地下要塞の入口
白髪の男は、僕の手が魔導銃へ伸びたことに気づいていた。
それでも、武器を抜けとは言わなかった。
「追手が来る」
アーノルドは地下道の入口を見た。
「ここで撃ち合えば、地上の村へ音が響く。子どもたちが怯える」
「僕を捕まえないのか」
「捕まえる必要はない」
「父親として?」
「首領としてだ」
答えるまでに、ほんのわずかな間があった。
父親としてなら、別の言葉を選べたのかもしれない。だが、アーノルドはそれを飲み込み、古い軍用杖を地下道の奥へ向けた。
「来い。ここにいる限り、王国の追手は入れない」
「なぜ信じる」
「信じていない」
彼は振り返らなかった。
「君は影班の人間だ。私を殺すために来た可能性もある。だから、要塞の中では監視する」
「正直だな」
「十四年前から、正直でいられる場所が少なかった」
父の背中を追い、地下道へ入る。
入口はただの岩壁に見えたが、アーノルドが杖の先で三度叩くと、灰色の羽根を模した印が浮かび上がった。石の一部が横へずれ、奥から冷たい風が流れてくる。
階段は深く、長かった。
壁には、細い溝が何本も走っている。魔力を通すための配管だ。古代炉の遺跡を転用したのか、要塞そのものが巨大な魔導装置のようになっている。
途中の壁に、灰色の標識が描かれていた。
僕は立ち止まった。
「黎明の瞳の紋章か」
「そう思われている」
「違うのか」
アーノルドは、羽根の下にある小さな矢印を指した。
「避難誘導の印だ。灰印が二枚なら東の診療所へ、三枚なら子ども用の避難室へ向かう。黒く塗られた羽根は、軍事区画への立入禁止を示す」
僕は壁を見直した。
その印は、あの診療所の壁にもあった。荷札から落ちた羽根も、暗号密書に使われた印も、攻撃を示すものではなかった。
誰かを逃がすための標識だった。
「王国は、これを黎明の瞳の攻撃印として記録している」
「攻撃に使った者もいる」
「救護に使った者もいる」
「両方いる」
アーノルドの答えは、エレオノーラの言葉と似ていた。
ひとつの組織に、相反する事実がある。
階段の先で、金属の扉が開いた。
そこには地下の街があった。
天井には魔導灯が並び、石造りの通路を淡い青色で照らしている。子どもたちが小さな荷車を押し、薬草を運ぶ大人が行き交っていた。壁際には簡素な食堂があり、奥には寝台の並ぶ診療室がある。
さらに先には、厚い防壁で隔てられた軍事区画があった。
魔導銃の整備台。魔導爆薬の保管庫。訓練用の木人。
孤児院と診療所と武器庫が、同じ地下要塞の中に存在している。
通路の分岐には、部門ごとの印があった。青い羽根は診療所、白い羽根は教育区画、黒い羽根は軍事区画。灰色の標識だけが、三つすべての前に置かれている。
「灰色は、どこへ行けばいいかわからない人のための印だ」
アーノルドが説明した。
「怪我人は青へ。子どもは白へ。戦える者は黒へ。だが、最初に来た者は自分がどこに属するか決められない。だから、灰色の標識を追えば、必ず誰かが受け入れる」
「組織の標章ではなく、入口の標識か」
「標章にすると、敵に奪われる。標識なら、敵が見ても意味を知らない」
そこまで言って、アーノルドは一人の少女の前で足を止めた。
少女は木箱を抱えている。中には乾燥した薬草が詰まっていた。
「重いだろう。半分持つ」
「だいじょうぶ。白い羽根の先生が、持ち方を教えてくれたから」
少女は首を振った。
アーノルドは無理に手を出さず、木箱の底だけを支えた。少女が自分で運んだという形を残すためだ。
少女が歩き出すのを見届けた時、人の流れの向こうからシアンが近づいてきた。僕の隣へ並び、彼は小さく囁いた。
「ここでは、助けられる側にも役割を渡す。何もできないと思わせないためだ」
「ずいぶん詳しいな」
「育った場所だからな」
シアンの左手の親指が、まだ隠れている。
「王国がここをテロ組織と呼ぶ理由は?」
「軍事部門が王国の施設を襲ったからだ。理由があっても、襲われた側には関係ない」
「なら、ここにいる人間全員が同じ罪を負うのか」
「そういう記録になっている」
シアンの声から、笑みが消えた。
「だから、俺たちは記録を信じすぎないようにしている。けど、記録がないと、助けた人間の数も残らない」
矛盾を抱えたまま、彼はこの場所で生きている。
僕と同じように、誰かを守るための嘘を重ねながら。
子どもたちは、アーノルドを見ると足を止めた。
「首領、おかえりなさい」
「ただいま」
アーノルドは短く返した。
軍事区画から出てきた若い兵士には、手を上げて合図する。診療所の前で眠っている子どもの毛布がずれていると、立ち止まって直す。
すべてが自然だった。
演技には見えない。
「ずいぶん、王国の記録と違う」
「王国の記録には、ここで何人の子どもが字を覚えたか書かれていない」
「だからといって、軍事区画が消えるわけではない」
「消すつもりはない」
アーノルドは歩みを止めた。
「守るための力が必要だった。だが、力を持った者は、守る相手を選び始める」
彼の視線が、軍事区画へ向いた。
「その時から、組織は私の手だけでは止められなくなった」
アーノルドが歩き出すと、シアンは先に通路の端へ移っていた。
王都で見た時と同じ、気さくな笑顔を浮かべている。だが、左手の親指は隠れていた。
「お前が箱をすり替えたせいで、ずいぶん追われた」
「悪かった」
シアンは謝りながら、僕の背後を見た。地下道の入口。僕の手。外套の内側に隠した灰色の羽根。
歓迎しているように見せながら、逃げ道と武器の位置を確認している。
「ここまで案内するように言われた」
「父に?」
「首領に」
シアンは言い直した。
その言葉が、二人の間に薄い壁を作った。
アーノルドは気づいている。シアンが僕を友人として迎えたいのか、組織の連絡役として監視しているのか、自分でも決められていないことに。
「最深部へ行く」
アーノルドが告げた。
「君が運んだものを見せる」
「古代兵器の心臓か」
「本物の心臓だ」
軍事区画のさらに奥で、重い扉が開いた。
中から、低く重い脈動が響く。
巨大な氷の下で、眠った心臓が跳ねるような音だった。
雪原で凍えた手首が、その音に合わせて震える。
暗い部屋の中央に、あの輸送箱から抜き取られた本物の心臓が安置されていた。
灰色の羽根の印が、台座の周囲を囲んでいる。
その台座の前へ、僕の父が先に進み出た。




