魔導監査室の封印鑑定士・フィーナ
フィーナの言葉に、尋問室の空気が変わった。
バレルは笑顔を崩さなかった。
「封印を見ただけで、そこまで断言できるのか?」
「見ただけではありません。光の屈折、封蝋の冷え方、紐の圧力、木箱に残った繊維を確認しています」
フィーナは、青い魔力光を箱へ近づけた。
鏡の中で、三重の封印が浮かび上がる。
一つ目の輪は淡く安定していた。
二つ目は、その上から重ねられている。
三つ目は、さらに外側へ貼られているが、魔力の流れが逆だった。
「正規の封印は、内側から外側へ固定されます」
フィーナは淡々と説明した。
「これは外側の印を先に貼り、その上から古い印を隠すように重ねている。貼付順が逆です」
「印章の持ち主が、途中で封印を確認しただけでは?」
バレルが言った。
「確認したなら、古い封印を剥がしてから新しい封印を貼ります。これは剥がさず、上へ貼った痕跡がある」
「それが何を意味する?」
「誰かが、古い封印を残したまま、別の封印を正規品に見せようとしたということです」
フィーナは箱へ触れなかった。
まず、角度を変える。青い光が封蝋の表面を滑り、乱れた魔力だけを浮かび上がらせる。
「箱を開けていないのに、なぜ中身のすり替えを疑える?」
ガウェインが尋ねた。
「箱の中身を確認する必要はありません。誰が、いつ、どの順番で封印へ触れたかを調べればいい」
フィーナは鏡を外し、細い金属製のヘラを取り出した。
刃先は薄く、紙一枚よりも細い。
「このヘラは、封蝋を割らずに隙間へ差し込みます。力を入れすぎれば、封印全体が崩れる」
「そんなことを公開尋問の場でしていいのか?」
バレルの声に初めて焦りが混じった。
「あなたが証拠として提示した箱です。鑑定を拒む理由はありません」
「箱の封印が崩れれば、証拠が失われる」
「崩さないために、私が扱います」
フィーナは箱の側面へ視線を落とした。
木材の継ぎ目。封蝋の端。赤い紐が通された穴。
何も見落とさない目だった。
ヘラが、封蝋と木の間へ入る。
わずかに持ち上がる。
フィーナは一片の木屑を取り出した。
小さな木屑は、指先ほどしかない。だが、その表面には黒い泥と白い塩の粒が付いていた。
尋問室の隅で、ミーシャが息を呑んだ。
「塩坑の泥……」
フィーナが彼女を見る。
「塩坑?」
「グラキエスの診療所で見た泥と同じ。黒い砂と白い塩が残ってる」
フィーナは木屑を小さな証拠札へ置いた。
「泥の付着方向も確認します」
斜めから差した光に、木の繊維が一方向へ潰れているのが見えた。
「この木屑は、箱が泥の上を引きずられた時に剥がれたものです。置かれていただけではない」
バレルが記録板を叩く。
「塩坑へ運ばれたという証拠にはならない。王都へ運ぶ途中で、雪泥が付いた可能性もある」
「この泥は王都の雪泥ではありません」
フィーナの返事は早かった。
「塩分濃度が高すぎる。さらに、泥の中へ含まれている鉱物がグラキエス北部の塩坑と一致する」
ガウェインが、証拠札へ手を伸ばしかけた。
フィーナが赤い糸で札を束ねた。
二重に結ばれた赤い糸。
最初の結び目を固定し、その上から保存用の輪を重ねている。
「記録を封じるのか?」
ガウェインが聞く。
「証拠を保存します。順番を変えられないように」
フィーナは糸の端を切った。
「この結び方は、誰かがほどこうとすると繊維が乱れます。物証だけでなく、証拠がいつ、どの順番で保管されたかも残る」
シアンの結び目とは違う。
彼の結び方は、簡単にほどいて再利用するためのものだった。フィーナの結び方は、ほどかれたこと自体を記録するためのものだ。
同じ赤い糸でも、目的が違う。
「では、箱の封印をもう一度見ます」
フィーナは赤い保存糸を新しい証拠札へ結び、箱の紐を持ち上げた。
紐の片側だけが、強く潰れている。
「この紐は、一度結び直されています」
「輸送中に緩んだのだろう」
バレルが言った。
「輸送中に緩んだなら、結び目の両側に同じ摩擦跡がつく。しかし、これは片側だけが潰れている。誰かが、ほどくための結びを使い、あとで別の人間が上から固定用の結びを重ねた」
フィーナは、紐の結び目を指した。
「最初の結び手は、荷物をすぐに開けるつもりだった。後から結んだ人間は、開けた事実を隠したかった」
僕は結び目を見た。
シアンの左手の親指。
輸送箱に触れていた灰。
検問所で見た偽封印。
すべてが一本の紐でつながっていく。
「ユーリ」
フィーナが僕へ顔を向けた。周囲に聞かせるように、声を整える。
「最後に荷物を扱った配達員として、見た状態だけ答えてください。鑑定と判断は私がします」
「は、はい。僕が触れた時は、もっと簡単な結び方でした」
「どんな形?」
僕は机の上に指で描いた。
左へ逃げる輪。二度折られた端。片手で締めるための結び。
「これです」
フィーナは、箱の紐を見た。
「あなたの証言と、現在の結び目は一致しない」
「でも、僕が結び直した可能性もあります」
「可能性はあります。だから、あなたを無罪とは言いません」
フィーナは、僕を庇わなかった。
「ただし、部長が提示した証拠は、あなたが封印を貼った証明にならない」
バレルが立ち上がった。
「フィーナ。君は、私の証拠を偽造だと言うのか?」
「まだ偽造とは言っていません。正規の封印の上へ、別の印が貼られていると言っているだけです」
「同じことだ!」
「違います」
フィーナは封蝋の最も外側へ青い光を向けた。
青い魔力光が、細い線を浮かび上がらせる。
外側の印の奥に、さらに古い刻印が隠れていた。
王立輸送ギルドのものではない。
羽根を広げた軍用の紋章。その下に、短い番号が刻まれている。
フィーナの指が止まった。
「これは……」
ガウェインが近づく。
「何だ?」
「廃止された軍用封印です」
フィーナは、封蝋を見つめたまま答えた。
「十四年前に使用停止になった封印が、現在の箱へ混ざっている」
部屋の誰も、声を出さなかった。
バレルだけが、拳を握っている。
フィーナは証拠札へ赤い糸を結び、封印の刻印を記録した。
「この封印を使った人間は、現在の輸送記録ではなく、十四年前の軍用規則を知っています」
僕は焼けた台帳を思い出した。
父の隊。
失われた補給。
同じ塩坑道。
そして、死者の息子を待っていた首謀者。
青い光が、廃止された軍用封印を照らしていた。




