↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
国境を越える荷札編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

107/121

呼ばれた名と画面の裏側

 局長の言葉が、青い魔導鏡の中へ沈んだ。


 君が戻ったせいで、また損失が増える。


 それは、僕の罪悪感の形を知る者が選ぶ言葉だった。


 少なくとも、現世の僕が何人を救えなかったかを、この男に話した覚えはない。


 それなのに、前世と同じ場所を刺してくる。


「あなたは、前世の記憶を持っているんですね」


 僕が言うと、局長は否定しなかった。


「持っている」


 短い返事だった。


 ガウェインが盾を少し上げる。


「前世という言葉を、今の世界の記録で説明できるか」


「できない。記録ではなく、私自身の記憶だからだ」


 局長は魔導鏡へ手を伸ばした。


 都市の地図が消え、青い光の面に、別の風景が浮かぶ。


 現在の研究都市ではない。


 壁の色も、道の形も違う。


 高い建物が並び、空には灰色の雲が広がっていた。


 魔導鏡の光が、局長の指の動きに合わせて揺れた。鏡の中の建物だけが、現在の研究都市と違う輪郭を持っている。


 高い建物。上空から見下ろす光点。閉鎖された扉と、赤く点滅する危険区域。


 フィーナが鏡面へ鑑定鏡を重ねた。光景は消えず、代わりに枠の縁だけが細く赤くなった。


「現世の物証ではないわ。本人の記憶を、魔力で映しているだけ」


 僕の胸が、苦しくなる。


 僕は、そこが前世の都市だと分かった。


「私は、現場へ行かなかった」


 局長が語る。


「作戦統括官として、上から状況を見ていた。建物の中へ入ったのは、君たちORBITの部隊だ」


 局長が口にしたORBITは、帝国の「オルビタ」とは違った。前世の綴りと意味を、そのまま呼んでいる。


 光点の一つが、危険区域の奥へ移動する。


 その光点を、局長は指で追った。


「ハウンド。危険物処理と特務輸送を担当していた。道を見つけ、人員を動かし、命令にない救助を何度も行った」


「それを、あなたは知っていた」


「知っていたから、封鎖命令を出した」


 ガウェインの声が低くなる。


「人を救おうとする者を、閉じ込めたのか」


「建物が崩壊する前に、出力装置を停止する必要があった。君が残れば、部隊全体が巻き込まれる」


 局長の記憶の中で、赤い線が一つ消えた。


 その線の先に、僕がいた。


「作戦区域から離脱しろ。そう命じた」


「僕は、離脱しなかった」


「君は、命令を無視した」


 局長の声に、初めて感情が混じった。


 怒りではない。


 長い年月をかけて固めた、確信のようなものだった。


「だから私は、君をハウンドと呼んだ。命令に従う特務の犬でありながら、最後には必ず自分の判断で戻る」


 僕は、魔導鏡の風景を見つめた。


 映像の内部に、建物の断面はない。


 外壁。


 上空の光点。


 閉鎖された扉。


 その内側で何が起きたのかは、局長の記憶から抜け落ちている。


「あなたは、建物の中を見ていない」


「見ていない」


「なのに、僕が死んだと決めた」


「反応が消えた。遺体が確認された。作戦上、死亡と判断する以外にない」


「遺体を確認したのは、あなたではない」


「部下が確認した」


「建物の中に、ほかの人間が残っていたかは?」


 局長は答えなかった。


 魔導鏡に映る断面図の下層が、黒く欠けている。


 崩壊直前の記憶だけが、最初から存在しないように抜け落ちていた。


 フィーナが、その欠けた部分を鑑定鏡で見た。


「これは記憶の損傷?」


「そうだ」


「都合よく、内部の記録だけがないのね」


 局長の視線が、フィーナへ向いた。


「都合ではない。私が見ていなかったからだ」


 その答えは、意外に正直だった。


 彼は万能ではない。


 現場の内部を知らず、光点と報告だけで判断している。


 それでも、その判断を正しいと信じている。


「私と君の記憶だけでは、何も証明できない」


 フィーナが言った。


「現世の物証と照合できるまで、私はあなたの話を事実として扱わない」


「構わない」


 局長は言った。


「記憶は、事実を残すには弱い。だから私は、記録と計算を使う」


「計算で、消えた人の名前を戻せますか」


 イリスが初めて口を挟んだ。


 局長は彼女を見た。


「必要な名前だけを残す」


「七人は、必要ではない?」


「七人を残せば、研究都市の封鎖が破れる」


「それは、名前の価値ではなく、あなたの都合です」


 イリスの指が、名簿の端へ食い込んだ。


 局長は怒らなかった。


「君の家族を救うには、都合が必要だ」


 イリスの顔から血の気が引く。


「彼らが生きている証拠を、私が持っている」


「だから、命令に従え」


 僕は、前世の青い画面を見た。


 別の隊員の家族情報。


 安全を保証するという言葉。


 任務を拒めば、家族が作戦区域へ送られる。


 局長の記憶の中でも、同じ仕組みがあった。


 人間を動かすのは、命令ではない。


 帰る場所を奪うことだ。


「あなたは、僕と同じ世界の人間だ」


 僕は言った。


 局長の魔導杖が止まる。


「君とレヴィに続く、三人目の転生者だ」


 その言葉が、保守室へ落ちた。


 ルカが息を呑む。


「転生者……?」


「前の世界で死に、別の世界で生まれた人間」


 局長は、淡々と説明した。


「私は、前の世界の記憶を完全には持っていない。都市の形、作戦の失敗、君のコードネームだけが残った。だが、それで十分だった」


「何が十分なんですか」


「君が、また戻ってきたことを理解するには」


 局長の魔導鏡に、前世の崩壊した建物が浮かぶ。


 建物の周囲に、二つの光点がある。


 僕。


 レヴィ。


 その二つに加えて、建物の内部に残った、見えない光点がもう一つ。


 局長は、その光点へ触れようとした。


 指が止まる。


 名前を呼ぼうとしたように見えた。


 けれど、声にならない。


「あの技術員は……」


 局長は言いかけて、視線をそらした。


「君を救った人間は、記録に残っていない」


 マヤという名前を、彼は言えなかった。


 知らないのか。


 それとも、知っているのに失っているのか。


 僕には、まだ分からない。


 局長は魔導鏡を閉じた。


「私は、君が民間人を置いて離脱したと判断している」


「それは、あなたの記憶ですか」


「そうだ」


「では、建物の中に何人いたかを、あなたは見ていない」


「見ていない」


 局長は、まっすぐ僕を見た。


「だからこそ、計算で補った。君が戻ったことで、全体の損失が増えた」


 僕は、目の前の男を見た。


 前世の敵。


 現世の第零技術局長。


 そして、僕と同じように、過去の断片を抱えた人間。


 同じ記憶を持っていても、同じ答えへはたどり着かない。


 局長の背後で、三都市の照準板が再び赤く光った。


「君が戻ったせいで、救うべき人数を選ばなければならなくなった」


 局長は言った。


「今度は、私が選ぶ」


 局長の言葉が終わる前に、昇降路の奥で金属が弾けた。


 帝国軍か、秤部か。


 ガウェインが盾を向ける。


 だが、現れたのは黒い腕章の運び手ではなかった。


 白い魔力線を踏み越え、長い外套の男が一人、階段を上がってくる。


 左肩に古い傷があり、手には折れた魔導長剣を持っていた。


「ユーリ」


 その声を聞いた瞬間、僕の胸が詰まった。


「レヴィ……?」


 レヴィは、僕の隣にいる局長を見た。


 局長の魔導鏡が、一瞬だけ揺れる。


「お前も、残っていたか」


「残っているんじゃない。来たんだ」


 レヴィは折れた剣を下ろさなかった。


「お前が、兄貴をまた死んだことにする前に」


 局長が魔導鏡を操作する。


 青い画面へ、前世の崩壊建物が浮かんだ。


 荒れた外壁。


 上空から見下ろした光点。


 閉鎖された出入口。


 建物の内部は、黒い空白になっている。


「私は、事実を話している」


 局長が言った。


「ハウンドは、撤退命令を受けた。それにもかかわらず、作戦区域へ戻った。建物内部の民間人を救助するためではなく、危険物の回収を優先した可能性が高い」


「可能性?」


 レヴィが低く笑った。


「それを事実として話しているのか」


「作戦結果と残った記録から、最も合理的な結論を出している」


「記録に、建物の中が残っていないのに?」


 レヴィは魔導鏡へ近づいた。


「お前の画面に映っているのは、外側の光点だけだ。中の人間を一人も見ていない」


「反応が消えた」


「崩壊した建物で、魔力反応が消えるのは当たり前だ」


 レヴィは、画面の下層を指した。


「だが、崩壊時刻と出力装置の停止時刻が一致していない」


 局長の指が止まった。


 レヴィは、腰に下げた小さな記録板を取り出した。


 現世の出来事を記録した板ではない。


 それはレヴィの記憶を整理するために、現世の技術者が描いた建物の見取り図だった。


 フィーナが鑑定鏡を向ける。


「これは、現世の通信記録ではないわね」


「当然だ」


 レヴィが答えた。


「俺が覚えている構造を、紙へ描いただけだ」


 紙の上には、四つの区画がある。


 上層の指揮室。


 中層の研究室。


 下層の出力装置。


 地下避難区画。


「崩壊は、下層から始まった」


 レヴィが言う。


「上から見ていたお前には、下層の隔壁が閉じた瞬間は見えない。だが、俺は外周で民間人を誘導していた。出力装置が止まる前に、地下避難区画の扉が一度だけ開いた」


「開いたなら、君たちは脱出できたはずだ」


「俺たちは、外へ出るために移動していた」


「君たち?」


「住民と技術班員だ」


 レヴィの声が強くなる。


「その時、通信が入った」


 彼は目を閉じた。


 古い光景が、レヴィ自身の声として語られる。


「民間人を頼む。お前ならやれる」


 レヴィは、僕を見た。


「兄貴は、そう言った」


 僕の喉が詰まった。


 その言葉を、僕は覚えていない。


 でも、レヴィが嘘をつく時の目ではなかった。


「それから、通信が切れた」


 レヴィは続ける。


「俺は外周へ回った。民間人を逃がすためだ。兄貴が建物の中へ戻ったことを、俺は知らなかった。だから、見捨てられたと思った」


 局長の魔導鏡に、三つの光点が浮かんだ。


 外周にいるレヴィ。


 避難区画へ向かう人々。


 建物内部へ戻る僕。


 だが、光点は三つしかない。


 局長が記憶している崩壊直前の現場には、僕とレヴィと、もう一つの光点だけが表示されていた。


 技術班員や住民の光点は、最初から欠けている。


 レヴィがそれを見た。


「お前の記憶に、民間人がいない」


「作戦管理画面に表示されるのは、登録された隊員だけだった」


「だから、民間人を置いて逃げたと思ったのか」


「違う」


 局長が否定した。


「表示されなかった人間は、作戦区域の外にいた。そう判断した」


「判断しただけだ」


 レヴィが言い返す。


「確認していない」


 局長は、魔導鏡の前から動かなかった。


「作戦区域の外にいる人間を、作戦区域内へ戻すことは許可されていない」


「兄貴は戻った」


「だから、損失が増えた」


「違う」


 レヴィの折れた魔導長剣が、床を叩いた。


「兄貴は戻ったから、民間人が逃げる時間ができた」


 局長の目が細くなる。


「結果は確認できていない」


「お前が、建物の中を見なかったからだ」


 部屋の空気が張りつめた。


 イリスが、七人の名簿を抱えたまま動かない。


 ルカは、魔導鏡に映る光点を見ていた。


 現在の研究都市でも、同じ計算が行われている。


 登録された人間だけを追い、登録されない人間を最初から数えない。


 その仕組みを、局長は前世から現世へ持ち込んでいる。


 フィーナが静かに言った。


「両方とも、個人の記憶です」


 レヴィが彼女を見る。


「俺の記憶も、証拠にならないのか」


「証言としては重要です。でも、建物の構造や時刻記録と照合する必要がある」


 フィーナは、局長へも視線を向けた。


「あなたの記憶も同じです。記憶が強いから真実なのではない。現在の物証と一致するかで扱いが変わる」


「合理的だ」


 局長が答えた。


「だが、時間がない」


 魔導鏡の三都市が赤く点滅した。


「証拠を集めている間に、誰かが死ぬ」


「だから、間違った記憶で切り捨てる?」


 僕は、局長を見た。


「あなたは、僕が民間人を置いて逃げたと言った」


「そう判断している」


「でも、建物の中は見ていない。民間人が登録されていなかったことも、確認していない」


「それでも、君が戻ったことで危険が増えた」


「戻った理由を、あなたは知らない」


 局長の魔導鏡に、欠けた地下区画が映った。


 そこに、白い光が一瞬だけ灯る。


 背中の留め具。


 白い粉塵。


 伸びてくる救助線。


 手を離すなという声。


 僕の口が、無意識に動いた。


「マヤ……」


 局長の魔導鏡が、黒く消えた。


 男の顔から、初めて明確な動揺が走る。


 だが、彼はその名前を繰り返さなかった。


 ただ、魔導杖を強く握りしめる。


「その名を、どこで聞いた」


 僕は答えなかった。


 局長は、マヤの名前に反応した。


 けれど、彼が彼女をどこまで知っているのかは分からない。


 レヴィが、僕の隣へ立った。


「兄貴は、民間人を置いて逃げていない」


 彼は局長へ言った。


「お前の記憶が、建物の内側を見ていないだけだ」


 魔導鏡の三都市が、一斉に赤くなった。


 局長は、冷静な顔を取り戻していく。


「なら、今世で確認すればいい」


 彼が魔導杖を掲げた。


「君たちが、どれだけ人間を救えるかを」


 研究都市の全魔力管が、同時に動き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。