壊れた魔導バッグ
王都の魔導灯が赤く変わった直後、帝国軍の対魔導砲が火を吐いた。
狙いは、辺境警備隊の魔導装甲車ではない。
車体の魔力炉と、パックの腰にある魔導バッグだった。
「右、来る!」
パックが叫んだ。
彼女は魔導装甲車の進路を変えず、片手でバッグの金具を押さえた。
対魔導弾が車体の側面へ当たる。
装甲板が震え、魔力の流れが一瞬だけ途切れた。
バッグの口に刻まれていた整理封印が、青白い火花を散らす。
「パック、バッグを外せ!」
ヴォルクが叫んだ。
パックは聞いていた。
だが、外せばバッグが車外へ落ちる。中には避難用の薬品、食料、工具、武器が入っている。敵の前へ投げ出せば、補給を失うだけでなく、避難民のいる場所へ危険な魔導具が転がる。
「今、無理」
パックは短く答えた。
「バッグ、落とさない」
「敵の第二射が来る!」
隊員が叫んだ。
遠くの公爵軍陣地で、帝国式の対魔導バズーカが持ち上がる。
魔導車を止めるための兵器ではない。
魔力炉と収納空間を同時に乱し、内部の道具を使えなくする兵器だ。
パックは砲身の角度を見た。
避ければ、後ろの避難荷車へ当たる。
受ければ、バッグの封印が壊れる。
彼女は一瞬だけ目を閉じ、古代炉の脈動と同じ間隔でバッグの金具を三度叩いた。
「パック?」
ヴォルクが呼ぶ。
「これ、選ぶ」
パックは、魔導装甲車を斜めに止めた。
対魔導バズーカの弾道が、車体を外れ、腰のバッグへ向かう。
直撃。
整理封印が、音を立てて弾けた。
魔導バッグの口が大きく開き、内部の収納空間から荷物が一斉に吐き出される。
折り畳み式の盾。
冷却筒。
遮断杭。
工具箱。
乾燥食の袋。
対魔導バズーカの予備筒。
毛布と薬品箱。
小さな魔導灯。
すべてが雪の上へ飛び出し、魔導装甲車の周囲へ散らばった。
「バッグ、いや!」
パックが悲鳴を上げた。
彼女が怒鳴ることは珍しい。
だが、泣きそうな顔で散らばった荷物を見ている暇はなかった。
帝国軍が、崩れた整理封印の隙間へ魔導弾を撃ち込んでくる。
ヴォルクがパックの前へ立った。
「道具はあとで拾う。今は、必要なものだけ取れ」
「全部、必要」
「全部は持てない」
「分かる」
パックは、片言で答えた。
「だから、選ぶ」
彼女は雪の上へ膝をついた。
煙と粉雪で、視界はほとんどない。
パックは目で探さなかった。
手を伸ばし、触れた道具の重さと表面の傷を確かめる。
遠くから聞こえる足音の向きも聞いている。
帝国兵の足跡が近づく前に、彼女は最初の道具を拾い上げた。
「ヴォルク、これ」
遮断杭を三本。
「補給車の前へ打つ。魔力路を切れる」
「分かった」
ヴォルクは杭を受け取り、二人の隊員へ渡した。
隊員たちが雪へ杭を打ち込む。
帝国軍の輸送車から伸びていた黒い魔力路が、途中で途切れた。
制御部品を運ぶ車両の魔導灯が消える。
「次、冷却筒」
パックは雪へ手を入れた。
指先へ冷たい金属が触れる。
冷却筒を二本、アーノルドへ投げた。
「心臓、熱い。これ、使う」
父は受け取った筒を、魔導装甲車中央の心臓固定具へ取り付けた。
白い蒸気が噴き出し、赤く染まりかけた魔力路が一度だけ暗くなる。
「出力を下げられる」
アーノルドが言った。
「だが、完全には止まらない。地下炉とつながっている」
パックは次の足跡へ手を伸ばした。
雪を踏む音。
右。三人。
帝国兵が散らばった道具を奪おうとしている。
パックは顔を上げず、地面に落ちた魔導灯を拾った。
それを逆向きに立てる。
赤い光が、敵の足元だけを照らした。
辺境警備隊の魔導弾が、敵の武器を撃ち抜く。
「パック、敵、見える」
「見えるようにしたのか」
ヴォルクが問う。
「パック、道具、使う」
彼女は短く返した。
「捨てる、違う。場所、変える」
散らばった道具は、混乱の原因ではなかった。
彼女が触れれば、周囲の地形と合わせて新しい補給線になる。
盾は避難民の前に並べられ、冷却筒は心臓の出力を抑え、遮断杭は敵の魔力路を切る。
工具箱は魔導装甲車の破損した車輪へ運ばれ、毛布は負傷した隊員へ渡された。
パックは、足跡と手触りだけで必要な道具を選び続けた。
遠くで、対魔導バズーカが再び装填される。
「次、来る」
「距離は?」
ヴォルクが訊いた。
「三百。高い、雪壁、後ろ」
パックは、最後に拾った長い筒を肩へ担いだ。
対魔導バズーカ。
予備筒ではない。
整理封印が壊れたことで、収納の奥から本体まで吐き出されていた。
「それを使えるのか」
「パック、操縦士。砲、少し、分かる」
彼女は魔導装甲車の側面へバズーカを固定した。
砲口を敵陣地へ向ける。
人間語で長い説明をするのはまだ練習中だ。けれど、砲身の角度、魔力の残量、後方の安全は、すべて確認していた。
パックが引き金を引く。
対魔導弾が雪原を走り、帝国軍の砲台へ命中した。
砲台の周囲だけ、魔力が消える。
重い兵器が雪の中へ沈み、二射目は発射されなかった。
避難路が、わずかに開いた。
「今、走る!」
パックが叫んだ。
後方に待機していた住民たちが、辺境警備隊の誘導で進み始める。
魔導装甲車の横を、子どもたちが通る。
パックは散らばった荷物を見た。
食料も、工具も、まだ雪の上に残っている。
だが、先に人を逃がす。
彼女は自分で言った言葉を、今度は迷わず実行していた。
避難民が安全な路地へ入った後、ヴォルクがパックの肩を叩く。
「よくやった」
パックは答えず、魔導バッグの中を覗き込んだ。
整理封印が壊れ、内部の収納空間はむき出しになっている。
食料も、道具も、冷却筒も、ほとんど外へ出た。
残っているのは、底の暗い部分だけだった。
「まだ、ある」
パックが手を入れる。
指先に、硬い金属が触れた。
引き出したのは、小さな鍵だった。
三つの輪が重なった形をしている。
王家の紋章ではない。
帝国式の部品でもない。
羽根形の印を、三本の線が囲んでいる。
鍵の縁には、魔導方位盤の裏蓋と同じ古い油と、凍結した塩の粉が残っていた。
通信札越しに、フィーナが声を落とす。
「その鍵は、パックさんが入れたものではありません。十四年前の救援隊員が、魔導方位盤の裏蓋へ隠して携行していた鍵です。パックさんが方位盤を拾ってバッグへ入れた後、凍結で留め具が外れ、鍵だけが底の縫い目へ落ちた。壊れた整理封印が、今までそれを閉じ込めていたのでしょう」
「それは、何だ」
ヴォルクが訊いた。
「分からない」
パックは首を振った。
だが、鍵の表面に刻まれた三重の輪を見た瞬間、心臓の脈動が魔導装甲車の床を通じて、一定の間隔で三度、足裏に伝わった。
地下炉へつながる魔力路が、鍵に反応している。
通信札から、フィーナの声が届いた。
「その形を、詳しく教えてください」
パックは鍵を握りしめた。
言葉にできない。
だから、三つの輪を指でなぞり、中央の印を指差した。
「三重封印の鍵……?」
フィーナの声が震えた。
王都地下大魔導炉の入口に、三つの封印がある。
王家。
影班。
十四年前の救援隊。
そのうち最後の一つへ届く鍵が、パックの魔導バッグの底に残っていた。
パックは鍵を魔導装甲車の計器の横へ置いた。
鍵の三つの輪が、赤い光を返す。
その光は、王都地下の炉へ向かう線を一つだけ示した。




