最後の一息
僕は金属管の表面へ指を押し当てた。管の中を流れるのは魔力ではない。炉を作った者が、出力を逃がす先を決めた、座標固定の古い記憶だった。そこへ、二つの道を作る。
「ユーリ、座標の境界が揺れている」
レヴィが背中越しに言った。
「右は孤児院区画を避ける。左は古代空洞へつながる」
「どちらも、まだ安定していない」
「だから同時に押さえる」
「二人の魔力を、同じ瞬間に重ねる必要がある」
レヴィの言葉に、僕は頷いた。
指先の下で、青い線と灰色の線が触れては離れる。どちらか一方だけでは足りない。
線が重なれば、地下炉全体が一つの破裂点になる。
「ユーリ、残り十五秒です!」
フィーナの声が、通信札から響いた。
「三つの印は維持しています。ガウェインさん、エレオノーラさん、灰印の出力をこちらへ!」
「法印、固定した」
ガウェインが答えた。
「だが、魔力の逆流が強い。フィーナ、後ろへ下がれ」
「下がれません。ここを離れれば、座標が消えます」
「なら、私が前に立つ」
鈍い衝撃が通信札の向こうから伝わった。
ガウェインが、崩れ落ちる石材を受け止めたのだろう。
「影印、固定」
エレオノーラの声も続いた。
「左側の座標が孤児院へ寄っている。修正できるか」
「今、やる」
僕は金属管の印へ魔力を流した。
座標線が二つに分かれる。
一つは青い光。
一つは灰色の光。
青い光が、孤児院区画の周囲をなぞった。
あと少しで避けられる。
だが、炉心の中心に残した一割の出力が、急に膨らんだ。
「何だ?」
レヴィの剣が震えた。
「中心の緩衝材が、座標を押し戻している」
「なら、緩衝材を捨てる」
「駄目だ。反動で孤児院ごと消える」
「別の受け皿が必要か」
「空洞へ流すには、最後の弁を開ける必要がある」
僕は金属管の奥を見た。
そこには、管を塞いでいる灰色の塊があった。
管を塞いでいたのは古代炉の部品ではなく、誰かが後から押し込んだ灰印の破片だった。
「父さんが閉じた帰還路だ」
アーノルドが、通信札越しに言った。
「私の灰印を使え」
「どうやって?」
「私自身が、炉心へ入る」
「父さん!」
「印は、持っているだけでは足りない。救援隊の魔力を、帰還路へ通す必要がある」
「今の父さんが入れば、戻れない」
「戻る」
父の声は、はっきりしていた。
「十四年前に閉じた道を、今度は開けて戻る」
「父さん、動ける状態じゃない」
「お前が、戻る座標を作っている」
灰印の光が、地下の制御室から階段へ伸びてきた。
父は、負傷した身体を引きずってここまで来たのだ。
レヴィが背中越しに息を呑む。
「アーノルド、来るな。ここは危険すぎる」
「レヴィ、息子を頼む」
「頼まれなくても、俺は」
言葉が途切れた。
「……分かった。だが、戻れ」
「戻るとも」
父が、僕の横へ立った。
胸元の灰印はすでに皮膚と一体化し、息をするたび、焼けた縁が赤く脈打っていた。
「ユーリ、私の魔力を灰色の座標へ流せ」
「父さんの身体が持たない」
「持たせるのではない。お前が帰還路を作る」
父は金属管へ手を置いた。
灰色の光が、管の中へ沈んでいく。
塞がれていた弁が、ゆっくりと開いた。
古代空洞へ続く座標が、はっきりと浮かび上がる。
だが、同時に、別の魔力が割り込んだ。
「その弁を閉じろ!」
ヴィンセントの声が、別の通信札から響いた。
拘束されているはずの彼が、何かを操作している。
「炉心を空洞へ逃がせば、兵器の核が失われる。帝国は、そんな結末を認めない!」
「帝国のために、王都ごと消すのか」
セリアの声が重なった。
「違う。王都は壊れる。だが、核が残れば、帝国は次の兵器を作れる!」
通信札の奥で、金属が擦れる音がした。
ヴィンセントは拘束具の中へ、隠し持っていた小さな制御部品を差し込んでいる。
赤い結界が、再び孤児院区画へ傾いた。
「セリア、部品を破壊して!」
「距離があります」
「魔導銃なら届く」
「外せば、ヴィンセントに当たります」
「外す必要はない。狙いは部品だけだ」
短い沈黙。
「……分かりました」
通信札の向こうで、魔導銃の術式が組み上がった。
次の瞬間、鋭い光が走る。
魔導弾は、ヴィンセントの手元にある制御部品だけを撃ち抜いた。
部品が砕け、赤い結界の揺らぎが止まる。
「ヴィンセント、あなたの命令は終わりです」
セリアの声は震えていた。
「私は、もう誰かの王都を壊すために撃たない」
「裏切り者め!」
「違います」
セリアは、静かに答えた。
「私は、今いる人を守る側へ戻っただけです」
座標線が安定した。
孤児院区画を避け、古代空洞へ伸びる二本の線が、ようやく一つの術式として重なる。
「ユーリ!」
レヴィが叫んだ。
「今だ。二人の魔力を合わせる」
僕は、金属管へ流す魔力を細く絞った。
レヴィは、魔導長剣の刃を術式の中心へ差し込む。
青い魔力と、僕の白い魔力が触れた。
拒絶反応が起き、腕が弾かれて視界が白く染まった。
「押さえろ!」
「押さえている!」
「違う、魔力を従わせるな。流れを聞け!」
僕は魔力を押し込むのをやめた。レヴィが作った道へ出力が流れるのを待ち、彼も圧力の変化に合わせて剣の角度を変えた。青と白の光が、ひとつの細い線になった。
古代空洞の座標が、王都の外側へ移った。
「残り、三秒!」
フィーナが叫んだ。
アーノルドの灰印が、赤く焼けた。
「父さん!」
「手を離すな、ユーリ!」
ガウェインの法印が砕けかける。
エレオノーラの影印が、闇の中で明滅する。
レヴィの魔導長剣に亀裂が走った。
「二秒!」
孤児院区画の青い印が、座標線から外れる。
パックとヴォルクが、子どもたちを出口へ運んでいる。
まだ全員は出ていない。
「一秒!」
僕は、最後に残った出力を古代空洞へ押し込んだ。
レヴィが剣を握り直す。
「ユーリ、同時に離す!」
「分かった!」
「三つ!」
アーノルドの灰印が、炉心の中心へ沈む。
「二つ!」
ガウェインとエレオノーラの印が、同時に輝く。
「一つ!」
レヴィが叫んだ。
僕たちは、同時に手を離した。
世界から、音が消えた。
赤い光が、すべて白へ変わる。
出力表示が、残り〇・一秒で止まった。
僕は、息をすることも忘れていた。
炉心の奥へ、爆発の座標が吸い込まれていく。
王都の地下ではない。
孤児院でもない。
誰もいない古代空洞へ。
出力表示が、ゼロになる。
赤い結界が消えた。
アーノルドの身体が崩れ、僕は慌てて抱き止めた。
レヴィの魔導長剣が、甲高い音を立てて折れる。
通信札の向こうで、フィーナが泣きそうな声を漏らした。
「止まった……?」
誰も答えなかった。
完全な静寂の中で、炉の奥から小さな鼓動が一度だけ鳴った。
どくん。




