鍵のない避難所
シアンが雪崩へ消えた後、僕たちはオズワルドの隠れ家へ戻った。
黒塗りの馬車は、王都の外れにある古い倉庫へ入る。表から見れば、使われなくなった荷物置き場だ。だが、奥の棚を動かすと、さらに地下へ続く階段が現れた。
階段の壁には、魔力を遮る黒い鉱石が埋め込まれている。
「ここがセーフハウスですか?」
フィーナが尋ねた。
「影班が使っていた場所だ」
オズワルドは答えた。
「今も使えるとは限らない。任務の情報が内部から漏れているなら、安全な場所は一つもない」
地下室には、装備棚が並んでいた。
武器は少ない。
代わりに、配達鞄、通行証、封印紙、荷札、工具、簡易の治療道具が揃っている。
僕は棚の一つを見た。
そこには、僕が配達員として使っていた鞄と同じ型のものが、棚に並んでいた。
「僕の鞄は、ここで作られた?」
「君の鞄だけではない」
オズワルドが言った。
「影班の潜入員が、配達員として使う鞄はすべてここで調整していた」
「では、僕がギルドへ入る前から、影班は僕を監視していたんですか?」
「監視していた」
オズワルドは、迷わず答えた。
「認証薬は、最近だ。数日前のギルドの冬季検診で、私が君の肩の古傷へ冬季用の保護膏を塗った。その中に少量を混ぜた」
僕は、無意識に左肩へ手をやった。
「僕の身体へ?」
オズワルドは、僕の反応を見てから頷いた。
「古い影班の封印へ反応する鍵にするためだ。味方の非常路を開く標識として、数日だけ君の血に残るよう調整した」
「君が怒鳴られて謝ることも、わざと荷物を落とすことも、右肩が下がることも記録に残っている」
僕は黙った。
気弱な配達員という仮面は、敵だけでなく味方にも見られていた。
僕が自分の判断で選んでいたと思っていた行動の一部は、影班の記録に保存されていた。
「影班は、僕が何をしているか知っていた?」
「すべてではない。潜入員を監視しすぎると、現場の判断を奪う」
「それは、ずいぶん都合のいい言葉ですね」
「そうだな」
オズワルドは、否定しなかった。
棚の奥から、小さな木箱を取り出す。
「君に渡すものがある」
蓋を開ける。
中には、四つの道具が入っていた。
一つ目は、配達鞄へ仕込める偽造伝票の束。
紙質も、王立輸送ギルドの印も、本物に近い。違うのは、魔力を通した時にだけ浮かぶ小さな灰色の線だった。
「偽造伝票を使えということですか?」
「使う場所を選べ。記録を改ざんするためではない。敵がどの記録へ反応するかを見るための囮だ」
二つ目は、手のひらほどの封印観察鏡。
フィーナの鑑定鏡より簡素だが、封印へ残った魔力の層を短時間だけ映す。
「鑑定士の道具ではありません」
フィーナが手に取った。
「観察用です。精度は低い」
「それでも、現場で役に立つ」
オズワルドは答えた。
「封印を割らず、傷つけず、誰が触れたかを見るためのものだ」
三つ目は、薄い金属板だった。
裏面に小さな魔石が埋め込まれている。
「魔導通信妨害具」
オズワルドが言った。
「広い範囲では使えない。短時間、近距離の魔導通信を乱すだけだ」
「通信記録を消す道具?」
フィーナが尋ねる。
「違う。通信を送れなくする道具だ。送られた記録を消すことはできない」
「使いすぎると、こちらの連絡も届かなくなる」
「便利ではありませんね」
「便利な道具は、たいてい危険だ」
四つ目は、細い銀色の針だった。
僕が手に取ると、針先がわずかに震えた。
「魔力の流れを探る針。床や封印へ刺すな。表面へ近づけるだけで、残留魔力の方向がわかる」
僕は、道具を一つずつ見た。
配達員の仕事をするための鞄。
箱の封印を見るための鏡。
通信を遮る板。
残留魔力を読む針。
僕は、自分が再び影班の装備を受け取っていることに気づいた。
「これを使えば、僕はもう配達員ではいられない」
「君は、配達員であることを捨てる必要はない」
オズワルドは言った。
「配達員の目で見えるものと、影班の目で見えるものは違う。両方を持てる人間は少ない」
「僕に、両方を使えと言うんですか?」
「選ぶのは君だ」
オズワルドは、木箱の底を外した。
隠し板の裏に、古い紙束が入っている。
「アーノルド隊の救援名簿だ。ここに移しておいた」
先ほど馬車の中で胸元へしまった紙束だった。その中から、生存者の頁だけが抜き出されている。
僕の呼吸が浅くなった。
紙は十四年前のもの。雪と煙にさらされた跡があり、端には黒い焦げが残っている。
一枚目には、救援隊の名前。
二枚目には、避難した住民。
三枚目には、診療所へ運ばれた負傷者。
だが、ほとんどの名前が黒く塗りつぶされていた。
墨で消したのではない。
魔力を含んだ黒い塗料が、名前の文字へ入り込んでいる。紙を透かしても、元の文字が読めない。
ただ、一つだけ残っている名前があった。
アーノルド・クロムウェル。
「父の名前だけ、消されていない」
僕が言った。
「消せなかったのかもしれない」
オズワルドは答えた。
「アーノルドは、生存者の中で最も最後に確認された。死体は見つかっていない」
「王都の記録では、戦死です」
「死体がない人間を、戦死と書くのは簡単だ」
フィーナが、名簿へ封印観察鏡を向けた。
青い光が、黒い塗料の上を滑る。
「塗りつぶしは、後から行われています。全員の名前を消す命令があった」
「なぜ、アーノルドだけ残した?」
「残したのではなく、消す必要がなかった可能性があります」
フィーナが答えた。
「記録を見た人間が、彼だけは死んでいないと知っていた」
僕は名簿へ手を伸ばした。
父は、生きているのか。
黎明の瞳の首領として。
それとも、別の場所で名前を捨てた人間として。
「十四年前から、君の父が生きている可能性は知っていた」
オズワルドが言った。
「なぜ教えてくれなかったんですか?」
「君が探しに行けば、必ず利用されるからだ」
「もう利用されています」
「そうだな」
オズワルドの声が重くなる。
「だから、今度は道具も記録も渡す。君が自分で選び、自分で確かめるしかない」
地下室の壁に、細い魔力線が走った。
誰かがセーフハウスへ通信を送っている。
オズワルドが妨害具を起動した。
金属板の魔石が淡く光り、通信の音が途切れる。
それでも、最後に一言だけ聞こえた。
「アーノルドは、王都地下へ向かった」
通信が消える。
フィーナが、僕を見る。
僕は名簿の黒塗りされた名前を見つめた。
父を探すために、僕はグラキエスへ戻るつもりだった。
だが、父が向かったのは王都地下。
古代炉の心臓が運ばれた場所と、同じ方向だった。




