重い帳場
隠し部屋で台帳と密書を確認したあと、僕たちはオズワルドの案内で、倉庫用の内通路を逆にたどった。
裏門から入ったままでは、バレルに「密かに侵入した」と記録を書き換えられる。だからガウェインは、あえて僕を正面玄関へ連れ出し、職員全員の前で拘束の経緯を残すつもりだった。
王立輸送ギルドの空気は、北の雪より重かった。
正面玄関を入った瞬間、職員たちの視線が一斉に集まる。誰も声をかけない。伝票を書く音も、荷札を整理する音も、普段より小さかった。
掲示板の中央には、見慣れない標語が貼られている。
――安全のための犠牲。
公爵家の紋章とともに、金色の文字で書かれていた。
その言葉を見た時、グラキエスの診療所で聞いたエリーゼの話が蘇った。
救援を続けるな。
危険区域を封鎖しろ。
生存者の数を確定させろ。
十四年前の命令と、同じ考え方だった。
安全を守るためなら、誰かを犠牲にしていい。
犠牲になった人間の名前を、記録から消していい。
「ユーリ・クロムウェル」
広間の奥から、バレル部長の声が響いた。
「戻ったか。ずいぶん大勢に迷惑をかけたな」
バレルは、王立輸送ギルドの制服を着ていた。胸元には部長の徽章。髪は乱れていない。顔色も悪くない。
僕が逃走犯になっている間も、彼はここで普通に仕事をしていた。
その事実が、怒鳴り声より気味悪かった。
「僕は、逃げたわけでは――」
「言い訳は尋問室で聞く」
バレルは職員へ向き直った。
「全員、証人として立ち会え。古代遺物を横領した職員が、どのような経路でギルドの信頼を裏切ったのか、よく見ておけ」
公開尋問。
処分を決めるためではない。
僕が犯人だという空気を、職員全員へ先に植えつけるためだ。
ガウェインが一歩前へ出る。
「正式な尋問なら、王国特務捜査隊の立ち会いを要求する」
「もちろん歓迎しますよ、特務捜査官。公爵家も、正しい捜査を望んでいる」
バレルの笑顔は、口元だけでできていた。
「ただし、これはギルド内部の横領事件です。最初の証言は、我々が管理します」
「証人を管理する?」
「保護する、という意味です」
ガウェインの目が細くなった。
「言葉を選べ、部長」
「私はいつも、王国の安全のために言葉を選んでいます」
バレルは僕を尋問室へ押し込んだ。
部屋の壁には、記録板が三枚並んでいた。
一枚目は、僕の担当表。
二枚目は、心臓を積んだ輸送箱の出庫記録。
三枚目は、僕が箱を最後に扱ったという証言の一覧。
証言者は三人。
倉庫職員、夜間警備員、転送魔導陣の管理係。
三人とも、僕が箱へ一人で近づいたと話している。
証言の言い回しが、妙に揃っていた。
「他の人間を見なかった」
「ユーリが箱の封印を確認していた」
「その後、箱の重量が変わったように思う」
見たものではなく、言わせられたものだ。
僕は椅子へ座り、肩を小さく震わせた。
「ぼ、僕は箱を盗んでいません」
「では、なぜ箱の中身が消えた?」
バレルが記録板を叩いた。
「君が最後に触ったからだ」
「箱を開けた記憶はありません」
「開けた記憶がないと言えば、罪が消えると思っているのか?」
バレルの声が大きくなる。
職員たちが、ガラス越しにこちらを見ている。隣の記録係は、僕が怯えるたびに小さく頷いた。
部長の言う通りだ、と確認している。
「心臓は、帝国へ売ったのか?」
「売っていません」
「黎明の瞳へ渡したのか?」
「知りません」
「では、どこへ消えた?」
「僕にはわかりません」
同じ質問を、言葉だけ変えて繰り返す。
答えを聞くためではない。
僕の返事が変わるまで続けるつもりだ。
ガウェインが記録板へ視線を向ける。彼は口を挟まない。バレルが何を言うか、証人がどの順番で反応するかを見ている。
バレルは、それに気づいていない。
「特務捜査官。こちらに、重要な証拠があります」
バレルは記録係へ合図した。
係員が封印箱を運び込む。
偽の封印箱ではない。
心臓を運んだ箱の外装を模した、別の箱だった。表面には公爵家の監察印、王立輸送ギルドの担当印、三重に重ねられた封蝋がある。
僕の名前まで押されている。
ガウェインの手が、魔導銃の近くで止まった。
「その箱は、どこから?」
「輸送記録の保全倉庫です」
バレルが答える。
「中身は?」
「確認していません。封印を割れば証拠が壊れる」
「なら、証拠とは何だ?」
「封印そのものです。安全のための封印が、ユーリの担当印を示している」
バレルは掲示板の標語を指した。
「記録は、人間より正確です」
僕の指先が冷たくなった。
人間を裁く前に、封印を固定する。
箱の中身を見なくても、印があれば罪が成立する。
検問所と同じ制度だ。
「心臓を盗んだという証拠が、箱の封印だけ?」
ガウェインが尋ねた。
「他にも証人がいます」
「証人は、全員が同じ言葉を使っている」
「記憶が一致しただけでしょう」
バレルは笑った。
「特務捜査官は、ギルド職員を疑うのですか?」
「私は、証拠を疑っている」
「それは、犯人を庇う発言と受け取られます」
ガウェインの表情から、感情が消えた。
バレルは、その沈黙の意味を読み取れなかったようだった。
それとも、気づいていても公爵家の後ろ盾を信じているのか。
「ユーリ」
バレルが僕へ顔を寄せた。
「お前が正直に話せば、減刑を頼んでやる。心臓を誰へ渡したのか。誰に命令されたのか。黎明の瞳との関係は何か」
「僕は、何も知りません」
「まだ演じるか」
その言葉だけ、声が低かった。バレルが僕をただの無能とは見ていないことが伝わった。
僕が気弱な配達員を演じていると断定したわけではない。怒鳴って反応を引き出し、その反応を記録へ貼りつけて、あとから「勤務態度の悪い職員」に仕立てていたのだ。
僕が周囲を観察していることまで、彼は利用していた。正体を知っているのではなく、正体が何であっても責任を押しつけられるよう、先に評判を作っていた。
「僕は、本当に配達員です」
右肩が下がった。
バレルが満足そうに笑う。
「その肩の下げ方。誰に教わった?」
背中に冷たいものが走った。
今世のバレルが知るはずのない、僕の古い癖を、彼は知っているふりをした。
影班の記録に、僕の癖まで書き残されているのか。
それとも、誰かから聞かされているのか。
尋問室の扉が開いた。
黒い髪の女が、書類箱を抱えて立っている。
無表情で、封印と数字だけを見ていた。
胸元の徽章には、魔導監査室の文字。
「部長」
女はバレルを見ず、封印箱だけを見た。
「何だ、フィーナ。今は公開尋問中だ」
「その封印、貼られた順番が逆です」
フィーナは、青い魔力光を放つ鑑定鏡を箱へ向けた。
三重の封印が、薄暗い室内で青く浮かび上がる。
正規の魔力層は、三重の輪になっていた。
その上に貼られた偽印だけが、光を乱している。
フィーナは淡々と告げた。
「この封印は、ユーリさんが貼ったものではありません」




