金属板の末尾
尋問室を出た直後、通路の魔導灯が一つ消えた。
次に、二つ。
レヴィが信号板で使っていた三段階の合図とは違う。光が消える順番に、規則がない。誰かが魔力管を外から切断している。
シアンが足を止めた。
「おかしい」
左手の親指が、隠れた。
「軍事区画の夜間巡回は、灯りを落とさない」
「避難路を開くためか」
「それだけじゃない。暗闇で戦う訓練をしていない者が多いからだ」
通路の奥で、金属が擦れる音がした。
レヴィが魔導銃を抜く。
「下がれ」
「誰に言っている」
「あなたです」
レヴィは僕の前へ出た。
その瞬間、壁の影から魔導弾が飛んできた。
魔導銃の発射音が短く響く。レヴィが銃口を弾き、青白い弾は天井へ逸れた。石片が落ち、通路の床を跳ねる。
同時に、左右の扉が開いた。
軍事部門の男たちが現れた。顔を隠しているが、動きに迷いがない。彼らは僕ではなく、レヴィの背後へ回ろうとしていた。
「強硬派です」
シアンが言った。
「首領の命令を待たずに、スパイを処分するつもりだ」
「スパイではない」
「影班の人間を、ここで生かしておく理由がない」
先頭の男が魔導銃を構えた。
レヴィが発射するより先に、僕の身体が動いた。
前へ出る。
右肩を落とし、銃口の線から外れる。男の手首へ左手を当て、魔導銃の発射角を床へ向けた。弾が石床を砕く。
僕は男の肘を返し、肩を壁へ押しつけた。
殺すためではない。
魔導銃を奪い、撃てない角度へ腕を固定するためだ。
身体が、次の相手へ向いた。
短剣が横から来る。柄を握った手の甲を叩き、刃を落とさせる。二人目の膝を蹴り、倒れたところへ足を置いた。
動きは、考えるより先に出ていた。
誰かを殺すためではなく、次の攻撃を止めるための順番。身体が覚えている判断を、今の僕が選び直している。
前世の技術に今世の意志を重ねる。
それができるなら、僕はまだ僕でいられる。
最後の一人が魔導爆薬を取り出した。
周囲に子どもたちの区画がある。
僕は距離を詰め、彼の手首をつかんだ。起動環へ指が触れる前に、手の甲を壁へ押しつける。
「放せ!」
「起動すれば、通路の先にいる人間も巻き込む」
「敵を守るのか!」
「子どもがいる」
僕は魔導爆薬を奪い、床へ転がした。
男の顔に、ためらいが生まれた。
その一瞬で、シアンが彼を蹴り倒した。
「こいつは、子どもの通路を知っている」
シアンの声が低い。
「それでも起動しようとした」
「だから、強硬派です」
レヴィが倒れた男たちを見下ろした。
「守る相手を、敵味方で分けることに慣れた者たちだ」
床へ押さえつけられた男が、苦しそうに笑った。
「首領は、あの王国の犬を生かしておくつもりだ。十四年前と同じだ。情を優先して、敵を中へ入れる」
「首領は、ユーリを監視すると命じた」
「命令が遅い。心臓を動かす日が近いのに、まだ迷っている」
レヴィの目が変わった。
「心臓を動かす?」
「違う。心臓を戻すんだ」
男は口を閉じた。
だが、遅かった。
僕もレヴィも、その言葉を聞いている。
「王都へ戻すのか」
僕が尋ねると、男は魔導銃へ手を伸ばそうとした。シアンが腕を踏み、動きを止める。
「何のために?」
「お前に話すことはない」
「なら、暗号板で読む」
僕は床へ視線を落とした。
男の手袋には、細い青い粉がついていた。心臓の保管室にある冷却灰と同じ色だ。彼は心臓の移送計画へ関わっている。
なのに、アーノルドの前では話せない。
軍事部門の強硬派が、首領の命令とは別の輸送を進めている。
その時、床に落ちた金属板が淡く光った。
強硬派の男が隠し持っていたものだ。表面には、三本の線と小さな点が並んでいる。魔力を流すと文字が浮かび上がるが、通常の暗号とは違い、読む方向が一つではない。
僕は金属板を拾った。
「触るな」
レヴィが言った。
「罠の可能性があります」
「なら、お前が触れた時点で罠は起動している」
金属板の端に、浅い溝があった。三つの区画。順番を間違えると、中央の文字が消える仕組みだ。
表面の傷は、運搬中についたものではない。誰かが意図的に削っている。文字を隠すためではなく、読む者が最初に見る場所を限定するためだ。
僕は板を傾け、魔導灯の光を斜めから当てた。
第一の区画には、輸送路を示す線。第二の区画には、時刻を示す点。第三の区画には、合流地点を示す空白がある。
文字を正面から読めば、ただの軍事連絡に見える。
しかし、空白を読み飛ばすと、輸送開始の時刻が一日ずれる。
それは偶然の誤差ではない。
追跡者だけを遅らせるために、わざと混ぜた偽情報だ。
僕は溝へ爪を当てた。
三、二、一。
前世の暗号は、文字そのものを隠さなかった。読む者の視線を、決められた順番へ誘導した。最初に読むのは内容ではなく、書き手が意図的に残した空白だ。
この金属板にも、同じ空白がある。
僕は点の数を数えた。
四、二、三、三、二。
かつて使っていた部隊暗号と同じ区切り方だった。
現世の誰かが、前世の技術を知っている。
ただ似ているだけなら、偶然で済ませられる。だが、空白を意味として使う構造まで一致することはない。
文字が浮かび上がった。
――心臓、旧塩鉱道から王都地下炉へ戻す。
――輸送開始、三日後の夜明け前。
――帝国軍の先遣部隊、二日後に北境到着。
僕は息を止めた。
黎明の瞳が心臓を守っているのではない。
誰かが、心臓を王都へ戻そうとしている。
しかも、帝国軍の到着より前に。
「見せろ」
レヴィが手を伸ばした。
僕は金属板を渡さず、最後の空白へ魔力を流した。
隠されていた文字が、遅れて浮かび上がる。
最初の三行とは違い、そこには暗号化されていない短い文が刻まれていた。
――崩壊するビルで爆死した特務の犬。
指先から、力が抜けた。
この世界の誰かが作った暗号板に刻まれた言葉だ。
それなのに、その呼び名を知っている。
あの崩壊した建物で、僕が何者だったのかを。
レヴィが僕の顔を見た。
金属板の文字が、冷たい光を返している。
心臓を狙う者。
帝国軍を待つ者。
そして、前世の死を知る者。
敵は、この要塞の中だけではなかった。




