地上で待つ封蝋
地下路の出口に、ルシアン公爵が立っていた。
出口の脇には、公爵家の兵が簡易の受領台を組み、時刻札まで置いていた。公爵は僕たちを待っていたのではない。ここで箱を焼き、受領を妨げた反逆者として、僕たちの動きを記録するつもりだった。
その手には、カイルから奪った封印箱がある。
箱の中に入っているのは、輸送記録の写しと、公爵家の命令書。それに、禁忌の心臓を本物の搬送先へ移した記録だった。
カイルは、両手を拘束されて地面へ跪いている。
「カイル!」
僕が叫ぶと、彼は顔を上げた。
「ユーリ、近づくな。こいつは、証拠を燃やすつもりだ」
「燃やす?」
公爵が、封印箱の表面を指で撫でた。
「記録は、記録として扱われて初めて意味を持つ。王国の認証がない紙片など、ただの紙だ」
「封印箱に公爵家の紋章がある」
フィーナが言った。
「中身を変えたとしても、箱そのものが物証になります」
「封印鑑定士か」
公爵は、彼女を見て笑った。
「ならば、その目でよく見ておけ」
公爵が指を鳴らす。
周囲にいた兵士が、箱へ赤い魔力札を貼りつけた。
封印箱の隙間から炎が噴き出す。
カイルが身をよじった。
「やめろ! それは、王都を救った人間の証拠だ!」
「王都を救った?」
公爵の声に、冷たい愉悦が混じった。
「王都を危険にさらしたのは、黎明の瞳だ。古代兵器を勝手に動かし、地下炉を暴走させ、帝国を招き入れた。そういう記録にすればよい」
「嘘だ」
レヴィが一歩前へ出た。
折れた魔導長剣の柄を握っている。
「炉を起動したのは、貴様の命令だ」
「証拠は燃えている」
「証人ならいる」
セリアが、拘束したヴィンセントを引きずってきた。
ヴィンセントは、まだ笑っている。
「公爵、私を消すつもりか。帝国が、あなたの都合に合わせて黙ると思うのか」
「帝国の敗残兵が、王国の法廷で何を証言する?」
「私は、あなたと交わした命令を知っている」
「ならば、反逆者として処分されるだけだ」
公爵は、箱へ視線を戻した。
炎が、封印箱の内側を舐めている。
フィーナが、唇を噛んだ。
「紙が燃えても、魔力の痕跡は残ります」
「地下炉の残留魔力と混ざる」
公爵は答えた。
「誰が命令したかなど、判別できなくなる」
ガウェインが、公爵軍の兵士を見回した。
「ルシアン公爵。王国特務捜査隊の権限において、証拠隠滅の現行犯として拘束する」
「王国特務捜査隊?」
公爵が薄く笑った。
「この場にいる兵士の半分は、私の命令で動いている。君が法を語るなら、まず人数を数えることだ」
「それに、私がここで拘束されても、王都の中継所には別の非常命令が届く。黎明の瞳が王都を襲い、国王の救援を妨害したという記録が、今夜のうちに発行される」
公爵は、逃げ道を一つではなく、記録の中へいくつも用意していた。
僕は箱の封蝋を見た。公爵家の印は新しい。だが、その下にある受領印の時刻だけが、地下炉の停止より前を示している。
「その命令は、もう発行されたことになっているんですね」
ガウェインが尋ねた。
「発行された。誰かが受領しなければ、正式な命令にはならない」
「なら、受領記録を確認すればいい」
ガウェインの声に、初めて確かな熱が混じった。
周囲の兵士たちが槍を構える。
ガウェインの部下も武器を抜いた。
だが、こちらには負傷者が多い。
アーノルドはレヴィに抱えられたまま意識がない。
僕も魔力がほとんど残っていない。
フィーナは鑑定道具を握り、セリアはヴィンセントを押さえている。
戦えば、勝てない。
公爵は、それを分かったうえでここに立っている。
「ユーリ」
公爵が、僕を見た。
「お前だけは、まだ選べる」
「何を?」
「アーノルドをこちらへ渡せ」
レヴィの腕に、力がこもった。
「断る」
「最後まで聞け。アーノルドは黎明の瞳の軍事部門を率いた。十四年前の事件も、今回の古代兵器も、奴に責任を集めればよい」
「父さん一人に?」
「そうだ。公爵家は、今回の件でお前を追わない。配達員への濡れ衣も、輸送記録の偽造も、すべてバレル部長の独断として処理する」
公爵は、僕の目を覗き込んだ。
「お前は影班員として生き残れる。父親を差し出せば、罪は消える」
胃の奥が冷たくなった。
これは、処刑の脅しではない。
選択肢に見せかけた、記録の改ざんだった。
父を一人の罪人にする代わりに、僕は無罪になる。
黎明の瞳は悪の組織となり、王都は被害者になる。
公爵家だけが、責任の外側へ逃げる。
「父さんを渡せば、誰が救われる?」
「お前だ」
「それだけ?」
「十分だろう。私は十四年前にも、同じ計算をした。救援を止めれば王国が残る。残った王国が、公爵家の名を必要とすると思った」
僕は、レヴィの腕の中にいる父を見た。
灰印の跡が、胸元で黒く焦げている。
十四年前、父は誰かを救うために帰還路を閉じた。
今日、父は自分の命を使って、僕たちの帰還路を開いた。
その人を、記録の上だけで怪物にする。
そんな取引を受け入れれば、僕は生き残れるかもしれない。
けれど、救われるわけではない。
「断る」
僕は、はっきりと言った。
「父さんは渡さない。黎明の瞳だけに罪を背負わせない。僕たちが見たことを、全部証言する」
「証言?」
公爵の笑みが消えた。
「王国の法廷へ行くには、国王の承認が必要だ。公爵家の命令書を持っていても、王家が認めなければ正式な証拠にはならない」
ガウェインが静かに告げた。
「王家が公爵家の側につけば、君たちは反逆者として処理される」
「それでも行く」
僕は答えた。
「法廷へ行けないなら、法廷へ届く場所まで運ぶ」
公爵が、手にした封印箱を地面へ落とした。
炎が箱を包む。
カイルが歯を食いしばった。
「ユーリ、箱は偽物だ!」
「何?」
「本物の記録は、最初から別にしてある。俺が奪われた箱には、燃えても構わない写ししか入っていない」
公爵の視線が、初めて揺れた。
カイルが拘束された手を、わずかに持ち上げる。
「本物は、俺の外套の裏に縫い込んだ。燃やすなら、俺ごと燃やせ」
「カイル……」
「逃げる途中で、シアンが教えてくれた。証拠は一つにまとめるなってな」
「あいつは要塞を出たあと、古い救護路の通行札を偽造して王都へ入ったらしい。廃棄されたギルド選別所で俺を見つけて、記録の束を三つに分けた。ひとつは俺の外套、ひとつは俺の家族の避難荷、最後のひとつは自分で持った」
カイルは、焼けた箱の灰を見た。
「その後、公爵家の定期納入に紛れて記録庫へ入り、裏金庫から取引先の台帳だけを抜いた。心臓を運ぶためじゃない。誰が心臓を欲しがったのか、確かめるためだ」
シアンの名が出た瞬間、公爵の兵士の一人が顔を伏せた。
兵士は、顔だけでなく左手も隠した。
外套の袖口へ親指をしまう、見慣れた仕草。
腰の伝票を留める結び目は、端が左へ逃げていた。
シアンが好んで使った結び方だ。
遠すぎて、兵士の顔は見えない。だから僕は、名前を呼ばなかった。




