密室に残った戦術
矢は、保管室の壁へ深く突き刺さっていた。
黒い矢羽根が、かすかに揺れている。
僕は矢の飛んできた方向を見た。心臓の台座の奥。壁の継ぎ目に、細い隙間がある。だが、そこから人が出入りできるほど広くはない。
レヴィが魔導銃を構えた。
「お前が仕掛けたのか」
「僕なら、矢を先に見せない」
「暗号板を拾った後なら、見せる必要がない」
彼の照準が、僕の胸へ向いた。
「帝国の情報を持ってきた影班。心臓の位置を知り、内部の隠し道を見つけ、今度は矢で私たちを狙う」
「お前の推理は、都合がよすぎる」
「なら、証明してください」
「銃を下ろせ」
「先に武器を捨てるのは、あなたです」
保管室の外では、兵士たちが騒いでいる。アーノルドが扉の前で何か命じているが、厚い石壁が声を歪めていた。
心臓の脈動が、部屋の中心で低く響く。
ここで魔導銃を撃てば、封印に当たる可能性がある。
レヴィも、それを理解している。
僕の胸へ向いた照準は、ほんの少しだけ左へずれていた。
心臓の台座を避けている。
僕を殺すつもりなら、正面から撃てばいい。あえて外しているのは、封印と兵器を守るためだ。レヴィは僕を疑っているが、心臓を壊す危険までは受け入れていない。
僕はその一瞬のためらいを見た。
レヴィも、僕の視線が銃口ではなく床へ落ちたことに気づいた。
次に来るのは、足元を狙う動き。
この距離では、銃を撃つより、銃を持った腕で殴るほうが速い。だが、腕を振れば肩が開く。そこを取れば、壁際へ押し込められる。
読み合いは、武器を抜く前から始まっていた。
だから、先に銃を使えない距離へ入ってくる。
僕の右足が、床の傷を踏んだ。
次の瞬間、レヴィが動いた。
魔導銃を逆手に持ち、銃床で僕の喉を狙う。僕は腕で受け、衝撃を肩へ逃がした。左手が伸びる。レヴィの手首を取ろうとしたが、彼は指を外側へ開き、拘束を避けた。
速い。
この世界の兵士の動きではない。
僕は腰を落とし、彼の足を払った。レヴィは倒れる前に壁を蹴り、身体を横へ滑らせる。壁に手をついた瞬間、魔力を流した。
床の石が跳ねた。
小さな衝撃が、僕の足元を崩す。
魔導爆薬ではない。床へ埋めた簡易の打撃術式だ。相手の重心をずらすためだけの仕掛け。
僕は後ろへ跳び、心臓の台座との距離を取った。
「殺す気はないのか」
「心臓を壊したくないだけです」
「同じことだ」
「違う」
僕は短剣を抜いた。
影班の身分証は捨てたが、刃物までは捨てていない。刃の長さは短い。相手を殺すより、手首や腱を止めるための形だ。
レヴィの魔導銃が光る。
僕は発射の前に踏み込んだ。銃口の内側へ入り、腕を外へ押し流す。レヴィの肘が僕の脇腹へ入った。息が詰まる。
反撃の刃を、レヴィは魔導銃の銃身で受けた。
金属が擦れ、火花が散る。
その動きに、見覚えがあった。
前世の市街地戦で使われた、狭い場所の防御姿勢。銃を撃てない距離へ入られた時、銃身を刃の代わりにする。
僕だけの技術ではない。
同じ部隊で、互いに叩き込み、訓練で何度も潰し合った技術だ。
「本当に、私を知らないのですね」
レヴィが言った。
「知っている」
「いつから?」
「今、動きを見て思い出した」
「なら、私は誰ですか」
「前世で、同じ側に立っていた人間だ」
レヴィの目が細くなった。
「それだけですか」
「それ以上は、まだ思い出せない」
僕の刃が、彼の肩をかすめた。
黒い外套が裂ける。レヴィは一歩退き、魔導銃を腰へ戻した。代わりに、短い刃を抜く。
刃の根元に、三段の溝が刻まれている。
安全機構ではない。握り方と角度を変えるための印だ。
レヴィの構えが変わった。
僕も同時に姿勢を変えた。
互いに、相手の次の一手を読む。
初撃は、レヴィが低い。
二撃目は、僕が上から抑える。
三撃目で、互いに相手の手を狙う。
周囲の兵士には、二人の姿が途切れて見えたはずだ。刃が触れる音だけが、心臓の脈動の間に挟まっている。
僕はレヴィの肩を狙い、彼は僕の右手を狙った。
刃先が交差する。
次の瞬間、二人の足元へ同じ影が落ちた。
壁から、二本目の矢が飛んだ。
僕とレヴィは、同時に身を低くした。
矢は二人の間を抜け、心臓の台座へ向かう。
レヴィが魔導銃の銃床で矢を弾いた。
僕は矢の軌道を変え、石床へ落とした。
二人の動きが、完全に重なっていた。
前世の戦場で何度も使った、射線から外れるための反射動作。
互いに相手の逃げ道を塞ぎながら、決して心臓の台座へ背を向けない。殺意だけなら、もっと早く決着していた。だが、心臓を壊せば、守るべきものも疑うべき相手も、すべて消える。
だから二人とも、無意識に中心を避けている。
同じ部隊で叩き込まれた経験が、今だけは同じ制約を選ばせていた。
レヴィが僕を見る。
「今の回避を、なぜ知っている」
「お前こそ」
矢を拾い上げる。
一本目と同じ黒い羽根。だが、羽根の根元に刻まれた模様が違う。灰色の羽根ではない。黎明の瞳の避難標識でもない。
黒い羽根の中央には、削り取られた家紋の跡がある。
獅子と剣を組み合わせた、王国貴族の紋章。
「この形を知っているか」
僕はレヴィへ矢を渡した。
彼は矢羽根を裏返し、削られた線を指でなぞった。
「ルシアン公爵家の私設軍が使う標識です」
「帝国軍ではない」
「帝国の靴跡を残し、王国貴族の矢を使う。両方の罪を、別の相手へ押しつけるためでしょう」
僕は矢の軸を調べた。
黒い羽根の付け根に、薄い灰が付着している。心臓保管室の冷却灰だ。矢は外から放たれたのではない。要塞の内部で準備され、壁の隙間から発射された。
「敵は、もう中にいる」
レヴィの声が低くなった。
「帝国軍の先遣隊ではない。公爵家の私設軍だ」
「帝国を利用して、責任を分散させている」
「そして、私たちを互いに殺させようとした」
レヴィは短剣を下ろさなかった。
僕も刃をしまわない。
敵が同じ場所にいるとわかっても、互いの疑いが消えたわけではない。
ただ、今この瞬間に殺し合えば、父が悲しむ。
その事実だけが、二人の手を止めていた。
扉の外で、アーノルドが再び僕たちを呼んだ。
「レヴィ。ユーリ。何が起きている」
返事をする前に、レヴィが矢を外套の内側へ隠した。
「この矢を見せれば、お父様は軍事部門を一斉に疑う」
「疑うべきだ」
「疑いを広げれば、内通者は子どもたちを盾にする」
レヴィは僕を見た。
「あなたは、そうならないと言い切れますか」
「言い切れない」
「なら、今は黙る」
敵を見つけたのに、すぐに父へ報告できない。
その判断は、正しいとも間違っているとも言えなかった。
ただ、僕たちは初めて同じ理由で、同じ秘密を抱えた。




