切り取られた十四年
手紙を読んだ夜、僕は眠れなかった。
オズワルドのセーフハウスには、簡素な寝台がある。毛布も、暖炉も、食事も用意されていた。
それでも、目を閉じると、別の場所へ戻ってしまう。
十四年前。
まだ僕が、父の背丈の半分ほどしかなかった頃。
窓の外には雪が降っていた。
父は古い軍用外套を着て、玄関に立っている。肩には荷物を背負い、腰には軍用の短剣。その隣で、母も旅装の上から救護員の腕章を巻いていた。
「北の臨時救護所に、薬を受け取る人が足りないの」
母は、僕の襟元を直しながら言った。
「すぐに帰る」
父は、僕の頭へ手を置いた。
「三日で戻る。戻ったら、灰色の羽根を見せてくれ」
僕は、拾った羽根を握りしめていた。
「父さん、どこへ行くの?」
「雪の北へ」
「一緒に行く」
「駄目だ。お前は、ここで待っていろ。隣のおばさんに頼んである」
父は笑った。
その笑顔を、僕は覚えている。
戦場へ行く人間の顔には見えなかった。いつもの父の顔。僕が帰りを待つことを、疑っていない顔だった。
玄関の外で、救援隊の馬車の音がした。
僕は泣きながら父の外套を掴んだ。
「帰ってくるって言った」
「帰る」
父は僕の手を握った。
「必ず帰る。どれだけ時間がかかっても」
十日後、玄関を叩いたのは父でも母でもなかった。
黒い封蝋の通知書を持った兵士が、僕の背丈に合わせて屈みもせず、紙を読み上げた。
「救援隊は現地で撤退命令に従わず、行方不明。隊長アーノルド・クロムウェル、死亡と認定する」
その次の場面だけが、抜け落ちていた。母の消息を尋ねた僕の声。玄関の外に積もった雪。父は死んだと告げる兵士の声。
思い出そうとすると、右手の指が固まる。前世の最後にも同じ反応があったが、同じ長さの空白が同じ理由を持つとは限らない。こちらには、玄関の雪の冷たさと兵士の声が残っている。幼い僕が見なかった時間まで、改ざんのせいにはできなかった。
僕は寝台の上で目を開けた。胸が苦しい。
「眠れないのですね」
部屋の入口に、フィーナが立っていた。
「フィーナさんも?」
「私は、証拠が残っていると眠れません」
彼女は小さな机へ紙を置いた。
アーノルドからの手紙。
「もう一度、紙を調べました」
「何かわかりましたか?」
「紙質は、王立輸送ギルドの公文書と同じです」
フィーナは鑑定鏡を紙へ向けた。
「表面の繊維は十四年前の軍用規格。ただし、紙を保管していた場所はギルドの倉庫です。王国軍が使った紙を、ギルドが引き取って再利用した」
「父は、ギルドの紙を使った?」
「可能性はあります」
「では、父が今も王都にいる?」
「紙だけでは、そこまで断定できません」
フィーナは、手紙の端を指した。
「封蝋は新しい。本文の紙は古い。誰かが古い紙へ、最近封をした」
「父が古い手紙を残して、誰かが今届けた?」
「または、誰かが父の筆跡を使って、あなたを誘導している」
フィーナは、父を生きていると断定しなかった。
物証が示す範囲を越えない。
「それでも、父は生きていると思います」
僕は言った。
「手紙を書いた時点で、生きていた。少なくとも、そう信じていた人間がいる」
フィーナが僕を見る。
「信じたいのですね」
「わかりません」
僕は手紙を折り直した。
父が生きているなら、折り目の向こうから声が返ってくる気がした。死んでいるなら、返事がないことを理由に、十四年間の恨みを守っていられる。
どちらを選んでも、目の前にあるのは父の筆跡だった。
紙を握る指に力が入り、フィーナがそっと手を添えた。
「破れます」
その一言で、僕は手を放した。
地下室の階段から、オズワルドが上がってきた。
「起きていたか」
「父の手紙について、何か知っていますか?」
「何も知らない」
「嘘です」
僕は言った。
オズワルドは、少しだけ笑った。
「君は、前より上手に人を疑うようになったな」
「前より、疑わないと死ぬようになりました」
「それは成長とは呼びにくい」
「父は、王都地下へ向かったのですか?」
オズワルドは答える前に、窓の外を見た。
誰かがいないか確認している。
「十四年前、アーノルドは王都へ戻る命令を拒否した」
「戻らなかった?」
「戻れなかった」
オズワルドは言った。
「救援命令が撤回された後、彼は生存者を連れて地下道へ入った。王国軍の追跡を避けるためだ。グラキエスの古代炉と、王都地下の旧炉は、昔の整備路でつながっていた」
「父は、そこから王都へ?」
「記録上は、途中で死亡した」
「記録上は、ですね」
「死体はない」
その言葉が、何度も繰り返される。
死体はない。
それでも王国は、父を死者にした。
アーノルドが生きているなら、十四年間どこにいたのか。
なぜ僕へ会いに来なかったのか。
なぜ、今になって古代兵器の事件を通して手紙を送ったのか。
「父は、僕を捨てたのではないと書いていました」
「そう書いたのか?」
「お前を捨てたのは私ではない、と」
オズワルドの顔が、初めて歪んだ。
その反応を、否定とは受け取れなかった。
父が僕を捨てたのではないと、何かを知っているように見えた。
「誰が、僕を捨てたんですか?」
オズワルドは、しばらく黙っていた。
「その答えを知るには、王都地下へ行く必要がある」
「なぜ?」
「十四年前に消された命令書が、そこへ運ばれたからだ」
フィーナが、机の上の手紙を赤い保存糸で結んだ。
「手紙も証拠として保全します」
その結び目を見ながら、僕は決めた。
父が生きているかどうかを、信じるのではない。
父が何をしたのかを、確かめる。
父が黎明の瞳を作った理由。
救援命令が撤回された夜の一時間。
僕が父を死者として憎むことになった、本当の理由。
それらを、誰かの記録だけで決めない。
夜明け前、王都地下へ向かう準備を始めた。
机の上には、父の手紙。
その隣には、十四年前の生存者名簿。
フィーナが、手紙の紙質とギルドの公文書を並べる。
二つは同じ繊維を持っていた。
手紙が本物なら、死んだはずの父は、少なくともそれを書いた時には生きていた。
そして今も、どこかで僕を待っているのかもしれない。




