白銀の追跡者
ヴォルクが腕を振った。
「伏せろ!」
辺境警備隊の兵士たちが、一斉に雪上魔導装甲車の陰へ身を滑り込ませた。動きに無駄がない。雪を踏む音すら、吹雪の音に混ざるよう抑えられている。
僕も荷台の床へ身を伏せた。
魔導弾が頭上を通り過ぎ、輸送車の側面を削った。焼けた金属片が飛び、シアンが舌打ちする。
「帝国兵か?」
ヴォルクが叫んだ。
「装備は帝国式です!」
部下の一人が答える。
「装備だけか?」
「わかりません!」
「なら、王国の馬鹿より厄介だな!」
ヴォルクは魔導銃を構え、雪丘へ向けて三発撃った。弾丸ではなく、青白い魔力の塊が雪面へ突き刺さる。着弾した場所で小さな爆発が起き、雪煙が高く舞い上がった。
敵の姿は見えない。
だが、見えないからといって、いないわけではない。
僕は輸送車の車体に頬をつけ、振動を読んだ。
左の雪丘から四人。足音が軽い。雪上靴ではなく、短い滑走具を使っている。
右の谷間に五人。こちらへ近づいているが、魔導銃を撃っていない。輸送車を逃がさないための封鎖役だ。
正面の高台に三人。発射間隔が不自然に揃っている。狙撃手と、その観測役。
敵は一隊ではない。
三つに分かれている。
僕は、黙っていられなかった。
「左の雪丘、四人。右の谷に五人。正面の高台に三人います」
隣にいた兵士が、僕を見た。
「何を言ってる?」
「左は輸送車の逃走路を塞ぐつもりです。右はシアンを狙っています。正面の三人は、僕たちではなくヴォルク隊長の魔導銃を観測している」
声に出した後で、しまったと思った。
ヴォルクの目が、こちらへ向いた。
「どうして人数がわかる?」
「足音と、雪の沈み方です」
「この吹雪で?」
「聞こえます」
嘘ではない。
ただし、普通の配達員が聞き取れる音ではなかった。
ヴォルクは一瞬だけ僕を見つめ、それ以上は問わなかった。
「左班、雪丘を崩せ。右班は谷を封鎖しろ。正面の観測役を先に撃つ」
命令が飛ぶ。
隊員たちが走り出した。
僕の指摘を、疑わずに使ったわけではない。ヴォルクは、自分の目で確かめる前提で兵を動かしている。判断が速い。しかも、最初から敵が三方向にいることを知っていたような配置だった。
「隊長」
シアンが、輸送車の陰から声をかけた。
「こいつを連れて、先に国境監視所へ――」
「お前は黙っていろ」
ヴォルクはシアンを見ずに言った。
「王都から来た輸送車が、帝国式の追跡具を付けたまま、盗難犯を乗せて走っている。説明は後で聞く」
シアンの顔が強張った。
ヴォルクは、追跡具のことを知っている。
外したのが僕たちだということも、すでに見抜いているのかもしれない。
左の雪丘で爆発が起きた。
白い斜面が崩れ、黒い外套の男が二人、雪の中から転がり落ちてくる。残りの二人が魔導銃を構える前に、辺境警備隊の兵士が雪煙へ飛び込み、銃身を叩き落とした。
右の谷からは、短い魔導弾が連続して飛んできた。
シアンが僕の肩を掴む。
「こっちだ!」
引かれるまま動こうとした瞬間、僕は足を止めた。
谷の敵は、こちらへ撃っているのではない。
弾道が、半歩ずつ輸送車の後ろへ寄っている。狙いは僕たちを追い込むこと。谷の出口へ逃げれば、正面高台の射線に入る。
「そっちは駄目だ!」
「何?」
「谷へ行けば、正面の射線に入る!」
シアンが振り返った。
次の瞬間、正面の高台から魔導弾が飛んできた。
僕はシアンの胸を押し、地面へ倒した。
魔導弾は僕の腕をかすめ、輸送車の扉に突き刺さった。扉の表面に黒い魔力の亀裂が走る。
痛みより先に、身体が動いた。
僕は地面の雪を掴み、魔導弾の軌道へ投げつける。雪が魔力を吸い、弾の残滓が一瞬だけ青く浮かんだ。
そこに向けて、ヴォルクの銃撃が走る。
高台の観測役が倒れた。
「今のは、雪を投げたのか?」
シアンが呆然と呟いた。
「たまたまだよ」
「お前の“たまたま”は、いつも人間離れしてる」
シアンは笑った。左手だけが外套の内側へ引かれていた。
その笑顔が、今はひどく遠く見えた。
やがて銃撃が止んだ。
吹雪の向こうで、敵の撤退する音がする。ヴォルクは追撃を命じなかった。雪丘を崩した兵士たちが戻り、捕らえた男の武器を地面へ並べる。
帝国式の魔導銃が三丁。
王国製の短剣が二本。
そして、王立輸送ギルドの荷札が一枚。
敵は帝国だけではない。
ヴォルクが僕の前まで歩いてきた。
「グラキエスの辺境警備隊は、王都の盗難犯を捕まえるために来たわけじゃない」
「では、なぜ?」
「お前たちの後ろにいる連中が、国境を越える前に殺しに来ると知っていたからだ」
ヴォルクは、雪に埋もれた敵の足跡を見た。
「雪の中で足跡を消す者は、足跡ではなく雪の乱れを見る。俺たちは、最初から三つの追跡班を見つけていた」
僕は息を止めた。
僕が見抜いたのではない。
ヴォルクは、僕より先に知っていた。
「隊長。こいつは――」
部下が僕の胸元へ手を伸ばした。
服の内側に隠していたものが、戦闘の衝撃で外へ滑り落ちる。
黒い身分証。
国王直属、影班。
雪の上に落ちた証を、ヴォルクが拾い上げた。
白銀の追跡者の目が、初めて僕ではなく、その身分証へ向けられる。
「……王都の配達員が、なぜ影班の身分証を持っている?」
吹雪が、ほんの一瞬だけ途切れた。
静けさの中で、身分証の端に刻まれた三本の傷が見えた。斜めに浅く刻まれた、同じ長さの傷。王都の影班が使う合図の一つだと、僕は知っている。
ただし、僕がそれを知っている理由を、この場で説明することはできない。
昔の記憶に残る、暗い地下水路。濡れた石壁。遠ざかる足音。そして、誰かが残した三度の合図。思い出しかけた瞬間、左手が勝手に動きかけた。三拍子で身分証を叩きそうになり、僕は手を握り込む。
「ユーリ?」
シアンの声に、意識が戻った。
ヴォルクはその動きを見逃さなかった。身分証を裏返し、黒い金属の表面に埋め込まれた封印術式を確かめる。偽物なら、触れた者の魔力に反応して熱を持つ。だが、証は冷たいままだった。
「本物だな」
ヴォルクの声から、わずかに温度が消えた。
「僕は知りません。いつ入ったのかも、誰が入れたのかも」
「知らないで済む話ではない」
「わかっています」
反論すれば、もっと疑われる。黙れば、罪を認めたことになる。この状況を作った人間は、僕がどちらを選ぶかまで計算している。
ヴォルクは身分証を僕へ返さず、部下に命じた。
「輸送車を監視所へ戻す。捕らえた連中は別室に運べ。こいつは俺が尋問する」
「隊長、王都へ引き渡すのでは?」
「王都の記録が正しいならな」
その言葉に、シアンが顔を上げた。
「盗難届が出た時刻、輸送車が襲われた時刻、追跡班が動き出した時刻。どれも一時間ずつ、記録がずれている」
ヴォルクは僕を見据えた。
「お前が盗人かどうかは、まだ決めていない。だが、影班の証を持つ配達員を自由にするほど、俺は親切でもない」
遠くで、雪に埋もれた何かが低く脈打った。
古代兵器を積んでいたはずの輸送車の底から、冷たい振動が伝わってくる。心臓は盗まれた。それでも、何かがまだこの車列を追っている。
吹雪の向こうには誰もいない。なのに、三度、乾いた音が響いた。
――トン、トン、トン。
僕の癖を知る者だけが使える、古い合図だった。




