↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
空白を奪う者たち編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

121/121

屋根の上の二人と走り出す地下道

 同じ頃、補給車が谷の別の道を進む一方、グラキエスの古い鐘楼の屋根では、二人が伏せていた。


 アリーシャは、まだ王国の保護対象だった。ここへ来たのは、武装した暗殺者としてではない。王国特務捜査隊が任務ごとに発行する観測許可を受け、クリスの補助役として鐘楼へ上がっている。


 人へ向けて撃つ権限はない。魔導弩を使う場合も、許可札に記された記録杭や導路などの装置だけが対象になる。左脚の治療も続いており、近接戦闘と長時間の移動は禁止されていた。


 雪で白くなった谷の向こうに、黒曜の天秤が使う臨時の中継所がある。崩れた石橋のたもとに、三本の魔力杭が立っていた。


 杭は兵器の起動装置に見えた。


 実際、中央の杭には、魔導走砲へつながる黒い導路が伸びている。左右の杭は山肌へ埋め込まれ、見えない線を王都と帝国研究都市の方角へ送っていた。


 クリスは遠見の魔導鏡から目を離さなかった。


「破壊できる距離です」


 アリーシャが、隣で低く言った。


「撃てば、中央の杭は折れる。あれなら一発で止められる」


 彼女の指が、魔導弩の引き金へ触れる。


 クリスは、その指を見た。


「まだだ」


「敵の装置ですよ」


「だからだ。見えるものを壊すだけなら、誰でもできる」


 谷の入口には、黒曜の天秤の兵が四人いた。彼らは道を見ていない。


 道を通る人間も、車体も見ていない。


 魔力杭から伸びる細い光を、順番に確認していた。


 兵の一人が、中央の杭へ小さな板を差し込む。


 杭の表面に、白い文字が浮かんだ。


 王家秘密保管庫。


 その下に、受領予定時刻と、受領者の欄が並ぶ。


 次に右の杭が明滅した。


 グラキエス救護記録庫。


 そこには施設名だけでなく、幾つもの小さな点が表示された。患者、避難民、行方不明者。点の数が、あまりにも多い。


 アリーシャが息を呑む。


「あれは、名前の位置ですか」


「たぶん、名簿の頁だ」


 クリスは魔導鏡の焦点を変えた。


 浮かんだ点の一つに、黒い印が重なっている。


 その印は、名前ではなく空欄に付けられていた。


 受領者未定。


 救護路の途中で消えた人間や、身分を証明する書類を持たない子供たち。そうした人々の欄だけが、黒く塗りつぶされようとしている。


 中央の杭が、低く震えた。


 クリスは魔導鏡の横に置いた砂時計を見た。


 砂が落ちきる前に、杭の光が一つ消える。


 次に消えたのは、王家秘密保管庫の表示だった。


「王都側が先です」


 アリーシャが言った。


「なら、今のうちに中央を壊しましょう。次の起動へ移る前なら、まだ間に合います」


「違う」


 クリスは、王都の方角へ伸びた導路を見つめた。


「王都を先に狙ったんじゃない。王都側の羽片が、先に受領路へ触れたから反応した」


 昨日、三つの羽片が同時に光った。


 そのあと、王都側だけが一度暗くなった。


 誰かが受領路へ手を伸ばした、とクリスは考えた。


 敵は、その瞬間を待っていた。


 荷物がどこへ進むかではなく、どの記録が先に受け取られるかを見ている。


 受領権限が動いた順番を、起動順へ変えている。


「起動装置は、配達を追っていません」


 クリスは声を落とした。


「配達が成立した瞬間を、次の標的を決める材料にしている」


 アリーシャが中央の杭へ視線を戻す。


「でも、それなら壊せば止まります」


「杭は、起動装置じゃない」


 クリスは、長い間そこを見ていた。


 杭の根元には、黒い導路とは別に、細い銀色の線がある。地面の下へ入り、谷の外へ伸びている。


 杭は発射装置ではなく、誰かが記録を受け取った時刻を別の場所へ知らせる観測点だった。


 壊せば、敵は見えなくなる。


 だが、見えなくなるだけで、すでに送られた情報は消えない。


 むしろ、観測点を壊した者が、何を守ろうとしたのかを推測される。


「観測します」


 クリスが言った。


「敵がどの順で記録を消そうとしているか、最後まで見る」


「それで、間に合わなかったら?」


「その時は撃つ」


 アリーシャは一度だけ頷いた。


 彼女は魔導弩から手を離さなかったが、照準を杭から兵の足元へ移した。


 照準を兵の足元へ移したのは、敵が板を差し替えるたび、誰がどの杭へ近づくのかを見るためだった。


 谷では、兵の一人が三枚目の板を取り出した。


 帝国第零技術局。


 その表示の下に、技術記録の分類が並ぶ。


 古代炉出力経路。


 魔導走砲改造記録。


 黒曜の天秤受領札。


 ここまでは、予想通りだった。


 だが、最後に浮かんだ欄を見て、クリスの目が止まった。


 避難民名簿・照合用原本。


 帝国の技術記録庫にも、救護記録の照合頁が保管されている。


 名簿はグラキエスだけに保管されているわけではなかった。


 王都の秘密保管庫には、契約によって分類された人間の一覧がある。帝国の技術記録庫には、実験や輸送の対象として数えられた人間の一覧がある。グラキエスには、助けられた者と、助けられなかった者の一覧がある。


 三つは、同じ人間を別の名前で記録している。


 敵が消そうとしているのは建物ではなく、その人間がどの国にとって、どの立場で存在していたかというつながりだ。


 クリスは、先ほど王都側の羽片が暗くなった瞬間を思い返した。


 人間の位置ではなく、認証の位置へ線が伸びる。標的がいる建物ではなく、名前のついた欄を先に消す。


 今、目の前の杭も同じ順番で動いている。人間を撃つためではなく、受領者のない記録を切り離すために。


 似た構造を見たからといって、同じ設計者だとは言えない。けれど、現在の表示と、羽片が暗くなった時刻は一致している。


 クリスは、現世の物証だけを見て判断した。


「アリーシャ」


「はい」


「三つ目の杭を追え。光がどこへ戻るかを見る」


「破壊は?」


「まだしない。敵が次に消す頁を確認する」


 アリーシャは魔導鏡の調整輪を回した。


 遠くの谷が、白と黒の層に分かれて見える。


 黒い導路は帝国研究都市へ向かっているように見えた。


 けれど、その先で一度、細い光が折れている。


 向かった先は都市ではなかった。


 グラキエスの記録庫から、救護隊が持ち出した名簿の移動経路へ、線が伸びている。


 アリーシャの声が震えた。


「クリス。標的が変わりました」


「どこだ」


「避難民名簿です」


 中央の杭が、初めて赤く光った。


 魔導走砲の起動順を示す表示に、三つの保管所ではなく、一冊の名簿だけが浮かぶ。


 名簿の最初の頁。


 受領者のいない人々。


 名前はある。まだ、それを受け取る者が決まっていない人々だ。


 クリスは照準を杭へ戻した。


 引き金に指をかける。


 けれど、まだ引かなかった。


「ユーリへ通信を送る」


 アリーシャが魔力鏡を開く。


 クリスは、谷の向こうで点滅する黒い光を見つめた。


「敵の兵器は、記録庫を壊すためだけに動いているんじゃない」


 彼は、ゆっくりと言った。


「最初に消すのは、避難民の名簿だ」


 その瞬間、三本の魔力杭が同時に沈んだ。


 地面の奥で、巨大な車輪が回り始める。


 魔導走砲が、まだ誰もいない線路の上で、出発のための魔力を蓄え始めた。


 最初は、遠い雷のような振動だった。


 次に、谷を覆っていた雪が一斉に跳ねた。古い線路が地表へ押し上げられ、凍った土を割って黒い鉄の帯が現れる。


 線路は一本ではなかった。


 王都へ向かう線。


 帝国研究都市へ向かう線。


 グラキエスの谷へ沈む線。


 三本の線路が、地下の一点で重なっている。


 クリスは魔導鏡を覗いたまま、息を止めた。


 谷の底にあった石橋が左右へ開き、その下から巨大な魔導装甲車両の上蓋が現れた。


 厚い黒鉄の板が持ち上がり、その下から魔導走砲が姿を現す。先頭部は砲台というより、城壁を横倒しにしたような形をしていた。車輪は通常の鉄輪ではなく、魔力を帯びた環状の石で、線路に触れず数寸浮いている。


 車体の中央には、古代炉の脈動を閉じ込めた透明な管が走っていた。


 管の中で、赤黒い光がゆっくり流れている。


 武器を動かす炉ではなく、都市一つ分の魔力を別の場所へ配るための中枢だった。


 先頭車両が動くと、三本の線路に埋め込まれた黒い導路が同時に灯る。


 谷の向こうで、王家秘密保管庫の受領路が閉じた。


 帝国研究都市へ向かう救護路が、黒い門で遮られた。


 グラキエスへ続く古い排水路では、出口の石組みが軋んだ。


 走砲はまだ一歩も進んでいない。


 それなのに、三地域の道が、走砲を中心に組み替えられていく。


 アリーシャは魔導弩を構え、引き金へ指をかけた。クリスは魔導鏡から目を離さず、調整輪の縁を二度叩いて彼女を制した。


「杭を壊しても、線路の接続は切れません」


 クリスは、車両の側面に浮かんだ細い印を見た。


 起動杭は沈んだままなのに、走砲の脈動は止まっていない。


 杭は、走砲を動かすための部品ではなかった。


 どの記録が、どの順番で受領されたかを測る観測点だ。


 観測結果は、すでに走砲の中へ送られている。


「あれは、発車の許可を取るための目だ」


「なら、目を潰せば」


「見えなくなるだけだ。走砲は、もう自分の行き先を知っている」


 クリスは魔導鏡の焦点を、先頭車両の後ろへ移した。


 車両は全部で七つある。


 一号車は古代炉の制御管。


 二号車と三号車には、黒い帳簿と荷札が積まれていた。


 四号車から後ろは空の荷台に見えたが、天井には細い受領路の管が何百本も並んでいた。線路の下にある輸送路とつながり、人や荷物の移動を走砲の判断一つで止められる構造だった。


 後部車両の管へ、黒い荷札が吸い込まれた。


 出発地の欄が薄れ、運んだ者の名が消え、届け先だけが残る。救護路から渡された名簿でも、同じ順番で受領者の欄が黒く沈んだ。


 魔導走砲は記録庫を狙う砲台ではなく、黒曜の天秤が使ってきた輸送路を自分の帳場へ通し、人も荷物も届け先だけで受領済みにする移動式の帳場だった。


 遠見の魔導鏡の中で、先頭車両の側面に文字が浮かんだ。


 王都記録保管所。


 帝国第零技術局。


 グラキエス診療所。


 行き先の名前が、走砲の表示に並ぶ。


 だが、その横に、別の欄があった。


 受領者。


 黒曜の天秤。


 クリスの背中に冷たいものが走った。


 走砲は、記録を破壊しようとしているのではない。


 記録を、自分の帳場で受け取ろうとしている。


 そうすれば、王家の原本も、帝国の実行記録も、グラキエスの避難民名簿も、すべて同じ荷札で処理できる。


 救護の記録を、兵器の輸送記録へ変えられる。


 人間を、受領済みの荷物へ変えられる。


 クリスは魔力鏡の通信弁を開いた。


「ユーリ、聞こえるか」


 返事はすぐには来なかった。


 線路が動き、通信路の魔力が走砲へ吸われている。


 アリーシャが別の周波へ切り替えた。


 今度は、雑音の向こうからガウェインの声が返る。


『こちら王都側。受領路の封鎖を確認した。原本の受け取り場所が、勝手に移動している』


「走砲は、受領欄を書き換えようとしている」


『つまり、動く保管庫か』


「保管庫であり、輸送路の支配者です。線路は、各地の救護路へ接続されています」


『ユーリは?』


「王都側の受領路にいる。走砲を追うな。受領人を変えられる前に、正しい受け取りを成立させろ」


 通信の向こうで、ユーリの声が重なった。


『分かった。配達は、走砲へ届けるためのものじゃない』


「その通りです」


『走砲に受け取らせないために、先に人へ渡す』


 その言葉が途切れた。


 走砲の先頭から、低い警告音が響く。


 音は一度、二度、三度と重なった。


 クリスは目を逸らさなかった。


 魔導走砲の照明が、一つずつ灯っていく。


 灯った光は車体の窓ではなく、各車両が接続している輸送路の状態表示だった。


 王都記録保管所。


 帝国第零技術局。


 グラキエス診療所。


 表示の下に、同じ文字が浮かぶ。


 受領待機。


 そして、その下に、黒い印が重なった。


 受領者変更。


 アリーシャが息を吸う。


「走砲が、受け取り先を書き換えています」


「違う」


 クリスは、黒い印の形を見た。


「書き換えているんじゃない。最初から、こちらが正しい受領者へ届ける前提で、別の受領者を用意していた」


 黒曜の天秤の帳場が、三地域すべてに存在する。


 奪われるのは荷物ではなく、受け取る人間の席だ。そこへ先に別の名を書いている。


 発車鐘が鳴った。


 魔導走砲が、ゆっくり前へ進む。


 鉄の車輪は線路を削らず、線路の方が走砲へ吸い寄せられていく。


 走砲が通ったあと、雪の下から黒い荷札が浮かび上がった。


 その荷札には、各地の名前と、数え切れない人間の欄が刻まれている。


 先頭車両の表示が変わった。


 第一配達先。


 王都記録保管所。


 第二配達先。


 帝国第零技術局。


 第三配達先。


 グラキエス診療所。


 最後に、受領者の欄が黒く塗りつぶされる。


 黒曜の天秤。


 クリスは照準を下ろした。


「アリーシャ。杭ではなく、走砲の後ろを見ろ」


「後ろ?」


「走砲が動いたなら、必ず道を残す。あれは兵器であると同時に、輸送路そのものだからだ」


 アリーシャは魔導鏡を後方へ向けた。


 走砲が去った谷に、三色の魔力の糸が残っている。


 白い救護路。


 灰色の受領路。


 黒い帳場路。


 線路は絡み合い、ひとつの太い線になっていた。


 その線の先で、待機していた黒い荷車が一斉に動き出す。


 走砲はまだ遠くにある。


 けれど、黒曜の天秤の運び手たちは、走砲が開いた道をすでに使い始めていた。


 クリスは通信弁へ手を伸ばした。


「ユーリ。走砲が出た」


 返事の代わりに、遠く三方向から、同時に魔力の警告が響いた。


 受領路が閉じる。


 人々の名前が、名簿の上から一つずつ消え始める。


 魔導走砲は記録保管所へ向かうためではなく、国境そのものを自分の輸送路へ変えるために走り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。