消えた荷物
憲兵たちは、僕が数えた通り五人だった。
先頭の男が懐から黒い身分証を取り出し、王立輸送ギルドの受付へ向ける。刻まれた紋章は、一般の憲兵ではなく、王国特務捜査隊のものだった。
王国特務捜査隊きっての腕利き、ガウェイン特務捜査官。
名前だけは知っていた。証拠が足りなければ貴族の屋敷にも踏み込み、証拠が揃えば王族の命令さえ問い直す捜査官。僕が箱の周囲から拾った違和感も、バレルの不自然な反応も、まだ口にはしていない。ガウェインがどこまで見抜いているかは分からない。それでも今は、現場に残る最も確かな状況証拠が僕を指している。彼は職務に従って、僕を拘束するつもりだ。
「全員、その場を動くな。輸送品に関する緊急検査を行う」
声は低く、よく通った。
怒鳴っているわけではない。それなのに、ギルド内の音が一度に消えた。
バレルだけが、遅れて笑顔を作った。
「これはこれは。特務捜査隊の方が、いったい何のご用件で?」
「グラキエス自治区から到着した荷物を確認する」
「もちろん、正式な手続きには喜んで協力いたしますとも。ただ、その箱はまだ受取検査の前でしてな。責任者である私が――」
「触るな」
短い言葉だった。
バレルの手が、木箱の蓋から数寸のところで止まった。
ガウェインは箱の周囲を見回した。床に落ちた灰、開け放たれた帳簿、職員たちの靴先。誰も声を上げない。だが、沈黙の中には「誰がやった」という期待が混じっていた。
ガウェインは、僕の方を一度だけ見た。
「君。箱を最後に扱ったのは?」
「ぼ、僕です……」
答えた瞬間、背中にいくつもの視線が刺さった。
自分から手を挙げたようなものだ。けれど、隠せば余計に疑われる。今は、疑われること自体を避けるより、疑いがどこから向けられているのかを見た方がいい。
「担当したのは僕ですが、箱の受け取りから保管まで、僕一人で行ったわけではありません。受領時は倉庫係が二人、転送陣の前では検査官が一人、それから――」
「余計なことを言うな、ユーリ!」
バレルが怒鳴った。
僕は口を閉じた。
バレルの声が途切れたあと、捜査官の目が一度だけ彼の顔へ移った。
それから、答えを遮った手と、まだ開いたままの帳簿へ落ちる。
「箱を開ける」
ガウェインが検分用の細い杖を取り出した。杖の先端が青く光り、木箱を包む三重封印を順番に照らしていく。
送り主の封印。
輸送ギルドの封印。
受取人の封印。
どれも破られていないように見えた。
けれど、三つ目の輪郭がわずかに揺れている。誰かが封印を壊さずに、箱の継ぎ目だけを開けたのだ。
捜査官は封印を直接剥がさず、箱の四隅に細い銀針を差し込んだ。針が震え、封印の内側から乾いた音が返ってくる。
「開封許可」
杖の光が消えた。
バレルが唾を飲み込む。
蓋が持ち上がった。
中に入っていたのは、黒くくすんだ鉱石だった。
見た目だけなら、グラキエスで採れる安価な黒鉱石にしか見えない。だが、僕は箱を開ける前から知っていた。
違う。
本来ここにあるはずだったものは、こんな不規則な石ではない。
王国が百億ルミナの価値をつけ、輸送経路を秘匿し、三重封印で守った古代遺物。正式名称を知る者は少ないが、影班の資料にはこう記されていた。
禁忌の心臓。
古代魔導文明が残した、都市ひとつを消し飛ばす暴走炉の核。
その心臓が、消えている。
「中身が違う」
誰かが呟いた。
次の瞬間、バレルが僕を指差した。
「ユーリだ! 最後に箱を扱ったのは、こいつです!」
予想通りの早さだった。
「私は何度も、こいつの勤務態度に問題があると報告していた! 荷物を落とす、伝票をなくす、勝手な判断で経路を変える! 今回も、こいつが古代遺物を横流ししたに違いありません!」
証拠より先に物語を作る。
人間は、証拠のない空白に、もっとも納得しやすい犯人を置きたがる。
僕は怯えた顔を作った。
「ち、違います……僕は、そんな高価なものを盗んだりなんて……」
「では、なぜ君の担当印が箱に残っている?」
ガウェインが、箱の側面を示した。
そこには、確かに僕の配達印があった。
王立輸送ギルドの規則では、担当印を押した配達員が、受取人へ荷を渡すまでの安全を保証する。荷の中身が変わっていれば、責任を負うのは最後の担当者だ。
僕が箱へ近づき、封印に触れ、担当印を押したことは事実だった。
嘘をつけば、たった一つの嘘で全体が崩れる。
だから、僕は本当のことを言った。
「その印は、僕のものです」
バレルが勝ち誇ったように息を吐いた。
「ほら見ろ!」
「でも、僕が押した時には、箱の底はこんなに暖かくありませんでした」
空気が変わった。
黒鉱石を取り出した後の箱へ、僕は手のひらを当てた。
底板だけが、わずかに熱を持っている。保冷魔法が切れた熱ではない。外気にさらされた木材の冷たさの中で、底からだけ温度が返ってくる。
「底板にだけ、内側から熱が残っています。黒鉱石を置いた場所は、ここより暖かかった」
「配達員が鑑識の真似事をするな!」
「黙れ、バレル」
ガウェインの声が落ちた。
バレルが口を閉じる。
捜査官は僕ではなく、箱の底板を検分していた。細い金属板を差し込み、焦げた木屑を一片だけ取り出す。木屑は黒く見えたが、光にかざすと灰色の粒子が混じっていた。
僕は、焦げた木屑を指でつままず、目だけで追った。
底板の熱は、箱の外からではなく、内側から残っている。
「なるほどな。では、君はその一時間、どこにいた?」
問いかけに、僕は答える前にわざと視線を泳がせた。
バレルの背後で、倉庫係の男が火皿を持ち上げた。焼却用だ。誰かが、証拠を燃やそうとしている。
ならば、今ここで犯人の手を止めるより、焦らせた方がいい。
「僕は……転送陣の前にいました。でも、点検中は何も見ていません。あの一時間、誰も箱に触れていないと思います」
バレルの右手が、わずかに動いた。
「その通りだ! 点検中に箱へ近づける者などいなかった!」
早すぎる否定。
ガウェインの視線が、再びバレルへ向いた。
僕は拾い上げた伝票の裏に、箱底から取れた灰を指先で押しつけた。証拠を持ち出すなら、手帳よりも紙の方が自然だ。
火皿を持った倉庫係の靴底に、細かな白い石粉が付いている。
正面通路の雪とは違う。炉の裏へ続く、灰運搬路の粉だった。
男が一歩、裏口の方へ重心を移した。
「ガウェイン特務捜査官」
僕は、怯えた声を作りながら言った。
「焼却炉の正面じゃなくて、裏の灰運搬路を見た方がいいと思います。そこから逃げる人の靴に、今の石粉が付くので……」
バレルが怒鳴るより先に、ガウェインの視線が倉庫係の靴へ落ちた。
「聞いたな。焼却炉の裏を塞げ」
命令は短かった。
倉庫係の男が、ほんの少しだけ身を引いた。
その時、背後で金属音が鳴った。
振り返ると、シアンが立っていた。
彼の左手は、袖口の中に隠れている。
僕の名前を呼ぶことも、助けることもせず、ただこちらを見ていた。
バレルが叫ぶ。
「ユーリ・クロムウェル! 王立輸送規定に基づき、古代遺物横領および輸送品すり替えの容疑で拘束する!」
手首に冷たい拘束具がかかった。
雪より冷たい金属が、手首の骨まで食い込んでくる。
さっきまで箱の中にあったはずの禁忌の心臓は、巨大な氷の下で跳ねるような熱と脈動だけを残して、今はどこにもない。箱底の暖かさはまだ掌に残っているのに、あの不気味な鼓動だけが消えている。
失われたものの不在が、熱のように僕の指先へまとわりついた。
僕は抵抗しなかった。
逃げられないからではない。
ここで逃げれば、僕は本当に犯人になる。
だから、まずは捕まる。
そして、捕まえた側が隠しているものを、内側から見る。
耳元で、シアンの声がかすかに聞こえた。
「……俺を信じろ」
その言葉が、いちばん信じられなかった。




