脈動の止まったあと
小さな鼓動が、炉の奥で消えた。
その後には、何も残らなかった。
赤い結界は消え、床を走っていた魔力路も、一本ずつ光を失っていく。
僕は、腕の中にいるアーノルドを見た。
「父さん?」
返事がない。
胸元の灰印は、焼けた金属のように赤くなっていた。皮膚へ食い込んでいた拘束具は外れている。けれど、灰印そのものが父の身体から離れない。
「アーノルド!」
レヴィが膝をつき、父の首へ指を当てた。
「脈はある。弱いが、生きている」
その言葉を聞いた瞬間、身体から力が抜けた。
僕は床へ座り込み、父を抱いたまま息を吐く。
都市消滅まで、残り〇・一秒。
その数字が消えた直後、世界が終わらなかった。
代わりに、地下炉全体が大きく揺れた。
「崩れる!」
フィーナの声が通信札から響く。
「出力は止まりましたが、炉心周辺の支持構造が保てません。全員、上層の救援路へ移動してください!」
「ガウェイン、聞こえるか」
レヴィが通信札へ叫んだ。
「聞こえている。避難路は開いている。だが、崩落で戻れない区画が増えている」
「エレオノーラは?」
「こちらにいます」
影のような声が返った。
「右側の印は停止しました。ですが、主炉の奥に何か残っています」
何か。
僕は、炉心の中心を振り返った。
そこにあったのは、巨大な器だった。
禁忌の心臓を収めていた、古代の台座。
台座の中央で、灰色の光が揺れている。
僕は父をレヴィへ預け、台座へ近づいた。
「ユーリ、触らないでください!」
フィーナが叫んだ。
「古代兵器の残留魔力は、まだ危険です」
「分かっている」
けれど、確かめなければならなかった。
台座の中央に、かつての心臓があった。
赤く脈打っていた核は、もう動いていない。
形だけが残っていた。
透明な灰色の結晶。
内部には、細い亀裂が幾重にも走っている。触れなくても、それが二度と魔力を受け付けないものだと分かった。
「完全に壊れたのではありません」
フィーナが、慎重に鑑定鏡を向ける。
「けれど、起動経路がすべて閉じています。これは……停止したというより、起動できない形へ変質した結晶です」
「二度と動かない?」
「少なくとも、今の技術では。無理に起動させれば、結晶そのものが砕けます」
それでいい。
それが、最も安全な結末だった。
禁忌の心臓は、王都を救うために消えた。
正確には、消えずに残った。
誰かが再び利用しようとすれば、そこに危険がある。
けれど、少なくとも今は、誰の命令にも従わない。
心臓の表面に、微かな灰色の光が走った。
僕はその光を見つめた。
最後の鼓動は、兵器の再起動ではなかった。
止まるための、最後の抵抗だったのかもしれない。
「ユーリ!」
レヴィの声がした。
父を抱えた彼の肩から、血が流れている。魔導長剣は折れ、残った柄だけが手の中にあった。
「立てるか」
「君こそ」
「俺は立てる。お前は父親を運べ」
「父さんを返して」
「今は、俺のほうが腕に力がある」
レヴィは、アーノルドを抱え直した。
父の頭が、彼の肩へ預けられた。
さっきまで敵として剣を向けていた相手が、今は父を運んでいる。
あの頃なら、ありえない光景だった。
けれど、今世では違う。
彼はレヴィであり、僕の義兄弟だった。
「ユーリ、歩けますか?」
フィーナが駆け寄ってきた。
手には鑑定鏡と、灰色の結晶を収めるための封印箱がある。
「歩ける。フィーナは?」
「魔力を使いすぎましたが、まだ動けます。ガウェインさんが避難路を確保しています」
「セリアとヴィンセントは?」
「セリアさんが拘束を続けています。ヴィンセントは、最後まで帝国の話をしていました」
「彼女は、どうするつもりだろう」
「自分で決めるでしょう。今度は、命令札ではなく」
フィーナの言葉が、短い間だけ地下炉に響いた。
僕は灰色の結晶へ、最後に一度だけ視線を向けた。
フィーナが封印箱を閉じる。
王都を救った証拠は、今、誰にも知られない箱の中へ収められた。
そして僕たちは、崩れ始めた地下炉から地上へ戻った。
地上へ出ると、空はまだ暗かった。
王都の外壁には、赤い光の跡が残っている。
建物のいくつかは崩れていた。
だが、大通りは残っていた。
人々も生きている。
避難路の端では、パックが座り込んでいた。
「パック、大丈夫?」
僕が声をかけると、パックは顔を上げた。
「……つかれた。ひと、いる。こども、いる」
「ヴォルクは?」
「あっち。おおきい、ひと。まだ、はこぶ」
パックの指した先で、ヴォルクが最後の子どもを抱えている。
泣いている子を、何も言わずに背負っていた。
その光景を見て、ようやく実感が追いついた。
王都は、助かった。
誰が救ったのかを知る人間は少ない。
地上の兵士たちは、赤い光が消えたことだけを見ている。
魔導局は、地下炉が勝手に停止したと記録するだろう。
公爵軍は、帝国の攻撃が失敗したと報告する。
僕たちがどれだけ魔力を使い、誰が灰印を押さえ、誰が最後の弁を開いたのか。
その事実は、まだ誰にも届いていない。
「名もない者が救ったほうが、都合のいい人間は多い」
ガウェインが言った。
「だが、証拠は残る。証言も、物証も」
「王国が隠せば?」
「隠しきれない形にする」
彼は、地上へ続く路地の先を見た。
「カイルが、輸送記録と公爵家の命令書を持って先に出ている。証拠を王城へ運ぶ役目だ」
「カイルなら、もう出口に着いている?」
「予定では」
その時、遠くで馬車の軋む音がした。
王都の外へ続く出口の近く。
そこには、黒い外套の男たちが立っていた。
中心にいるのは、ルシアン公爵だった。
地下炉が停止したことを知っている顔だった。
彼の前には、膝をついたカイルがいる。
カイルの手から、封印箱が奪われていた。
箱の表面には、公爵家の紋章が刻まれている。
ルシアンは箱を持ち上げ、僕たちのいる地下路の出口を見た。
「遅かったな」
その声が、暗い王都の空気を切った。
「英雄殿」
僕は短剣を握り直した。
炉は止まった。
けれど、戦いはまだ終わっていない。




