赤い光の向こう側
帝国軍の輸送車列が崩壊したあとも、古代炉の脈動は止まらなかった。
偽物が起動したことで、周囲の魔導灯は消えている。雪原の向こうに広がっていた白い光も、すでに黒い煙へ変わっていた。
帝国兵の大半は、魔導車の装甲に閉じ込められている。
けれど、勝ったとは思えなかった。
「荷車がありません」
救護区画へ戻ったフィーナが言った。
僕たちが本物の心臓を隠していた荷車が、消えている。
食料も、毛布も、薬品箱も、すべてなくなっていた。
床には二本の車輪跡だけが残っている。
「誰が動かした」
レヴィが兵士へ訊いた。
「避難民を移すための搬送班です。帝国軍が輸送車列へ向かった直後、空いた西側の通路を使って出ました」
「心臓が積まれていることは?」
「知りません。あの荷車は、通常の救護荷車として登録されていました」
フィーナが床の車輪跡を調べる。
鑑定鏡の青い光が、車輪の溝に残った白い粉を照らした。
「冷却灰です。心臓を運んだ跡が残っています」
「搬送先は?」
僕が訊くと、セリアが答えた。
「王都です」
その言葉は、もう一度、僕たちを凍らせた。
「荷車は、旧塩鉱道を抜けて王都北側の地下搬入口へ向かっています。帝国軍のために用意された経路ですが、表向きは王国の救護路です」
「なぜ、そこまで知っている」
ガウェインがセリアを見た。
「その搬送計画を、私が帝国へ流したからです」
セリアは目を逸らさなかった。
「帝国は、心臓を奪った後に王都へ戻す予定でした。私が偽物を渡したため、計画は一度止まりましたが、本物の荷車はすでに旧塩鉱道へ入っています。第二分岐で、王都へ向かう護衛と合流する予定です」
「帝国が追うはずだ」
「追えません」
セリアは黒い金属板を焼いた灰を拾い上げた。
「輸送車列の崩壊で、帝国の追跡術式は乱れています。それに、王都側の受取人は帝国軍ではありません」
「誰だ」
「ルシアン公爵家です」
アーノルドの顔から、表情が消えた。
父は、十四年前からその名を憎んでいる。
救援命令を撤回し、グラキエスに残った兵士と住民を切り捨てた男。僕たちが追ってきた隠蔽の中心にいる貴族。
その公爵家が、帝国のために心臓を受け取る。
「証拠はありますか」
ガウェインが訊いた。
「私が見たものだけでは、証拠になりません」
セリアは答えた。
「帝国の輸送命令には、受取人として公爵家の家紋が使われています。ただし、表面にはありません。封蝋の内側、魔力層の一番下です」
フィーナが焼け残った金属板を受け取り、鑑定鏡をかざした。
黒い帝国式の封印が、青い光の中で三重に分かれる。
一番上は監察官ヴィンセントの印。
二番目は王都大使館の受領印。
そして一番下に、獅子と剣を組み合わせた公爵家の紋章が沈んでいた。
「重ねた順番が逆です」
フィーナの声が低くなる。
「公爵家の印が最初。帝国の印は、その上から貼られている。帝国が公爵家へ命令したのではありません。公爵家が用意した受け皿へ、帝国が自分の命令を重ねた」
「つまり、最初から公爵が帝国を呼び込んでいた」
僕は言った。
「その通りです」
セリアがうなずいた。
「帝国の計画には、二つの段階がありました。心臓を奪い、制御部品を取り付けること。そして、王国の中から王都へ入る理由を作ること」
「理由なら、すでにある」
レヴィが言った。
「黎明の瞳の攻撃。帝国軍は、それを辺境の反乱と呼ぶつもりだ」
「それだけでは足りない」
セリアは首を振った。
「王国軍が公爵家を守れない。王国が外国勢力の侵入を防げない。そう見せる必要があります」
アーノルドの拳が震えた。
父は、王都への報復を考えていた。
公爵家へ罪を認めさせるために、軍事区画を動かそうとしていた。
だが、その怒りを帝国と公爵が利用していた。
「俺の攻撃を、帝国の侵攻理由にするつもりだったのか」
「公爵は、あなたが王都へ攻撃することを望んでいた」
セリアが言う。
「公爵家の記録には、黎明の瞳を反乱組織として公表する準備がありました。王都の一部が攻撃を受ければ、国王へ非常措置を進言する。王国軍を公爵の指揮下へ置き、帝国軍を救援部隊として国内へ入れる」
「帝国軍を、王国へ?」
フィーナが息を呑んだ。
「帝国は国境を越える。公爵はそれを許可する。王都地下炉を使って、帝国に新しい軍事的優位を与える代わりに、公爵は王国の実権を得る」
アーノルドが、机に置かれた古い図面へ目を落とした。
それは父が用意していた、心臓の低出力運用計画だった。
古代炉を一気に起動させず、三つの封印を順番に通し、必要な魔力だけを引き出す。
王都の地下を崩さないための計画。
「この計画を、公爵は利用する」
父が呟いた。
「低出力で起動するなら、心臓は王都の炉へ戻せる。そう見せて、帝国の制御部品を三重封印へ組み込む」
レヴィが図面を取り上げた。
「帝国の部品は、出力を制限するためのものではない。王家、影班、救援隊の三つの封印を、同じ命令系統へ接続するための部品です」
「王国の安全装置を、帝国の鍵に変える」
「最大出力へ移行した後、地下炉は王都全域から魔力を吸い上げます。地上の魔導灯、城壁、通信塔、王宮の防護結界。すべてが炉の燃料になる」
僕の背中に冷たいものが走った。
「王都は、消滅する」
「正確には、地下から崩れます」
フィーナが言った。
「地上の建物が一度に消えるのではありません。地下水路と基礎が崩れ、区画ごとに沈む。住民は逃げる場所を失い、帝国軍は救援を名乗って主要施設を押さえる」
「王都が壊れること自体が、公爵の目的ではない」
ガウェインが続けた。
「壊れた王都を理由に、国王の統治能力を否定する。公爵が非常権限を握り、帝国へ援軍を要請する」
「国王を退位させるつもりです」
セリアが言った。
「帝国の監察官は、王都の混乱後に臨時統治評議会を置く計画を話していました。その議長になるのが、ルシアン公爵です」
父が立ち上がった。
椅子が床を擦る。
「あの男は、十四年前から何も変わっていない」
「変わっていない?」
僕が訊いた。
「あの時も、救援に来ると言いながら、最後には安全な場所から結果だけを待っていた。兵士が死んだ後で、遺跡の価値を報告させた」
父の声に、怒りが混じる。
「今度は、王都の人間を死なせた後で、王国を救った顔をする」
「父さん」
僕は呼びかけた。
「今、公爵を殺しに行けば、帝国の計画通りになります」
父の目が、僕を捉えた。
「公爵を逃がせというのか」
「違います。王都が沈む前に、計画を証明する。心臓の搬送先、帝国の制御部品、公爵家の封印。三つを揃えて、王国中へ公開する」
「その間に、王都の人間が死ぬ」
「だから急ぐんです」
僕は古い図面を指した。
「心臓は、まだ王都へ向かっている。帝国の輸送車列は崩れた。公爵が次に動くなら、王国の命令を使う」
「王国の命令?」
ガウェインが問い返した。
その時、遠くの通信塔から鐘の音が響いた。
一度。
二度。
三度。
要塞内の魔導通信札が、一斉に光る。
届いたのは、王都中央から発せられた緊急布告だった。
――王都北部において、反乱組織と外国勢力の攻撃を確認。
――国王陛下の安全確保のため、王都全域に戒厳令を発令する。
――王国軍の指揮権を、国家防衛総監ルシアン公爵へ移管する。
文章の最後に、王家の印がある。
だが、その印の魔力は弱かった。
真正な王命を中継したのではない。
公爵家の魔導通信塔から、王家の印を重ねて送った布告だ。
フィーナが鑑定鏡を掲げた。
「王家の封印は、途中で切られています。誰かが王宮からの通信を遮断し、公爵家の中継器へ接続した」
レヴィが魔導剣の柄を握る。
「指揮権を奪った」
アーノルドは通信札の布告を見つめていた。
その表情から、怒りが消えた。
代わりに、決断だけが残った。
「王都へ行く」
父が言った。
「公爵を止める。だが、攻撃ではない。住民を逃がし、炉を止めるために行く」
レヴィが振り返る。
「親父、公爵を殺せば早い」
「証拠が必要です」
僕が答えた。
「殺せば、帝国と公爵の結託は公爵一人の罪にされる。王都を守りながら、誰が命令を出したのかを残す」
荷車の車輪跡は、すでに雪の向こうへ消えている。
本物の心臓は、王都へ向かっている。
帝国の制御部品が待つ場所へ。
そして、王国軍のすべてが、僕たちの敵になる命令が出された。
地上のどこかで、ルシアン公爵が王国軍の指揮杖を握る。
その杖の先が、王都地下炉の起動座標を指していた。




