監察官の道
石の扉が、ゆっくりと開いた。
扉の奥にあったのは、古代炉の中心へ続く巨大な空間だった。
床には三本の魔力路が走り、壁の奥へ伸びている。中央には円形の台座があり、その周囲へ帝国式の黒い制御環が取り付けられていた。
台座の上で、禁忌の心臓が一定の間隔で脈打つたび、黒い制御環が赤く光った。
誰かが手で運び込んだ形跡はない。
台座の脇には、白布の焦げた切れ端と、魔導装甲車の固定具と同じ金属の留め金が落ちている。受領路が荷を受け取った後、台座側の封印が箱だけを開いたのだ。
心臓の底には、さきほど魔導装甲車の固定具に残っていたものと同じ三本の溝が、赤い光を帯びている。
「車から、ここへ移されたのか」
レヴィが魔導剣へ手をかける。
「はい。三重の印で座標が固定された瞬間、車内の固定具が出発側、この台座が受領側として動いたんです」
フィーナが鑑定鏡を覗いた。
「心臓を運んだのは、地下に掘られた通路ではありません。古代炉が持つ受領路です。敵は台座側の受領口を、先に帝国式の制御環で起こしていました」
フィーナは鑑定鏡を閉じ、魔導装甲車の固定具を指した。
「この受領路は、古代炉が暴走兵器として使われる前に、災害時の物資を運ぶために各地へ張り巡らされていたものです。旧塩鉱道の調査車へ組み込まれていたのは、その接続片が補強材として再利用されていたからです」
フィーナは、魔導装甲車の固定具に残った三本の溝を記録板へ写し取った。誰かが後世の車両へ受領口を新設したのではない。古代の救援設備が、意味を失ったまま辺境の車体へ残されていたのだ。
「心臓を、炉へ固定したのか」
「固定しただけではありません」
「制御環が三重封印の魔力を吸い上げています。王家、影班、救援隊。三つの印を、帝国式の一つの命令へまとめようとしている」
台座の前に、一人の男が立っていた。
白い軍服に黒い外套。
胸元には、帝国監察院を示す銀の徽章がある。周囲に兵士はいなかった。必要がないのだろう。
男の右手には、三つの輪が組み合わさった制御部品。
「帝国監察官ヴィンセント」
セリアが呟いた。
ヴィンセントは、彼女を見た。
「潜入員セリア。帰還命令を無視し、偽物を渡し、敵対組織へ情報を漏らした者」
名前を呼んでいるのに、声には人間へ向ける温度がなかった。
兵器の型番を読み上げるような呼び方だった。
「私の名前を知っているなら、なぜ処刑命令を出したのですか」
「知っているからだ。任務に失敗した潜入員を、別の任務へ使うことはできない」
「私は、心臓の所在を報告します」
「すでに知っている。古代炉の受領路が開くよう、こちらの台座を先に起こしていた。装甲車の固定台は出発側、ここは受領側だ。三つの印が座標を固定した瞬間、心臓は運び手の手元からこちらへ移る」
ヴィンセントは制御部品を台座へ近づけた。
心臓の脈動が強くなる。
王都の地下から、遠くの建物が軋む音が返ってきた。
「君が本物を運んだことも、偽物を用意したことも、すべて監視されていた。偽物が輸送車内で起動した時点で、君の任務は失敗した」
「なら、なぜ自分で心臓を止めない」
僕が訊いた。
「帝国は、古代炉を止めるために来たのではない」
ヴィンセントは、王都の地下深くにある炉を見上げた。
「王都を滅ぼした後、心臓の技術だけを回収するために来た」
空間の壁に、帝国式の投影図が浮かび上がる。
王都地下炉の構造。
心臓の魔力路。
王都全体から吸い上げられる魔力の流れ。
「炉が最大出力へ達すれば、地下水路と基礎が崩れる。王宮も、貴族区画も、住民区画も区別なく沈む」
「帝国軍も巻き込まれる」
ガウェインが言った。
「救援部隊として入った兵士たちは、王都に残るつもりではない。制御環と心臓の技術を回収する部隊だけが、あらかじめ決めた地下路から離脱する」
「地上の兵士は?」
「帝国の兵士だろうと、公爵の兵士だろうと、王都の住民だろうと、作戦終了後の損失に含まれる」
ヴィンセントは淡々と答えた。
「帝国に必要なのは、壊れた都市から回収できる技術だけだ」
アーノルドが前へ出る。
「ルシアン公爵は、王国を支配できると思っている」
「彼は、そう思う必要がある」
ヴィンセントの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「公爵は王国を救った英雄になる。帝国軍を招き入れ、国王から指揮権を奪い、混乱後の臨時政権を作る。だが、炉が壊れた後に、彼の政権が必要かどうかは別の話だ」
「最初から、公爵も使い捨てるつもりだったのか」
「協力者は、目的を達成するまで協力者だ。達成した後は、記録の中に残すか、消すかを帝国が決める」
セリアの顔から、血の気が引いた。
彼女は帝国の命令を信じていた。
命令が法であり、帝国は約束を守ると教えられていた。
けれど、ヴィンセントが口にしているのは、命令の外側にある計算だった。
「孤児院の非戦闘員を保護する命令は?」
セリアが訊いた。
「攻撃の初期段階で、作戦の邪魔にならないようにするための措置だ」
「保護した後は?」
「記録に残る必要はない」
その答えを聞いて、セリアの左手が震えた。
「子どもたちは、帝国の国民ではありません」
「敵国の住民だ」
「薬を受け取った子どもも?」
「敵国の住民だ」
「私を育てた施設も?」
「敵国の施設だ」
同じ言葉を繰り返すだけで、ヴィンセントの声は揺れなかった。
セリアが見ていた帝国は、命令を守る国だった。
ヴィンセントが見ている帝国は、命令以外のものを切り捨てる国だった。
「セリア」
ヴィンセントは、彼女へ視線を戻した。
「最後の命令を伝える」
彼の肩にある黒い通信具が、赤く点灯する。
魔導通信を通して、帝国軍全体へ命令が流れた。
――潜入員セリアを反逆者に指定。
――抵抗した場合、現場の帝国兵は処分を許可。
――対象の処刑を、監察官の権限で実行する。
通信は現在のものだった。
記録を後から書き換えたのではない。
今この瞬間、帝国がセリアを切り捨てた。
通信が切れた直後、扉の左右から帝国兵が姿を現した。
「セリア、こちらへ来い」
ヴィンセントが言った。
「命令に従えば、苦痛は短い」
セリアは動かなかった。
レヴィが一歩前へ出る。
「こいつを殺すなら、俺が――」
「動かないでください」
セリアが止めた。
「ヴィンセントの手元にある制御部品が、心臓とつながっています。彼を倒せば、制御部品が破壊されるかもしれない」
「なら、なおさら先に倒すべきだ」
「違います」
セリアは、ヴィンセントから目を離さなかった。
「私は、彼を知っています。彼は、部品を壊すような持ち方をしない。制御部品を手放す時も、必ず魔力路を閉じる」
「敵をかばうのか」
「敵の手順を説明しています」
セリアはそう言ったが、声の奥には別のものがあった。
彼女は、最後まで自分の経験を任務として扱おうとしている。
その方が、心が壊れずに済むからだ。
僕はヴィンセントの肩にある通信具を見た。
帝国軍へ命令を送る装置。
あれがある限り、地上と地下の部隊はヴィンセントの命令で動く。
だが、今は手が届かない。
心臓と制御部品をつないだまま、彼の前へ近づく必要がある。
「セリア」
僕は呼びかけた。
彼女がこちらを見る。
「命令を守るなら、命令の最後まで聞け」
ヴィンセントが、腰の魔導銃を抜いた。
銃口はセリアへ向けられている。
けれど、彼は撃たなかった。
魔導銃を床へ置き、足でセリアの方へ滑らせる。
「帝国軍人として、最後の命令だ」
ヴィンセントは冷たく言った。
「お前が撃て」




