大剣を引く者
灰印の拘束具が外れた瞬間、制御室の天井が割れた。
巨大な石材が、アーノルドのいる場所へ落ちてくる。
僕は動けなかった。
崩れた鉄骨と白い粉塵が、今の制御室へ重なった。誰かを置けば全員が助かる。そう判断した前世の瞬間へ、身体だけが戻った。
呼吸が止まり、短剣を握った手が動かない。
「ユーリ!」
レヴィの声が聞こえた。
だが、身体が反応しない。
天井が落ちる。
レヴィは僕の前へ出た。
魔導長剣を両手で構え、落下してきた石材を受け止める。
衝撃で、彼の膝が床へ沈んだ。
「レヴィ!」
「動け!」
魔導長剣の刃が、石材の中央へ食い込んでいる。
長剣は折れなかった。
だが、レヴィの腕から血が流れ、足元の魔力路へ落ちた。
「父さんを、動かせ!」
その言葉が、今の世界の音として届いた。
僕は顔を上げた。
レヴィが、僕の前に立っている。
前世の瓦礫の中で、僕が見捨てたと思われていた相棒と同じ顔をしている。
けれど、今の彼は違う。
僕を殺すためではなく、僕の前に立つために剣を引いている。
「アーノルド!」
僕は父へ走った。
灰印の拘束具が、片方だけ外れている。もう片方は、炉の魔力路とつながったままだ。
父の身体が、制御室の奥へ引かれていく。
僕は腰の工具を取り出し、拘束具の継ぎ目へ差し込んだ。
「それを外せば、灰印の経路が切れる!」
フィーナの声が通信札から響く。
「救援隊の印がなくなれば、出力が避難区画へ流れます!」
「なら、外さない!」
僕は工具を止めた。
拘束具を壊すのではなく、引かれている魔力の向きを変える。
前世の知識が、今の魔導構造へ重なった。
固定するための部品は、力を受ける場所ではない。
力を逃がすための分岐が、必ずある。
僕は拘束具の裏側へ手を入れた。
熱い。
指先の皮膚が焼ける。
「ユーリ、早くしろ!」
レヴィが叫んだ。
石材が、さらに沈む。
魔導長剣の刃が軋み、レヴィの肩が震えた。
石材の縁から落ちた粉塵が、三拍目だけ左へ流れた。床へ伝わる震えも、わずかに途切れている。重さの一部が、剣ではなく支柱へ逃げる瞬間だ。
「レヴィ、三拍目で左へ力を逃がせ!」
「何だと?」
「炉が切り替わる。三拍目の後に、石材の重さが一瞬だけ変わる!」
一拍。
二拍。
三拍。
心臓の脈動が響いた。
レヴィは、僕の言葉を信じた。
三拍目の直後、魔導長剣の角度をわずかに変える。
石材の重量が、剣の刃から床の支柱へ流れた。
レヴィの膝が、わずかに浮く。
「今だ!」
僕は拘束具の裏側にある分岐板を押し込んだ。
灰印の魔力が、父の身体ではなく、壁の救援経路へ流れ始める。
アーノルドの身体が、引かれる力から解放された。
僕は父の腕を掴み、制御室の壁際へ引きずった。
父の呼吸は浅かった。
胸元には、さっきまで灰印が放っていた熱の跡が残っている。皮膚に刻まれた古い傷の上へ、新しい赤い線が重なっていた。
「父さん、聞こえる?」
「……ユーリ、か」
「そう。今、拘束具の経路を避難路へ流した。印は残っている。けれど、炉の出力が止まったわけじゃない」
「なら……私を置いていけ」
その言葉に、指が止まった。
父は、十四年前にも同じ判断をしたのだろう。
「嫌だ」
口から出た声は、思ったより幼かった。
「僕は、置いていかない。父さんも、レヴィも、避難区画の人たちも」
「それでは、全員を失う」
「だから、見つかるまで考える」
正しさの陰へ、残された一人の絶望を隠すことだけは、もう繰り返さない。
レヴィの剣が、再び低く軋む。
「ユーリ、考えるのは走りながらにしろ!」
「父さんを連れていく。レヴィ、石材の支柱を右へ寄せられる?」
「三拍子の切り替わりを使えばな。だが、次は剣が保たない」
「壊れる前に一度だけ受けて。僕が支柱の魔力路を繋ぎ直す」
「分かった」
即答だった。
レヴィは僕の手元を見ながら、できる役割を引き受けてくれた。
僕は父の肩を担いだ。思ったより重い。けれど、以前のように重さを数字へ変換することはできなかった。
ひとりの人間を、ひとつの損失として数えたくなかった。
父の手が、僕の外套を掴む。
「ユーリ……レヴィを、置いていくな」
「置いていかない」
「お前は、昔から……自分だけ戻ろうとする」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
父が知るはずのない、あの時の場面を言い当てられた気がした。
けれど、これは父が十四年前から見てきた僕の癖なのだろう。誰かを助けるために、誰にも知らせず危険な場所へ入り、最後には自分だけが戻ればいいと考える癖。
「もうしない」
僕は、父の手を握り返した。
「今度は、戻る場所を一緒に決める」
「ユーリ、左だ!」
レヴィが叫ぶ。
別の梁が落ちてきた。
僕は父を押し倒し、自分の背で覆う。
大きな影が視界を塞いだ。
だが、梁は床へ落ちなかった。
レヴィが魔導長剣を引き抜き、横から叩き落としていた。
石材が二つに割れ、僕たちの脇を滑っていく。
「二度も助けられたな」
僕が言うと、レヴィは息を切らしながら笑った。
「一度目は、前世の借りだ」
「二度目は?」
「今世の借りにしておく」
「高くつきそうだ」
「お前が説明を怠るたびに、利子が増える」
レヴィは魔導長剣を床へ突き立てた。
腕が震えている。
今の身体で、落下する石材を受け止めたのだ。
腕を震わせながらも、レヴィは僕の前から退かなかった。
かつて僕が戻った崩壊現場で、彼が待ち続けた時間を思う。
「レヴィ」
僕は言った。
「前世のことを、全部は思い出せていない」
「知っている」
「でも、もう一人で決めない」
「それも知っている」
「今世の僕たちは、まだ間に合う」
レヴィは、制御室の奥を見た。
赤い魔力が、崩れた天井の隙間から噴き出している。
「なら、立て」
彼は魔導長剣を抜いた。
「今度は、俺が先に戻る」
僕は父を壁際へ預け、短剣を拾った。
セリアはヴィンセントを拘束し、フィーナは三重封印を支えている。
エレオノーラは影班の秘印へ手を置き、ガウェインは崩れた通路の向こうから避難路を確保していた。
誰も一人で全部を背負っていない。
それでも、炉は止まらない。
制御室の奥から、鐘が三度鳴った。
炉の内部表示が切り替わる。
都市消滅まで、残り三分。




