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『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
王都地下炉・最後の受領編

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命令線の切れ目

 セリアは、床に滑ってきた魔導銃を拾った。


 冷たい金属が、彼女の手の中で震えている。


 正面にはヴィンセント。


 背後には、帝国の制御環と脈打つ心臓。


 左右には、こちらを狙う帝国兵。


 魔導銃の照準をヴィンセントへ向ければ、命令は完了する。


 彼を撃ち、帝国軍人として最後の任務を果たす。


 それで、セリアは帝国へ戻れない。


 戻る場所がないことを、命令という形で確認できる。


「撃て」


 ヴィンセントが繰り返した。


「お前は、命令に従うことでしか自分を証明できない」


 セリアの指が、引き金へ触れた。


 僕は、彼女の照準の先を見た。


 ヴィンセントの胸ではない。


 彼の肩に取り付けられた黒い通信具。


 帝国軍の地上部隊と地下部隊をつなぐ、指揮の中心だ。


 あれを壊せば、帝国の命令は分断される。


 だが、ヴィンセントは肩の通信具へ向いた照準を見ていた。


 だから、彼は自分を撃てと言っている。


 通信具を狙えば、命令違反になる。


 心臓と制御環をつないだまま、指揮だけを切る必要がある。


 セリアが撃つべき相手は、目の前の男ではなかった。


「セリア」


 僕は小さく呼んだ。


 彼女の視線が、一瞬だけ動く。


「撃つ場所を、自分で決めろ」


 ヴィンセントの目が細くなった。


「余計な助言をするな。彼女は帝国の命令を理解している」


「理解しているから、狙いを変える」


 レヴィが魔導剣の柄へ手をかける。


 帝国兵が一斉に武器を構えた。


「動くな!」


 ヴィンセントが叫んだ。


「制御環へ干渉すれば、心臓の出力が上がる」


 その言葉に、アーノルドが足を止めた。


 誰も、正面からヴィンセントへ近づけない。


 今この場で、撃てるのはセリアだけだった。


 彼女は魔導銃を構えたまま、低い声で言った。


「ヴィンセント。命令の意味を確認します」


「何を確認する」


「私が撃つ対象は、あなたですか」


「そうだ」


「帝国の指揮を維持する通信具ではなく?」


「そうだ」


 ヴィンセントの返事は早かった。


 その速さが、逆に答えを示していた。


 彼は、通信具を壊されることを恐れているようだ。


 セリアは、彼の命令を最後まで聞いた。


 そして、自分で解釈した。


「分かりました」


 魔導銃の発射音が、炉の空間を震わせた。


 青白い魔導弾が、ヴィンセントの胸元を外れて飛ぶ。


 帝国兵の一人が息を呑んだ。


 魔導弾は、ヴィンセントの肩にある通信具へ命中した。


 黒い金属が砕け、赤い魔力の線が周囲へ散る。


 ヴィンセントの声が、途中で切れた。


 同時に、帝国軍の魔導通信札が一斉に明滅する。


 地上の部隊へ送られていた命令が、途切れた。


 地下の部隊へ届くはずだった指示が、別の場所へ流れた。


 心臓の脈動だけが、空間の中心で続いている。


「何をした!」


 ヴィンセントが初めて声を荒らげた。


「命令の最後まで聞きました」


 セリアは魔導銃を下ろさなかった。


「あなたの肩にある通信具を撃ちました。命令の中継を切るためです」


「反逆者め!」


「その呼び方も、記録してください」


 セリアは、壊れた通信具の残骸へ視線を戻した。


「私は、帝国の潜入員だった記録を消しません。王国の味方になったとも言いません」


 彼女の左手が、黒い糸の跡をなぞる。


「帝国の命令書に、人を殺せとは書かれていません。あなたの言葉を、命令書より上には置かなかっただけです」


 その言葉が落ちた瞬間、地下炉の別の区画から魔導弾の発射音が響いた。


 帝国軍が、指揮を失ったまま撃ち合っている。


 制御環を守る部隊と、心臓を運び出そうとする部隊が、互いを敵と誤認したのだ。


 ヴィンセントが、壊れた通信具へ手を伸ばした。


「止まれ。これは、帝国の命令だ」


 返事はない。


 赤い魔力の線が、彼の指先で何度も弾けるだけだった。


「通信が切れています」


 フィーナが鑑定鏡を見た。


「制御具そのものは生きていますが、命令の中継が失われた。各部隊が最後に受けた命令だけで動いています」


「最後の命令は?」


「心臓を確保し、制御環を守ることです」


 レヴィが呟いた。


「だから、互いに心臓へ近づく者を敵と判断している」


 遠くの通路で、帝国兵が倒れた。


 その隣には、黒い羽根の腕章をつけた黎明の瞳の強硬派がいる。


 強硬派もまた、帝国の制御環を壊そうとしていた。


 帝国兵はそれを防ぎ、別の帝国兵は心臓を運び出そうとしている。


 命令が分かれたことで、敵の戦力が互いに食い合っていた。


 その時、地下の別区画から短い通信が入った。


「敵、三人。武器、持ツ」


 片言の声だった。


 けれど、誰の声かは分かる。


「アリーシャ?」


 僕が訊いた。


「生キテル。クリス、上、見テル」


 アリーシャは、救護区画の近くにある帝国の拘束室へ移されていた。


 彼女を運んだクリスは、要塞外壁の古鐘楼から遠距離監視を続けている。


 アリーシャは、まだ左脚を引きずっていた。


 それでも、帝国兵の足音と武器の位置を正確に伝えている。


「敵は、セリアを捕まえに来ている」


 アリーシャが言った。


「命令、私、聞イタ。セリア、処刑。生キテイタラ、孤児院、消ス」


「お前は、どうする」


 クリスの声が、別の通信札から重なった。


「撃てるか?」


 アリーシャは、壊れた魔導銃の代わりに渡された短い武器を見た。


 それは帝国の制圧用魔導具だった。


 使えば、通路の兵士を殺せる。


 使わなければ、救護区画へ入られる。


「撃ツ」


 アリーシャは短く答えた。


「デモ、殺サナイ」


 彼女の魔導弾が、帝国兵の武器だけを破壊した。


 続けて、拘束室の扉の鍵を撃ち抜く。


 中に閉じ込められていた救護員と子どもたちが、地下水路へ逃げていく。


「敵、止メタ。子ども、逃ゲル」


 アリーシャの声は、まだ平坦だった。


 だが、最後の言葉だけは、わずかに揺れていた。


「私、選ンダ」


 その通信を聞いたセリアは、魔導銃を握り直した。


「アリーシャ。あなたの報告は、私が受け取りました」


 ヴィンセントは、壊れた通信具を捨てた。


 彼の目に、初めて苛立ちが浮かぶ。


「命令を拒む者が、何を選べる」


「人を殺さないことを選べます」


「それは、帝国に逆らうことだ」


「なら、逆らいます」


 セリアは魔導銃をヴィンセントへ向けたまま、引き金から指を外した。


 撃たない。


 それは彼を許すことでも、仲間になることでもない。


 ただ、命令に従って人を殺す自分を、もう選ばないということだった。


 次の瞬間、心臓の脈動が乱れた。


 一拍。


 二拍。


 間隔が、短くなる。


 フィーナが空中の数字を見上げた。


「制御環の緊急移行が始まっています!」


 王都地下炉の表示に刻まれていた数字が、十五から十へ飛んだ。


 心臓の出力が上がった。


 通信を破壊したことで、帝国の指揮は分断された。


 同時に、炉の安全装置が最後の命令を実行し始めた。


 都市を守る時間が、さらに五分、失われた。


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