途切れた通信
レヴィの魔導長剣が、僕の胸へ迫っていた。
避ければ、背後の制御環が壊れる。
受ければ、胸を貫かれる。
どちらを選ぶか決める前に、通信札からフィーナの声が響いた。
「待ってください! 十四年前の通信記録が、残っています!」
レヴィの剣が、わずかに止まった。
刃先が胸の皮膚へ触れ、赤い血が一筋流れる。
「通信記録?」
ガウェインの声が、別の札から返った。
「王都中央の地下路で、古い魔導記録板を見つけました。救援隊が使っていた中継器の一部です」
「それを今、復元しているのか」
「記録板に残った魔力の残響を、現在の封印へ通しているだけです。内容を書き換えているわけではありません」
フィーナの声の向こうで、石が崩れた。
「送信側の魔力の向きと、受信側の損傷が合っています。グラキエスに残された記録です」
僕の胸へ触れていた刃が、ほんの少し下がった。
フィーナが、別の記録札へ魔力を流す。
雑音が入った。
遠い風の音。
崩れた石を踏む足音。
誰かの浅い呼吸。
そして、若い男の声が聞こえた。
今のアーノルドより、ずっと若い声だった。
『救援撤回命令を受領。繰り返す。救援撤回命令を受領』
レヴィの顔から、血の気が引いた。
音声の向こうで、別の兵士が叫んでいる。
『隊長、炉の入口にまだ住民がいます! 子どもが九人、負傷者が十七人!』
『武器を捨てろ。救護路を開ける』
アーノルドの声が、記録板から響いた。
『避難民を最優先にする。発掘品と軍用具は残せ。誰かが戻ってくるまで、灰印の道を守れ』
魔導記録の音が一度、強く乱れた。
それでも、言葉は消えなかった。
『私が最後に出る。全員が救護路へ入るまで、炉へ近づくな』
そこで音声が途切れた。
記録板の損傷が、十四年前の最後の数秒を奪っている。
けれど、命令の内容は残っていた。
撤回命令の後も、アーノルドは避難民を先に逃がそうとしていた。
「これは、アーノルド本人の声です」
フィーナが言った。
「記録板の魔力署名と、壁に残っていた灰印の経路が一致しています。後から作られた偽記録ではありません」
フィーナの声の向こうで、金属板を削る音がした。記録を再生するたび、古い中継器の残りが一枚ずつ崩れている。
「あと何度、再生できますか」
ガウェインが訊いた。
「一度です。次に出力が跳ねれば、板そのものが割れます」
「なら、もう一度はない」
フィーナは返事の代わりに、記録板の周囲へ細い封印糸を巻いた。糸は板を固定するためではない。次の再生でどの部分が崩れるかを見分けるための、簡素な目印だった。
ガウェインが短く訊く。
「証拠を持ち出せるか」
「今は無理です。板を動かせば、音声の残響が切れます」
「なら、私がここに残る。君たちは炉を止めろ」
そのやり取りの途中で、制御室の天井が鳴った。
細かな石粉が、記録板のある側と炉心のある側へ同時に落ちてくる。
ガウェインの短い声が、通信札を通って炉の中へ落ちた。
僕は、動けなかった。
レヴィの剣先は、まだ胸の前にある。
けれど、刃先がわずかに下がった。彼の視線は僕ではなく、通信札の光へ向いている。
制御室の床が大きく傾いた。壁の向こうで、避難区画へ続く支柱が折れる音がする。フィーナの札から、細い糸が切れる音が響いた。
「記録板の封印糸が一本、切れました」
「次の再生は?」
ガウェインの問いに、フィーナはすぐ答えなかった。
「ありません。今の再生で、最後の損傷部が崩れます」
「なら、聞いた者が証言する」
ガウェインの声が、僕とレヴィの間へ落ちた。
「記録を失っても、聞いた事実まで消えるわけではない」
記録板の音が消えたあとも、耳の奥には別の音が残った。
白い粉塵。鉄骨の隙間で揺れる赤い灯り。
前世の僕は、負傷したレヴィへ通信具を向けていた。僕らは作戦上の敵だったが、避難路の向こうに民間人が残っていた。
『民間人を頼む。お前ならやれる。俺は中へ戻る』
僕が制御室へ戻った直後、通信が切れた。レヴィが見たのは、崩落の向こうへ消える僕の背中だけだった。
レヴィの指が、魔導長剣の柄を強く握った。
刃先は僕へ戻らなかった。代わりに、崩れかけた天井を向いた。
僕は、戻った理由と彼へ預けた命令を伝えたかった。けれど、炉の脈動が早まり、言葉を選ぶ時間を削っていく。
「レヴィ」
僕は胸の傷を押さえた。
「僕は、前世でお前を捨てていない」
「俺が聞いたのは崩壊音だけだ。何も説明せず、勝手に消えた」
「説明しなかった。僕の落ち度だ」
レヴィの剣先が揺れた。
「俺は、お前を殺すために生きてきた」
「知っている」
「なら、今世でも誰かを選んで置いていくのか」
「置いていかない。今度は、僕一人で決めない」
通信札の表示が一つ減った。残り時間は、十一分を切っている。
「お前は炉の出力を読む。僕は灰印の経路を開く。父さんと避難民は、フィーナとヴォルクに任せる」
「失敗したら?」
「その時は、お前が制御部を切る」
「俺に、殺す役割を預けるのか」
「止める役割を預ける」
レヴィは剣を下ろした。
「……説明が遅い」
「悪かった」
「まだ許していない」
「分かっている」
その背後で、炉の拘束具が一つ、外れた。
巨大な金属音が響く。
灰印に縛られていたアーノルドの身体が、制御室の奥へ引き寄せられた。
心臓の出力計が、赤く明滅する。
炉は、まだ僕たちの決断を待っていなかった。




