じる命令には、もう従いません」
短い言葉だった。
隊長が膝をついたのは、国王へ忠誠を示すためではない。自分が見た住民たちを、もう一度炉の近くへ戻さないためだった。
公爵の命令は、記録の上ではまだ残っている。だが、命令を実行する手が消えた。
続いて、別の兵士がバレル統括部長を連れてきた。
バレルは、僕を見るなり叫んだ。
「私は命令に従っただけです! 公爵が、そうしろと!」
バレルの指が、何もない空中を掴んだ。
「母の名前を消せば、あの救護員が生きていた時間まで消せると思った」
彼は、公爵ではなく記録官を見ていた。
「薬が配られた時刻が残れば、私は撤回命令の後も現場を知っていたと認めることになる。だから名前を外した。名前だけなら、数字の欠落に見えると思った」
声が初めて震えた。
「違う。数字の欠落にしたかったんじゃない。私が扉を閉めたあとも、あの人たちが生きていた事実を、なかったことにしたかった」
「輸送記録の偽造、証拠隠滅、部下への責任転嫁」
国王は、彼の言葉を記録官へ書き取らせた。
「統括部長の地位を剥奪し、財産を差し押さえる。お前も公開裁判を受ける」
バレルの顔から、血の気が引いた。
大通りに、初めてはっきりとした安堵が広がった。
公爵も、バレルも、逃げられない。
けれど、国王は黎明の瞳の名を聞いた時、処刑を命じなかった。
「黎明の瞳の軍事部門は解体する」
国王は、レヴィに抱えられたアーノルドを見た。
「だが、孤児院と診療所まで消せば、今回救われた者たちの居場所がなくなる」
「陛下……」
「アーノルドが目を覚ましたら、取引をする。軍事部門の情報をすべて証言し、辺境へ戻る。その代わり、救護部門の存続を認める」
レヴィが、父を見下ろした。
僕も、答えを出せなかった。
その時、王国軍の兵士が走ってきた。
「陛下、隠し金庫の捜索中に追加の物証が見つかりました」
兵士が差し出したのは、空の金属ケースと一枚の伝票だった。
フィーナが鑑定鏡を向ける。
「これは、今回地下炉で停止した結晶を収めていたケースではありません」
青い光が、ケースの底を走った。
「内側に残っているのは、古代炉の冷却灰と、心臓を固定するための三本の受領溝です。灰の層は十四年前のもの。公爵家が心臓を受け取るために用意したものですが、実物は金庫へ入る前に別の場所へ移され、ケースだけが残されていたのです」
ケースには、禁忌の心臓を収めるための三本の受領溝が残っていた。
「現在の結晶は、私が別の封印箱で回収しています」
フィーナは、地上へ持ち帰った封印箱を示した。
伝票の端には、左手の親指を押しつけたような指紋が残っていた。
僕は、その印を知っていた。
シアンの癖。
公爵家の金庫に残されていたのは、現在の心臓ではない。十四年前の受領用ケースと、その取引先を示す伝票だ。
シアンが持ち去ったのも、心臓の実物ではない。ケースと伝票から辿れる、心臓の背後にある別の取引先の台帳の一部だった。
彼は、次の取引先を追うために、その伝票だけを残した。
国王が、指紋を見つめる。
「まだ、終わっていないようだな」
燃え残った王都の夜に、シアンの行方だけが、別の影として残った。




