古い薬品伝票
シアンの灰色の火傷が光った直後、ガウェインは僕の手をシアンの腕から離させた。
「事情聴取を続ける」
「孤児院へ行かせてくれ」
「証拠を確認してからだ」
「子どもたちが危険だ」
「その証拠がない」
ガウェインは冷静だった。
冷静であろうとしている。
黎明の瞳が、武器を運ぶ組織であることは公的な記録に残っている。国境で僕たちを襲った暗殺部隊も、黒い羽根を持っていた。
だが、シアンが救援物資を運んでいたことも、今聞いた。
薬、食料、毛布。
それらが本当に孤児院へ届いていたなら、組織を一枚の紋章だけで判断することはできない。
「まず、シアンのロッカーを調べる」
フィーナが言った。
「そこに孤児院への薬品伝票があるかもしれません」
「ギルド職員の私物を、勝手に調べるのか?」
バレルが尋問室へ入ってきた。
「特務捜査隊の捜査令状があります」
ガウェインが紙を見せた。
「公爵家の許可が必要だ」
「必要ありません。王国法では、古代遺物の横領と組織的な証拠改ざんに関係する物件は、特務捜査隊が保全できます」
「ギルド内の規則では――」
「法律の話をしています」
ガウェインの声が低くなった。
バレルは、舌打ちを飲み込んだ。
シアンは何も言わない。
左手の親指を、袖口へ隠している。
嘘をついているのか。
それとも、見られたくないものがあるのか。
僕たちは職員用の通路を通り、ロッカー室へ向かった。
通路の先に、受付嬢のセリアがいた。彼女はいつもの穏やかな顔で、書類を整理している。
「シアンさんのロッカーですね」
セリアは鍵の束を持ってきた。
「予備鍵は、こちらです」
ガウェインが受け取ろうとすると、セリアは一瞬だけ鍵の歯を見た。
それから、何でもない顔で差し出す。
「どうぞ」
彼女の視線が、僕の配達鞄へ落ちた。
追跡印。
その位置を確認した後、セリアは受付へ戻っていった。
歩き方は普通だった。
だが、彼女が通路の出口、窓、階段まで数えていることを、僕は見逃さなかった。
「ユーリ」
ガウェインが呼ぶ。
「何ですか?」
「見ていたか?」
「な、何をです?」
「受付嬢の逃走経路だ」
僕は答えなかった。
ガウェインも、追及しなかった。
フィーナが、シアンのロッカーの前へ立つ。
「封印を確認します」
扉の隙間へ鑑定鏡を向け、青い光を当てる。
「破られていません。鍵も正規品です」
「なら、開けていい」
ガウェインが言った。
フィーナは封印剥離ヘラを使わず、鍵を回した。
扉が開く。
中にあったのは、替えの制服、古い手袋、工具箱、乾燥肉の袋。それから、布で包まれた細長い箱だった。
バレルが息を呑む。
「それだ。黎明の瞳の証拠だ」
フィーナが布をめくる。
黒い羽根の紋章が刻まれた金属板が現れた。羽根は灰色ではなく、黒く塗られている。軍用部門が使う連絡章だ。
ガウェインが手袋をはめ、金属板を持ち上げる。
「組織の紋章を所持している」
「シアンは、黎明の瞳の連絡員だった」
バレルが言った。
「これで、ユーリとの共謀も証明できる。二人は古代兵器を組織へ流した」
「証明ではない」
フィーナが言った。
「紋章を持っていることは、所属を示す可能性があるだけです。箱を盗んだ証拠でも、心臓を受け渡した証拠でもない」
「では、これを何と呼ぶ?」
「物証です」
フィーナは金属板を証拠袋へ入れ、赤い保存糸を結んだ。
「物証は、他の物証と照合します」
工具箱の下から、紙の束が見つかった。
薬品の納品伝票。
鎮痛薬、解熱薬、包帯、乾燥食、子ども用の栄養粉。送り元は王立輸送ギルド。受取先は、王都西区画の孤児院だった。
「これは、組織の武器輸送を示す伝票だ」
バレルが言った。
「違います」
シアンが初めて口を挟んだ。
「薬の伝票です」
「薬を運んだことは否定しないのか?」
「否定する必要がない」
「では、なぜ黎明の瞳の紋章と一緒に保管していた?」
「受取人が、ギルドの正式な施設じゃないからだ」
シアンは伝票を見た。
「孤児院へ直接送れば、王都の予算から外される。だから、俺たちが運んだ」
ガウェインが、伝票を一枚取り上げた。
表には王立輸送ギルドの印。
裏には、羽根形の印が薄く押されている。
表の物流と、裏の救援組織。
敵対しているように見える二つの組織が、薬品と食料を運ぶために同じ経路を使っている。
「ギルドは、黎明の瞳と取引していたのか?」
ガウェインが尋ねた。
「取引じゃない」
シアンが答える。
「ギルドが表の帳簿へ載せられない物資を、俺たちが運んだ。ギルドは組織を潰すために追い、同時に組織へ薬を渡していた」
ガウェインの指が止まった。
正義と犯罪が、同じ伝票の表裏に押されている。
どちらか一方だけを正しいと決めれば、薬を待つ子どもたちが消える。
フィーナが伝票の裏面へ鑑定鏡を向けた。
「灰印は、後から押されたものではありません」
「何?」
バレルが聞き返す。
「紙の繊維の奥まで染料が入り込んでいる。王立輸送ギルドの印と同じ時期に押された」
「つまり?」
「この伝票は、最初から表と裏の二つの経路を持っていました」
フィーナは、赤い保存糸で伝票を束ねた。
「敵対しているように見せながら、物流では依存していた。そういう仕組みです」
シアンのポケットから、別の紙が落ちた。
彼は拾おうとしたが、ガウェインが先に踏んだ。
「これも確認する」
「それは関係ない」
「関係がないかどうかは、私が判断する」
紙を開く。
古い薬品伝票だった。
日付は十四年前。
送り元は、王立輸送ギルドの北方倉庫。受取先は、グラキエスの臨時救護所。
宛名の欄に、名前が書かれている。
僕は、その文字を見た。
読める。
読めてしまう。
幼い頃、父が一度だけ口にした名前。
僕が、母の名として聞かされていた名前。
死んだと聞かされていた母の名が、十四年前の薬品伝票の受取人欄に記されていた。
「……母さん」
声が出た。
シアンが顔を上げる。
「ユーリ、違う。これは――」
「母さんが、グラキエスにいた?」
「名前が同じだけだ」
シアンの左手の親指が、袖口へ隠れた。
嘘だ。
伝票の紙は古い。
だが、宛名の筆跡は僕が知っているものに近い。子どもの頃、僕の名前を書く時に使っていた、少し右へ流れる文字。
死んだはずの母が、父の救援隊と同じ場所にいた。
そして、現在の孤児院へ送られる薬品伝票の束に、その名前が残っている。
「母さんは、死んでいないのか?」
僕が聞いた。
シアンは答えなかった。
バレルが、伝票を奪い取ろうと手を伸ばす。
フィーナが先に赤い保存糸を結んだ。
「この伝票は、重要証拠として保全します」
「そんな古い紙が、何の証拠になる?」
「受取人の存在と、輸送路の一致を示します」
ガウェインは伝票の宛名を見た。
「ユーリ。お母上の名前を、公式記録で確認できるか?」
「わかりません」
「調べる必要がある」
僕は伝票から目を離せなかった。
母は、僕が知らない場所で薬を受け取っていた。
父が死んだとされるグラキエスで。
黎明の瞳が救護をしていた時代に。
バレルが、机の上に置かれた一枚の伝票へ手を伸ばした。
その動きだけが、他の証拠へ向けたものと違っていた。
彼は紋章でも、薬でもなく、母の名が書かれた伝票だけを持ち出そうとしていた。
フィーナが伝票を裏返すと、紙の繊維の奥に、半分だけ残った古い確認印が見えた。輪郭の一部が削られているが、現在のバレルの印と同じ癖がある。
この伝票は、十四年前の受領確認へつながる可能性がある。バレルが恐れているのも、その先なのかもしれない。
母の名前へ伸びた手だけが、途中で止まった。何かを知っている反応に見えた。
そして、その伝票をここに残しておきたくないと思っている。




