地下への道
公爵家の旗を掲げた帝国兵が、交差点へ入ってきた。
ガウェインは、彼らと正面からぶつからなかった。
「全員、南側へ退く。住民を先に通せ」
特務捜査隊の隊員たちは白布を畳み、荷車の間へ身を滑り込ませた。
公爵軍が魔導弾を撃つ。
石畳の一部が砕け、粉雪のような破片が飛んだ。特務捜査隊の隊員は盾で受け、反撃せずに路地へ入る。
「逃げるのですか!」
若い隊員が叫んだ。
「違う。場所を選んでいる」
ガウェインは振り返らなかった。
「街路で戦えば、住民を巻き込む。地下へ入れば、地形がこちらの証人になる」
フィーナが、証拠袋を抱えたまま隣を走っていた。
「地下道へ入るのですか?」
「王都中央の魔導通信塔へ行くには、地上の大通りを通れない。公爵軍は塔を守るため、主要な交差点をすべて封鎖している」
「なら、地下水路を使う」
「現在の地下水路は、王都地下炉へつながる可能性があります」
フィーナの声が低くなった。
「帝国軍が制御部品を運び込んでいるなら、水路の一部はすでに戦場です」
「戦場でない場所を探す」
ガウェインは、路地の奥にある古い排水門を見た。
王都の建設記録には載っていない、石造りの小さな扉だった。
扉の前には、錆びた鉄格子がある。
鍵はかかっていない。
だが、扉の表面に薄い灰色の線が残っていた。
羽根の形。
三本の切れ目が入っている。
「黎明の瞳の印ですか」
隊員が訊いた。
「正確には、もっと古い」
フィーナが鑑定鏡をかざした。
灰色の線が青い光を受け、壁の内部まで伸びている。後から描いた印ではない。石を組む前に刻まれ、長い年月の間に何度も触れられていた。
「この道は、救護用に作られたものです。武器を運ぶための隠し道ではありません」
「分かるのか」
「灰印の下に、古い王国軍の誘導符号があります」
フィーナは指先で、羽根の脇に残る三つの短い線をなぞった。
「負傷者。子ども。出口。軍用の略号です」
ガウェインが扉を見た。
「王国軍の救援隊が使った道」
「十四年前の救援記録に、この水路は載っていません」
「載せなかったのではなく、消された可能性があります」
フィーナは壁の下部を指した。
そこには、同じ灰印がいくつも重なっている。
古いもの。少し新しいもの。雪解けの泥が入り込んだもの。
救護隊が一度だけ通った印ではない。
何度も人が運ばれ、何度も戻っている。
「救援撤回命令が出た後も、誰かがこの道を使った」
ガウェインが言った。
「アーノルド隊は、全員を置き去りにしたわけではない」
フィーナはすぐに答えなかった。
「この印だけで、隊長の判断全体を正当化はできません」
「分かっている」
「救えなかった人間がいた可能性もあります。道を使った人数と、救援撤回後に記録された行方不明者の数が一致しない」
「それでも、救おうとした事実は残る」
ガウェインは、灰印の上へ手袋を当てた。
「法は、結果だけを見て罪を決める。だが、捜査官は途中の行動も見る」
扉の内側から、かすかな風が吹いた。
冷たい空気ではない。
薬草と古い煤の匂いが混ざっている。
ここは、何年も使われていない地下道ではなかった。
最近、誰かが通っている。
「開けます」
フィーナが、特殊ヘラを扉の隙間へ差し込んだ。
封印を破るのではない。
古い封印が、まだ誰かを通すために残っているかを確かめる。
ヘラの先端に、赤い糸の繊維が絡んだ。
「救護部門の保存糸です」
「黎明の瞳が、この道を使っている?」
「可能性があります。ですが、敵対している相手が同じ道を使う場合、理由は一つではありません」
フィーナが扉を押した。
石が重く擦れ、地下道が現れる。
壁には、羽根形の刻印が一定の間隔で刻まれていた。
その下に、数字が並んでいる。
十七。
九。
三。
「距離ではない」
ガウェインが言った。
「人数です」
フィーナが灰印の並びを見た。
「最初の印から次の印までに、十七人。次に九人。最後に三人が通った」
「子どもや負傷者の数か」
「おそらく。軍用の誘導符号なら、人数と状態を別の線で示します」
彼女は羽根の横にある短い傷を見た。
「この三人には、担架が必要だった」
ガウェインは、壁に残った数字を見つめた。
十四年前、グラキエスで救援を待っていた人々。
王国の記録から消された人たち。
アーノルドは、命令に従って撤退しただけではない。
許された時間の中で、救える者をこの道へ通した。
その後、道は封鎖され、記録から消えた。
父親としては不十分だった。
隊長としても、すべてを救えなかった。
それでも、最初から全員を捨てたわけではない。
「この情報を、ユーリへ送ります」
ガウェインが通信札を取り出した。
フィーナが灰印の形を描き、現在の位置を伝える。
魔導通信は、過去の記録を変えられない。
だからこそ、今見た物証を、今の時刻と証言と一緒に送る必要がある。
通信札へ短い光が走った。
すぐには返事がない。
王都全域の中継が、公爵家に妨害されている。
「届いているか」
「送信はできています。返事が返らないだけです」
フィーナが答えた。
「なら、先へ進む」
ガウェインたちは地下道へ入った。
足元には、古い車輪跡が残っている。
救護荷車が通れる幅。
壁際には、薬品の空き瓶と、固まった血の跡があった。
戦闘の跡ではない。
負傷者を運び、途中で治療した跡だった。
その先で、地下道が二つに分かれている。
右は王都中央の通信塔へ向かう水路。
左は、地図にはない下り坂。
ガウェインが右へ進もうとした時、通信札が震えた。
雑音の中から、ユーリの声が届く。
「ガウェイン。灰印のある地下道に入ったなら、右ではなく左です」
「根拠は?」
「古地図の線と、軍用魔導方位盤の針が一致しました。右は王都中央へ向かう旧水路。左は地下炉の外周へつながる整備路です」
「君たちは、もう地下炉の近くにいるのか」
「僕たちは別の道を進んでいます。帝国軍と黎明の瞳の強硬派が、地下炉の北側で交戦中です」
通信の向こうで、魔導弾が壁を削る音が響いた。
「王都中央へ向かう前に、地下炉の入口を確保してください。中継塔へ送った証拠だけでは、炉を止められない」
「分かった。入口を確保する」
ガウェインは部下へ指示を出した。
「右の水路を一人だけ確認。残りは左へ進む。敵がいる場合、交戦せず位置を記録する」
「戦わずに進めるでしょうか」
若い隊員が訊いた。
「戦えば、相手の記録にこちらの罪が増える。証拠を持っている者は、最後まで生きろ」
左の整備路へ入る。
坂を下るほど、空気が冷たくなった。
壁の灰印は、少しずつ新しくなる。
救援隊の印。
黎明の瞳の救護印。
同じ羽根を、違う時代の人間が重ねている。
さらに進むと、地下道の先に鉄の扉が見えた。
扉の中央には、二つの印が刻まれている。
一つは、王国憲兵局の真印。
もう一つは、黎明の瞳の灰印。
敵対しているはずの二つの組織が、同じ入口を守っていた。




