床板の槍
その言葉が、雪の中へ落ちた。
ガウェインが僕の肩を押した。僕は、開いたままの二重底へ身を滑り込ませた。
魔導装甲車は止まっている。
運転席にはパック。後部にはシアンとミーシャ。ガウェインは僕の隣に立ち、検問兵から見えない角度で魔導銃を下げていた。
戻る必要はなかった。
若い兵士が、僕の正体を口にした時点で、もう隠れている意味は薄い。
それでも、姿を見せれば全員が巻き込まれる。
僕は魔力遮断シートの中で、右肩を上げた。嘘をつく時の癖を消すためではない。槍の通る位置を、少しでも外すためだ。
「何を言っている?」
ガウェインが尋ねた。
「その男は、古代遺物の横領犯だろう。影班の潜入員が、配達員のふりをしている」
若い兵士は手配書を持っていなかった。
僕の名前を確認する道具もない。
それなのに、影班という言葉だけを知っている。
「証拠は?」
「顔を見ればわかる」
「顔を見て、職務上の所属がわかるのか?」
ガウェインの声が低くなった。
若い兵士は答えず、魔導装甲車の後部へ歩いてきた。
「床下を調べる」
「許可しない」
「さっきは好きにしろと言ったはずだ」
「君が名乗った命令の出所を説明していない」
ガウェインが道を塞ぐ。
若い兵士は、彼を睨んだ。
「特務捜査隊が、影班を庇うのか?」
「私は容疑者を庇っているのではない。手続きのない捜査を止めている」
「王国を守るためだ」
「王国を守るなら、まず命令の記録を残せ」
ガウェインは、いつもの言葉を繰り返した。
「証拠が揃うまで、容疑者を敵の手へ渡すな」
若い兵士の目が、わずかに動いた。
苛立っている。
この男は、ガウェインと議論をしたいわけではない。僕を車内から引きずり出したいだけだ。
若い兵士が、後ろへ合図を送る。
検問兵が二人、魔導装甲車の側面へ回った。
「ガウェイン特務捜査官」
僕は床下から声を出した。
シアンが息を呑む。
ガウェインだけが、視線を動かさなかった。
「何だ?」
「僕を出すと、皆が危険です」
「それは、君が隠れているからか?」
「そうではなく、あの人たちは僕だけを見ていません」
床板の薄い隙間から、外の魔力を読む。
正面の検問兵は五人。塔の上に四人。さらに道の先に、魔導通信器を持つ者が二人いる。
若い兵士は囮だ。
彼が僕を影班と呼び、ガウェインと揉めている間に、別の誰かが偽の箱を回収しようとしている。
「ガウェイン特務捜査官、箱を見てください」
「箱?」
「偽の封印箱です。さっきの隊長が、誰かへ渡そうとしています」
ガウェインの視線が、検問所の奥へ向いた。
木柵の裏で、隊長が偽の箱を抱えている。記録台ではなく、監視塔の死角へ運んでいる。
「おい!」
ガウェインが叫んだ。
隊長が足を止める。
「その箱をどこへ運ぶ?」
「封印保管庫だ」
「保管庫は反対側だ」
隊長の手が、箱の側面へ触れた。
僕の担当印が、雪明かりの中で浮かび上がる。
「この箱には、ユーリ・クロムウェルの印がある。盗難証拠として王都へ送る」
「その箱の中身は?」
「確認していない」
「なぜ、確認していない箱を証拠として送る?」
隊長は黙った。
ガウェインが一歩進む。
「箱を置け」
「特務捜査官、これは公爵直属の――」
「置け」
魔導銃の発射音はしなかった。
それでも、ガウェインの声には引き金と同じ強さがあった。
隊長が箱を地面へ置く。
箱を荷台から降ろした時、床板の隙間へこぼれた灰色の粉だけが残っていた。
その瞬間、若い兵士が床板へ槍を突き立てた。
魔力遮断シートを貫き、穂先が僕の左肩をかすめる。
熱い。
遅れて、血が流れた。
僕は反射的に槍の柄を掴みそうになった。
掴めば、引き込める。
肘を折り、床板を蹴り、突いた本人を二重底へ落とせる。
その動きは、身体が覚えている。
だが、やらなかった。
床下にはシアンとパックがいる。外にはミーシャがいる。僕が反撃すれば、床板が壊れ、全員の正体が露見する。
僕は歯を食いしばり、肩を引いた。
槍の穂先が抜ける。
血が、床板の裏側へ落ちた。
赤い滴が、床板の隙間に残った粉へ触れる。
青い光が走った。
検問兵が息を呑む。
「封印が反応した」
若い兵士が言った。
「王国の認証印だ。こいつは王国軍の血を――」
「違う」
僕は思わず口にした。
影班の認証薬は血筋を見るものではない。任務前に指先へ塗り、特定の魔力封印へ触れた時だけ青く反応する。所属を証明するための薬だ。
しかも、数日前の採用検診で塗られた冬季用の保護膏に混ぜられ、皮膚の小さな傷から血へ移るよう調整されていた。僕は、そんな検診を受けた記憶を思い出せなかった。
僕は転生してから、一度も使った覚えがない。
それなのに、血が反応した。
誰かが、僕の身体へ認証薬を仕込んでいた。
「ユーリ?」
シアンが、床下で囁いた。
「黙って」
僕は答えた。
考える。
箱の偽印。影班の認証薬。王都から届いた追跡命令。
僕を犯人にするための証拠だけではない。
僕が影班の人間だと、誰かへ知らせるための合図だ。
若い兵士が槍を再び構えた。
「やはり中にいる。引きずり出せ」
今度は、反撃しなければならない。
だが、ガウェインが先に動いた。
魔導銃の銃口を、若い兵士の足元へ向ける。発射音は一発。魔導弾が雪を弾き、兵士の足元に封印の輪を広げた。
若い兵士の膝が固まる。
「私の部下へ槍を向けたな」
「影班を庇うのか!」
「今の私は、君の不正な捜査を止めている」
ガウェインは、魔導銃を下げなかった。
「もう一度床を突けば、次は武器を狙う」
検問兵たちがざわめく。
隊長は、地面に置いた箱へ視線を落とした。
その瞬間、監視塔の上で魔力灯が二度明滅した。
遠くの雪原から、別の合図が返る。
トン、トン、トン。
検問所の外に、誰かがいる。
隊長が箱を拾い上げた。
「待て」
ガウェインが叫ぶ。
隊長は答えなかった。
木柵の外から、黒い外套の腕が伸びる。隊長は偽の封印箱を、その腕へ渡した。
受け取った人物の手袋には、灰色の羽根が刺繍されていた。
黎明の瞳か。
それとも、黎明の瞳を装った別の組織か。
箱は雪煙の向こうへ消えた。
ガウェインが魔導銃を向けるより早く、外套の人物は斜面を滑り、姿を隠した。
検問所に残ったのは、僕の血に反応した青い光だけだった。
そして、その光を見た若い兵士が、低く笑った。
「やはり、影班の犬だ」
僕は肩の痛みを押さえながら、床下で目を閉じた。
反撃しなかったことよりも、偽の箱が敵へ渡ったことの方が重かった。
あの箱は、僕を犯人にするための証拠ではない。
誰かが、僕を次の場所へ呼び出すために用意した道標だった。




