↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
ギルドの罠と、影班出撃編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/121

鐘楼の密談

 旧王立劇場を出た時、朝の王都はまだ薄暗かった。


 人通りの少ない通りを歩きながら、僕は命令書を外套の内側へしまった。黒い封蝋の冷たさが、布越しに胸へ伝わっている。


 父を暗殺する。


 影班の仲間を撃つ。


 どちらも、僕が受け入れた任務だった。


 もちろん、本心ではない。


 だが、命令に反発すれば、エレオノーラの周囲にいる裏切り者へ情報が流れる。僕が何を疑い、何を拒んだのかまで、誰かに報告される。


 従うふりをすること自体が、最初の潜入だった。


 王都の北端に、古い鐘楼が残っている。


 かつては時刻を知らせるために使われていたが、今は鐘のひびが大きく、風が吹くたび不安定な音を立てる。影班は昔、この鐘楼を遠距離連絡の中継地点にしていた。


 階段を上ると、途中の踊り場に小石が三つ並んでいた。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 昔から変わらない合図だ。


「先輩、遅いですよ」


 鐘の影から、若い男が顔を出した。


 黒い外套は影班のものだが、着方が少し雑だ。襟元は開き、髪は風に乱れ、口元にはいつもの軽い笑みがある。


 クリス。


 影班の後輩狙撃手。遠距離からの観察と魔導銃の扱いだけなら、若手の中で右に出る者はいない。


「お前が追撃隊か」


「表向きは、そういうことになっています」


 クリスは肩をすくめた。


「先輩が影班を裏切って逃走。俺が追跡。鐘楼で交戦。先輩は俺を撃ち抜いて逃亡。明日の記録には、そう書かれます」


「まだ撃っていない」


「予定表では、もう二回くらい撃たれています」


 軽口を叩きながらも、クリスの目は階段の下を見ていた。


 誰かが尾行しているか確認している。


「監視は?」


「王都特務捜査隊が一人。影班が二人。公爵家の私兵らしき者が一人。全員、別々の場所にいます」


「見られているな」


「ええ。なので、ここで密談しているように見せるための密談です」


「本当の話をするには、ずいぶん賑やかだ」


「先輩が来る場所は、昔から賑やかなんですよ」


 クリスは冗談めかして言ったが、最後の語尾だけが少し沈んだ。


 僕は鐘楼の上へ進んだ。


 壊れた鐘の向こうに、王都の屋根が広がっている。遠くの特務捜査隊本部、王立輸送ギルド、そして雪に隠れた北門。逃げ道は多いが、狙撃線も多い。


「作戦を聞く」


「単純です。俺が追撃役として先輩を追う。先輩は、ここへ逃げ込む。俺は影班へ戻れない距離まで接近する」


「そこで、僕が撃つ」


「そうです」


「魔導銃の発射音は遠くまで響く。弾道と着弾を見られれば、偽装はすぐに見破られる」


「だから、偽装弾を使います」


 クリスは懐から細長い弾倉を取り出した。


 中には、通常の魔導弾とよく似た弾が並んでいる。だが、表面の刻印が浅い。内部の魔力核も小さかった。


「空砲か?」


「いえ。そんな便利なものはありません」


 クリスは弾倉を傾けた。


「偽装弾は、撃った瞬間に術式が崩れます。発射音も弾道も、本物とは違うと鑑定される」


「なら使えない」


 僕は即座に答えた。


「黎明の瞳が僕を受け入れるには、追撃者が死んだと信じる必要がある。偽装だとわかれば、僕もお前も終わりだ」


「わかっています」


 クリスは弾倉をしまった。


「だから、本物を使います」


 鐘楼の下から、風が吹き上がった。


「防具で止める。肩を貫通させて、胸部防具の内側で弾を受ける。血液嚢を破れば、遠目には即死に見える」


「死ぬ可能性がある」


「あります」


「お前が死ねば、作戦の成否に関係なく、僕は潜入を中止する」


「そう言うと思って、先に記録を残してきました」


 クリスは外套の内側から、小さな通信札を取り出した。表面には、影班の保管印が押されている。


「俺が作戦中に死亡した場合、先輩を責めるな。これは俺が自分で選んだ、って記録です」


「記録は、残せば正しいことになるわけじゃない」


「知っています。だから、俺の言葉として残した」


 彼は通信札を握り、魔力を流した。記録の開始を示す青い光が、薄く灯る。


「先輩は、俺が初めて狙撃を外した時のこと、覚えていますか」


「訓練場の西壁。風向きを読まずに撃って、鐘の綱を切った」


「あれ、外したんじゃなくて、鐘を鳴らしたかったんです」


「嘘だな」


「ばれました?」


 クリスは笑った。

 けれど、通信札を持つ指は白くなっていた。


「あの時、先輩は怒らなかった。『外した弾は、次の判断に使え』って言った。俺はずっと、それを覚えています」


 彼は笑顔を崩さないまま、左肩の防具の留め具を一つずつ確かめた。

 最後の一つで、指が止まる。

 それでも、クリスは手を離さなかった。


「やめろ」


 僕が言うと、クリスは目を瞬いた。


「先輩?」


「別の方法を探す」


「時間がありません」


「時間がなくても、仲間を撃つ必要はない」


「でも、先輩一人が敵の中へ入れば、誰も信じられないでしょう」


 クリスの笑みが消えた。


「黎明の瞳は、影班の追撃記録を確認するはずです。誰が撃ったか、どの弾が使われたか、どれだけ血が出たか。全部調べる」


「それは僕が考える」


「先輩は、いつも自分で考えて、自分だけで決めます」


 声が軽くなくなった。


「北の倉庫街の任務の時もそうでした。敵の魔導銃を解除して、一人で前へ出た。俺たちに合図を出さずに」


 僕は黙った。


 あの時、身体が勝手に動いた。


 三、二、一。


 数えることで恐怖を切り分け、撃つべきものと撃ってはいけないものを選んだ。だが、その手順は、あの頃の身体に近すぎた。誰かと共有できるものではないと思っていた。


「三、二、一は、ただの数え方じゃない」


 クリスが言った。


「三で敵の位置を見る。二で味方の逃げ道を確認する。一で、先輩が決める。俺たちは、そういう合図だと思っています」


「そんなふうに教えた覚えはない」


「教わっていなくても、見ていればわかります」


 クリスは壊れた鐘の向こうへ視線を向けた。


「俺たちは先輩の背中しか見られない。だから、背中が動かない時は、先輩が一人で全部抱えているってわかるんです」


 その言葉に、胸の奥が鈍く痛んだ。


 前世でも、僕は一人で判断した。


 現在の僕も、同じ癖を繰り返している。


 記録を隠した者たちを追うために、仲間を遠ざけ、危険を自分だけで引き受けようとしていた。


「俺は、先輩の三つ数える合図を信じます」


 クリスは、壊れた鐘の縁へ手を置いた。


「三で照準を固定する。二で俺が踏み込む。一で撃つ。先輩が迷えば、俺が止めます」


「弾が外れたら?」


「外さないでください」


「お前が動けば、外れる」


「じゃあ、動きません」


 クリスは一歩、僕の前へ出た。


 狙撃される側の立ち位置だった。


 肩の防具には、すでに血液嚢を固定するための細い留め具がある。彼は最初から、ここまで準備していた。


「先輩、俺を撃ってください」


 冗談の形をしていない声だった。


「本物の弾で。敵にも味方にも、俺が死んだと信じさせるために」


 風が鐘を揺らした。


 ひびの入った鐘が、低く一度だけ鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。