肉パイの賄賂
「王立輸送ギルドの担当印だ。箱を開ける」
検問兵が、偽の封印箱へ手を伸ばした。
僕は二重底の中で、息を止めた。
箱が開けば、僕の印が押された偽物が記録される。封印の中身が何であろうと、記録上は僕が運んだことになる。
「開けるな」
ガウェインの声が響いた。
「なぜ止める?」
「その箱は、私が捜査物件として保全する」
「公爵直属の監察命令がある」
「ならば、私の特務捜査隊封印と照合しろ。勝手に開ければ、証拠の改ざんになる」
検問兵が言葉に詰まった。
公爵家の印を盾にしているのに、ガウェインは特務捜査隊の権限で押し返している。どちらの封印が上位かを争えば、記録に時間がかかる。時間がかかれば、検問兵の交代が来る。
僕は床板の隙間から、外の魔力の流れを読んだ。
監視塔の魔導灯が、四回明滅する。
交代まで、あと三分。
「箱を開けないなら、容疑者を確認する」
検問兵が言った。
「顔を見せろ」
ガウェインは、二重底の存在を知らないふりをした。
「ユーリ・クロムウェルは、私が拘束している」
「どこにいる?」
「魔導装甲車の後部だ」
僕は心の中で舌打ちした。
嘘ではない。だが、後部にいることを確認されれば、床下へ槍を突かれる。
「連れてこい」
「ここで?」
「顔を確認するだけだ」
「彼は暗殺部隊に襲われて負傷している。治療を受けたばかりだ」
「それでも命令だ」
ガウェインの足音が、魔導装甲車の後部へ近づいた。
床板の上で、槍の先が動く。
魔力遮断シートのすぐ上を、金属が擦った。
僕の隣で、シアンの呼吸が止まる。
パックが魔導バッグへ手を伸ばした。今度は止めなかった。狭い床下へ、香ばしい匂いが流れ込んできた。
肉と香草。
焼けた小麦の香り。
「……肉パイ?」
シアンが囁いた。
「パック、賄賂」
「お前、声が大きい」
「小さい声、難しい」
床板の隙間から、包み紙が一枚滑り込んできた。
赤い線が、紙の縁へ細く滲んでいる。染料が糸のように繊維へ入り込み、包み紙を留めていた。
ただの飾りではない。
食料を配るための印にしては、線が正確すぎた。
「それ、何?」
シアンが尋ねる。
「支援物資の包み紙。王都の染料だよ」
車外で、担架の車輪が石床を擦る音が止まった。ミーシャが濡れた袖を払いながら、車内へ戻ってくる。患者を別の警備車へ移し終えたのだ。
「この赤、普通の染料じゃない。糸を染める時のもの。紙を束ねる印に使ってる」
赤い糸。
僕はその線を記憶へ残した。
王都から辺境へ届く支援物資。その表の物流に、誰かが別の荷物を混ぜている。
肉パイの包み紙にまで、同じ印が使われているのなら、食料と古代遺物は同じ経路を通っていた可能性がある。
パックが床板を二度叩いた。
トン、トン。
次に、三度。
トン、トン、トン。
交代まで二分。風向きが変わった。そう伝えている。
僕は指で床を返した。
交代まで二分。後方の監視が弱くなる。
パックが工具で二重底の留め具を外す。
床板が数センチ開いた。
僕は外の様子を覗いた。
ガウェインが、検問兵の前に立っている。彼の横には、毛布を被せた人影があった。
人間ではない。
魔力を抑えた荷物の束だ。
だが、遠目には人が座っているように見える。
「これが容疑者だ」
ガウェインが言った。
「顔を確認する」
「負傷している。毛布を取る必要はない」
「規則だ」
「では、ここで確認しろ」
ガウェインは毛布の端を少しだけ上げた。
検問兵が身を乗り出す。
その背後で、パックが魔導装甲車の反対側から降りた。肉パイの包みを両手に抱えている。
「兵士さん、食べる?」
検問兵たちが振り返った。
「何だ?」
「肉パイ。熱い。酒、少し。寒い、食べる」
パックは魔導バッグから、さらに瓶を二本取り出した。
高級酒の封印が、雪明かりを受けて光る。
「どこから出した?」
「バッグ、出る」
「いや、そういう意味では――」
「食べる?」
検問兵たちは顔を見合わせた。
空腹は、命令よりも強いことがある。
特に、雪原の検問で何時間も立ち続けている兵士ならなおさらだ。肉パイの匂いが風に乗り、監視塔の方へ流れていく。
見張りの一人が、咳払いをした。
「一つだけなら」
「一人一個」
パックは真顔で包みを配り始めた。
ガウェインが僕へ視線を寄こす。
今だ。
僕は二重底から這い出した。
魔力遮断シートをかぶったまま、魔導装甲車の反対側へ移動する。シアン、ミーシャも続いた。床下は狭く、身体を伸ばせない。左腕の傷が痛んだが、声を出すわけにはいかない。
風が変わった。
東から吹いていた雪が、北へ流れ始める。
監視塔の灯りが、雪煙で白く滲む。
検問兵の交代が始まった。
新しい兵士たちが、古い兵士から帳簿と封印札を受け取っている。全員の視線が、肉パイと高級酒へ向いていた。
調べる側が、調べられる側へ変わっている。
僕は、ガウェインの背後へ滑り込んだ。
「ユーリ」
ガウェインが小声で言う。
「右肩を下げるな。交代兵に見られる」
「す、すみません」
「謝るな」
「癖なんです」
「なら、今直せ」
僕は肩を戻した。
ガウェインは、検問兵へ向き直った。
「容疑者の確認は終わった。公爵直属の箱は、こちらで保全する。記録には、私が引き取ったと書け」
「しかし、箱の担当印が――」
「担当印を調べる前に、印章そのものを調べろ」
ガウェインは、偽の封印箱を指した。
「印だけで人間を犯人にするな。最初に見た者の話まで戻れ」
検問兵が不満そうに箱を見る。
だが、隊長は酒の瓶を受け取り、封を開けた。
その瞬間、塔の魔導灯が五回明滅した。
交代完了の合図。
新しい検問兵が、帳簿を開く。
「次の通過車両は?」
「王都からの鉱石便だ」
隊長が答える。
僕たちの魔導装甲車は、鉱石便ではない。
だが、荷台の側面に貼られた古い輸送札には、鉱石便の印が残っている。パックが魔導バッグから出した偽札だった。
ガウェインが手を上げる。
「通過させろ」
「特務捜査官?」
「私が追っている容疑者は、ここにはいない」
検問兵が魔導装甲車の後部を見た。
「では、あの男は?」
「私の捕虜だ」
ガウェインが、毛布の束を指す。
「盗難犯は別方向へ移送する」
兵士たちは、毛布の下にいるものを確認しなかった。肉パイを片手に、帳簿へ視線を戻した。
封印箱を先に調べ、人間を後回しにする。
記録を固定できるなら、人間の顔など必要ない。
その制度の隙を、僕たちは利用した。
パックが運転席へ戻る。
シアンとミーシャが後部へ入り、僕はガウェインの隣へ立った。
「私も乗る」
ガウェインが言った。
「検問兵に見つかります」
「見つかったら、君を捕らえた特務捜査官として説明する」
「僕が逃げたら?」
「追う」
「それでも共闘ですか?」
「捜査だ」
魔導装甲車がゆっくり動き出した。
検問所の木柵が開く。
雪煙が車体の後ろへ流れ、監視塔の灯りが遠ざかっていく。
その時だった。
交代したばかりの若い検問兵が、帳簿から顔を上げた。
「待て」
魔導装甲車が止まる。
若い兵士は、僕を見ていた。
似顔絵と僕の顔を比べているわけではない。
もっと古い何かを見ている目だった。
「その顔……」
兵士の口元が歪む。
「影班の犬だ」
僕の背中を、冷たい汗が流れた。
彼は、ユーリ・クロムウェルの名前を知らないはずだ。
それなのに、僕が何者なのかを知っている。




