↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
極寒の逃走・前世覚醒編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/14

消される患者

 外の声は、ここに患者がいることも、中に何人いるかも気に留めず、ただ「盗難犯を引き渡せ」と命じていた。


 僕は床に置いたシチューの椀を見つめた。まだ湯気が残っている。床板へ広がった汁が、暖炉の赤い光を歪めていた。


「エリーゼ先生」


 ミーシャが小声で呼んだ。


「裏口、開ける?」


「駄目よ。裏にもいるわ」


 エリーゼは窓を見ずに答えた。


 その判断に迷いがない。外の人数を直接見ていなくても、魔力の流れと雪の沈み方から包囲を読んでいるのだろう。


 扉の向こうで、誰かが雪を踏んだ。


 一人ではない。


 右に三人。正面に四人。屋根の上に二人。診療所の裏には、さらに別の足音がある。


 僕には、聞こえていた。


 だが、聞こえたことを言えば、普通の配達員ではないと疑われる。黙っていれば、患者が危険になる。


「外に、十二人以上います」


 僕が言うと、シアンが振り返った。


「ユーリ、どうして――」


「耳がいいんです」


 苦しい言い訳だった。


 エリーゼは疑問を口にしなかった。代わりに、寝台の奥にいた子どもたちへ声をかける。


「ミーシャ、地下貯蔵室へ案内して。歩ける子から順番に。咳をしている子は毛布で口を覆って」


「先生は?」


「私は残るわ」


「残るって、何をするの?」


「患者を診るの」


 エリーゼは淡々としていた。


「相手が王国兵でも、帝国兵でも、暗殺者でも、怪我をしたら診る。それが医者の仕事よ」


 外で低い魔力音が膨らんだ。


「伏せて!」


 僕が叫ぶより早く、パックが寝台を蹴った。


 厚い木製の寝台が横倒しになり、患者たちの前へ壁を作る。その直後、窓を破って魔導弾が飛び込んできた。


 ガラス片が散った。


 弾は壁へ食い込み、青黒い魔力の亀裂を走らせる。命中した場所から、冷気が噴き出した。


 帝国式の封殺弾。


 人を撃つためではなく、建物の中の魔力と熱を奪うための弾だ。診療所の暖炉が弱まり、息を吐くたび白い霧が生まれた。


「患者を狙ってる!」


 シアンが短剣を抜いた。


 彼の動きは、ギルド職員のものではなかった。腰を落とし、窓と扉の射線を同時に避けている。左手も、何も隠さず膝の上に置かれていた。


 外の指揮官が叫ぶ。


「中にいる者は全員、接触者だ。男だけではない。子どもも、医師も、獣人も残すな」


 胸の奥が冷えた。


 僕たちを追ってきた連中は、心臓を取り戻したいわけではない。


 箱を見た人間を、シアンと話した人間を、僕を治療した人間を、記録から消すつもりだ。


「ヴォルク隊長は?」


 ミーシャが尋ねた。


 エリーゼが窓の隙間から外を見た。


「外で戦っている。けれど、こちらへ回れる人数ではないわ」


 遠くで魔導銃の発射音が連続した。雪壁の向こうから、ヴォルクの部下が応戦している。しかし、敵は正面から攻めていない。診療所を囲み、警備隊を外へ引き離している。


 目的は最初から、建物の中にいる僕たちだった。


「地下へ行きましょう!」


 ミーシャが子どもの手を引いた。


 僕は周囲を見た。


 診療所の中央にある暖炉。西側の薬棚。廊下へ続く細い扉。地下貯蔵室へ降りる階段。屋根裏へ通じる点検口。


 敵は三方向から入ろうとしている。扉は正面班、窓は右班、屋根は上からの侵入役。裏口の班は、逃げた者を待つ役だ。


 正面から押し込まれたら、地下への階段が塞がれる。


「ミーシャ、子どもたちを先に。階段を下りたら、右の壁沿いに進んで」


「どうして右?」


「左側は薬品棚の配管が通っている。魔力が漏れているから、敵が封殺弾を撃てば爆ぜる」


 言ってから、しまったと思った。


 ミーシャは驚かなかった。


「わかった。右ね」


 彼女は子どもたちを連れて、地下への扉へ走った。


 シアンが僕の横へ来る。


「配管のことまで、見えてるのか?」


「診療所は入る前に見ました」


「そんな時間、なかっただろ」


「シアン」


 彼の言葉を遮った。


「今は僕を疑う時間じゃない」


「疑ってるんじゃない。お前が何を隠してるのか、怖いんだ」


 シアンの声が震えた。


 その直後、正面の扉が内側へ吹き飛んだ。


 魔導弾ではない。扉の封印を逆流させ、蝶番だけを破壊したのだ。木片が飛び、エリーゼが患者を庇って床へ倒れる。


「一班、侵入!」


 黒い外套の男が三人、煙の向こうから入ってきた。顔は覆面で隠され、胸元に所属章はない。魔導銃の銃口には消音用の封印筒が取り付けられている。


 殺すことに慣れた装備だった。


 僕は床に落ちた薬瓶を蹴った。


 瓶が男の足元で割れ、透明な液体が広がる。薬液そのものに毒はない。しかし、床へ触れた瞬間、暖炉から伸びていた微弱な魔力を反射した。


 黒い外套の男が足を滑らせる。


 シアンが踏み込み、短剣の柄で魔導銃を叩き落とした。男の手首が跳ね、銃口が天井を向く。二人目がシアンへ魔導弾を向けた。


 僕は棚を引いた。


 薬瓶が一斉に倒れ、床へ転がった。シアンと男の間に透明な瓶の壁ができる。魔導弾は瓶を割り、薬液を霧に変えた。


「目を閉じて!」


 エリーゼが叫ぶ。


 薬液は刺激性が強い。敵だけでなく、こちらも動けなくなる。だが、外套の男たちは目を閉じるのが遅れた。彼らは患者を見ていた。誰を最初に消すか選んでいたからだ。


 僕はその隙に、倒れた寝台を押した。


 重い。


 左腕が痛み、傷口から熱が走る。それでも寝台は数十センチ動いた。地下階段の前に通路が生まれる。


「ミーシャ、今!」


 地下から返事はない。


 嫌な沈黙だった。


 裏口の班が、先に地下へ回ったのかもしれない。


 僕は廊下へ走った。だが、足を踏み出した瞬間、天井から魔導弾が落ちてきた。


 屋根の上の敵だ。


 僕は身体をひねり、弾を避けた。弾は床に当たり、白い封印の輪を広げる。輪の中に入ったものから、魔力が抜けていく。


 足が重くなった。


 肺が冷たい。


 前世なら、すぐに射線を外していた。今の僕は、足を滑らせて壁へ肩をぶつけることしかできない。


「ユーリ!」


 シアンが魔導銃を拾い、屋根へ向けて撃った。


 発射音が一つ。


 弾は屋根を貫いたが、敵を倒すには至らない。逆に、彼の位置が知られた。


「馬鹿!」


 僕はシアンを引いた。


 次の魔導弾が、彼のいた場所へ突き刺さる。


 外の指揮官が、冷たく言った。


「封印を残せ。証言はいらない。人間は消せ」


 その言葉が、耳の奥へ残った。


 人間を消す。


 証拠が残れば、誰かが疑う。疑う人間がいなければ、どんな記録でも正しいことになる。


 僕は、目の前の敵を見た。


 手が震えている。


 怖い。


 魔導銃を持った男たちも、患者も、子どもたちも、同じ建物の中にいる。僕が戦えば、誰かを巻き込む。戦わなければ、誰かが殺される。


「ユーリ、地下、駄目!」


 ミーシャの声がした。


 地下階段の途中に、黒い外套の男が立っている。子どもたちの前に回り込んでいた。


 男が魔導銃を向ける。


 ミーシャは小さな身体で子どもを庇っていた。エリーゼは患者から離れられない。シアンは正面の三人を止めている。パックは倒れた寝台を押さえ、外から入る雪を防いでいた。


 誰も、僕を見ていない。


 誰も、僕に命令していない。


 だからこそ、僕が選ばなければならなかった。


 僕は壁に背を預けた。


 視界が狭くなる。魔導弾の軌道も、敵の足の向きも、逃げ道も、わかる。わかるのに、身体が動かない。


 腕の痛みが、心臓の鼓動に合わせて強くなる。


 遠くで、誰かが三度、壁を叩いた。


 ――トン、トン、トン。


 その音に重なるように、頭の中で知らない声が笑った。


「おい、情けねえな」


 子どもへ向けられた魔導銃の安全封印が、視界の中で赤く浮かび上がる。


 声が、もう一度響いた。


「身体を貸せ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。