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『偽りの封印と灰色の伝票』 ~元特務潜入員の配達員は、改ざんされた記録で巨悪を暴く~  作者: NN
国境を越える荷札編

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呼び戻す熱と光点の向こう

 イリスが名簿を押さえた直後、小型核の内部で熱が戻った。


 処理は終わったはずだった。


 赤い魔力も、黒い追跡線も、床下の排出槽へ流れている。


 それなのに、核の表面だけが急に熱くなった。


「まだ出力が残っている!」


 ルカが叫ぶ。


「内部の圧力ではありません。建物の振動が、核へ戻っている」


 床が揺れた。


 遠くで扉が閉じる音が、何度も重なる。


 研究都市の区画が切り離され、閉じられた魔力管の余波が、空白区画へ流れ込んでいる。


 核は爆ぜない。


 代わりに、熱を蓄えている。


 フィーナが鑑定鏡を向けた。


「安全弁が戻されているわ。誰かが遠隔で、排出槽を閉じた」


「第零局ですか」


「認証線は局長権限。でも、どこから命令したかは分からない」


 イリスの顔が強張った。


「局長は、魔力圧縮核を破壊しない」


「なぜ?」


「核の中に、七人の記録が残っているからです」


 彼女は名簿を抱え直した。


「核を壊せば、圧力だけでなく、記録も失われる。七人がどこへ運ばれたかを示す最後の反応が消える」


「だから、熱を閉じ込めている?」


「局長は、損失を記録するために人を残す」


 イリスの声が、かすかに震えた。


「救うためではありません。何を失ったかを計算するために」


 核の表面へ触れたわけではないのに、熱が僕の手へ伝わってきた。


 熱い。


 次の瞬間、視界が白く染まった。


 崩れた建物の内部で、粉塵が喉へ入り、傾いた床の上を、背中の留め具へ掛かった誰かの指に引かれて身体が少しずつ動いていた。


 白い粉が目へ入り、視界が消える。頭上で金属が裂け、細い救助線だけが暗闇の中へ伸びていた。


 誰かが、叫んでいる。


「手を離すな!」


 僕は、その声へ向けて手を伸ばした。


 指先が、手袋へ触れる。


 その感触を知っている。


 けれど、顔は見えない。


 白い光が強くなり、粉塵の向こうの輪郭を消していく。


「マヤ!」


 僕は叫んでいた。


 現在の保守室へ、声が落ちる。


 熱が消えた。


 僕は、核の前で片膝をついていた。


 フィーナが、僕の肩を支える。


「今、誰の名前を呼んだの?」


「分かりません」


 喉が焼けている。


「ただ、記憶の中で手を掴んでいた人を、そう呼びました」


 イリスが僕を見ていた。


 彼女の目に、わずかな驚きがある。


 だが、何かを知っているようには見えなかった。


 ガウェインが核の前へ出る。


「記憶は、後で確認する。今は熱を止める」


 その言葉に、僕は頷いた。


 記憶は、現世の通信記録ではない。


 誰かの名前を呼んだことも、瓦礫の下で手を掴まれたことも、僕の身体に残った感覚にすぎない。


 真実かもしれない。


 だが、それだけで現在の敵を裁くことはできない。


 フィーナが鑑定鏡を再び核へ向ける。


「遠隔命令の線が、上層の中継所から来ているわ。核を壊さず、熱だけを閉じ込める設定になっている」


「上層へ向かえば、命令を止められる?」


 ルカが訊く。


「中継所を押さえれば、少なくともこの区画の出力は戻せる」


 イリスが、壁の一部を指した。


「上層へ行く道は、二つあります。通常階段は帝国軍が閉じた。保守昇降路なら、まだ使える」


「その道を知っているの?」


「代理人として、命令を伝えるために何度も通った」


「家族を助けるために?」


 イリスは答えなかった。


 名簿の七人の名前を、親指で押さえた。


 それが答えだった。


 僕は核の熱を見た。


 保守昇降路へつながる壁の奥に、赤い線が伸びている。


 身体が、その線の先を知っている気がした。


 崩壊した建物の下層。


 救助線が伸びる方向。


 粉塵の中で誰かが引いていた、細い金属の音。


 僕は壁の右側へ歩いた。


「こちらです」


 ガウェインが止める。


「根拠を」


「熱の逃げ方です」


 僕は核から伸びる赤い線を指した。


「熱が上へ向かっている。通常の出力管ではなく、人が通る昇降路へ逃がしている」


 フィーナのレンズが、壁の奥へ青い光を伸ばした。


「空洞はある。壁の中に、古い昇降用の魔力路が残っているわ」


 ガウェインが壁を叩く。


 低い音が返った。


 彼が盾の縁を差し込むと、石壁の一部が開いた。


 中には、細い鉄骨と、魔力で動く昇降台がある。


 昇降台の床には、白い粉が積もっていた。


 僕の足が止まる。


 見たことがない場所なのに、粉の溜まり方を知っている。


 人が運ばれた後の足跡。


 荷物を置くための端。


 倒壊時に、最初に崩れる壁。


 身体が先に判断していた。


「端に立たないでください」


 僕が言う。


 ルカが昇降台の中央へ移動した。


「なぜ?」


「鉄骨の右側が、熱で歪んでいます。落ちます」


 僕が言った直後、右側の床が沈んだ。


 イリスが息を呑む。


「見えたの?」


「配達の経験です」


 また、同じ言い訳をした。


 フィーナは何も言わなかった。


 ただ、僕の視線が向いた場所を鑑定し、歪んだ鉄骨を確認している。


 判断を信じるのではなく、照合している。


 そのやり方が、ありがたかった。


 昇降台が上へ動き始めた。


 下で、小型核の熱が再び強くなる。


 イリスが名簿を開いた。


 七人の名前のうち、一つだけが赤く光っている。


「この反応は、誰かがまだ生きているという意味ですか」


 僕が訊いた。


「分かりません。局長は、生存反応と記録反応を区別していない」


「なら、どうして一つだけ光る?」


「核が、移動記録を読み直しているからです。誰かが、今も動かされている」


 昇降台が中層で止まった。


 上の扉には、白い手形がいくつも残っている。


 誰かが、閉じる扉を押し返そうとした跡だ。


 白い手形の一つだけ、指の跡が外へ向いていた。


 閉じる扉を押したのではない。内側から、戻る道を開こうとした跡だ。


 僕は、無意識に扉へ手を伸ばした。


 白い手形の一つへ触れる。


 冷たい。


 現在の誰かが残した手形だった。


 その下に、細い文字が刻まれている。


 七人目は、上へ。


 イリスが息を止めた。


「七人目が、この上にいる」


 扉の向こうから、足音が聞こえた。


 一人ではない。


 重い靴音と、軽い靴音。


 それから、白い灯りが一つ点いた。


 誰かが、扉の向こうで待っている。


 僕の記憶の中の手と、現在の七人目が、同じ方向に重なった。


 昇降台の扉が開いた。


 白い灯りの向こうに、男が立っている。


 黒い軍服ではない。


 研究用の長い外套を着て、片手に細い魔導杖を持っている。年齢は分からない。髪には灰色が混じっているが、背筋はまっすぐだった。


 男の背後には、大きな魔導鏡が浮かんでいる。


 鏡の中には、研究都市を上空から見下ろしたような地図が映っていた。


 都市の区画が、青、赤、黒の線で分けられている。


 人の位置は小さな光点になり、物流路は細い線になっていた。


 男は、僕たちを見た。


 正確には、僕の後ろにある魔導鏡の光点を確認した。


「局長」


 イリスが頭を下げる。


 男は、彼女へ視線を向けなかった。


「小型核の処理は終わったか」


「はい」


「七人の記録は?」


「名簿は、まだ私が持っています」


 イリスが答えた。


 男の指が、魔導杖の柄を一度だけ叩く。


 その音で、昇降台の床に黒い線が走った。


「渡せ」


「記録が消えます」


「記録は消えない。必要なものだけが残る」


 男の声は低く、落ち着いていた。


「残すべきものを選ぶことが、管理者の仕事だ」


 損失計算を信じ、その言葉で自分を固めていたイリスと、同じ言葉を使っている。


 だが、彼女の声にはためらいがあった。


 この男にはない。


 僕は、男の顔を見た。


 知らない顔だ。


 けれど、声を聞いた瞬間、頭の奥で別の場所が開いた。


 青い画面。


 高い位置から見下ろした都市の表示。


 区画ごとの光点。


 数字の横に並ぶ、損耗率と撤退時刻。


 前世の司令室に、同じ声があった。


 現場の人間を見ず、地図の上の光点だけを追う声。


 救助要請が届いても、建物の中へ入らない指揮官。


 封鎖命令を出し、撤退線を切り替え、遠くから全体を管理する男。


 記憶は、顔を見せなかった。


 だが、声の位置だけは分かった。


 この男は、前世でも現場へ出ていない。


「あなたが、第零技術局長ですか」


 ガウェインが訊いた。


「そう呼ばれている」


「名前は?」


「今は必要ない」


 男は僕へ視線を移した。


「必要なのは、君の名前だ」


「ユーリ・クロムウェルです」


「それは、今の名前だ」


 取調室で見た照合札が、頭の中で裏返った。


 表は帝国の現行台帳。裏は第零局の機密付記。現在の僕を記す札へ、前世の崩壊建物と死亡扱いの記録が後から継がれていた。


「取調室の札を作ったのは、あなたですね」


 局長は、魔導鏡の光から目を逸らさなかった。


「表の登録は帝国だ。裏の付記を継いだのは私だ」


 魔導鏡の光が、僕の胸元へ集まる。


「ハウンド」


 その言葉が、空気を変えた。


 僕の呼吸が止まる。


 ハウンド。


 前世で、僕が使っていたコードネームだった。


 現世で、その名を知る者はいない。


 レヴィは、この場で前世の記憶を明かしていない。まして、この研究都市の技術局長が知る理由はない。


「その名前を、どこで知ったんですか」


「君の死体を確認した場所で」


 男は、魔導鏡の表示を切り替えた。


 研究都市の地図が消え、崩れた建物の断面図が浮かぶ。


 現在の研究都市の構造ではない。


 知らない建物。


 だが、僕の身体が知っている。


 上層に行政記録。


 中層に研究室。


 下層に高密度の出力装置。


 さらに地下に、避難区画。


 前世の崩壊した建物と同じ構造だった。


「この建物は……」


 声が漏れる。


「君が死んだ建物だ」


 局長は淡々と言った。


「封鎖命令が出た後、私は上空から現場を確認していた。建物が崩れ、出力装置が沈黙し、君の反応が消えた」


 魔導鏡に、瓦礫の山が映る。


「部下が遺体を回収した。識別札は損傷していたが、装備と骨格から君だと判断した」


「あなたが、確認した?」


「私が、確認を命じた」


 わずかな違いだった。


 男自身が瓦礫をどけたわけではない。


 現場へ降りたわけでもない。


 上から映像と報告を見て、僕の死を確定した。


 その距離感が、記憶の中の声と一致した。


「あなたは、現場へ来なかった」


 僕が言うと、局長の目が細くなる。


「必要がなかった」


「誰かが、瓦礫の下に残っていても?」


「残余区画は、封鎖対象だった。救助を続ければ、出力装置の崩壊に巻き込まれる。全体の損失が増える」


「だから、死体を確認した」


「死体があると確認した」


 言葉を正確に選んでいる。


 責任を、動作ではなく記録へ移す話し方だった。


 ガウェインが局長へ一歩近づいた。


「あなたは、過去の戦場を知っている」


「戦場は知らない。記録を知っている」


「ユーリのコードネームを知っている」


「暗号板に刻まれていた」


 局長の返答は早かった。


「研究者が、古い記録から拾っただけだ」


「では、なぜ彼をハウンドと呼んだ?」


 ガウェインが追及する。


 局長は、魔導鏡の表示へ視線を戻した。


「呼びやすいからだ」


 嘘だ。


 僕には分かった。


 その声の奥に、前世の司令室がある。


 ただし、現在の物証としては、まだ足りない。


 僕は記憶を根拠に、彼を転生者だと断定できない。


 彼が古い暗号板を使って僕を誘い、前世の知識を持つふりをしている可能性もある。


 フィーナが僕の横へ立った。


「あなたは、マヤという名前を知っていますか」


 局長の指が止まった。


 魔導鏡の上で、三都市の光点が一瞬だけ乱れる。


 イリスが息を呑んだ。


 局長は、すぐに視線を戻した。


「その名前は、記録にない」


「質問に答えていません」


 フィーナが言う。


「知っているか、知らないかを聞いたのよ」


「技術員の名前なら、何人もいる」


 局長の声が、ほんのわずかに硬くなった。


「誰のことを言っている?」


 僕の胸の奥で、熱が一度だけ戻った。


 それでも、記憶を口にしなかった。目の前にあるのは、マヤの名を聞いた局長の指が止まったという、現在の反応だけだ。


 僕は、局長を見た。


「僕を引きずり出した人間の名前です」


 局長は答えなかった。


 その沈黙が、名前を知らない者のものではないと感じた。


 知っている。


 けれど、言えない。


 魔導鏡に映った崩壊建物の記録が、そこで途切れた。


 瓦礫の下にいた人間の表示だけが、黒く塗りつぶされる。


「あなたは、僕の死体を確認したと言った」


 僕は言った。


「では、あの建物に最後まで残っていた人間を、何人確認しましたか」


 局長の顔から、初めて余裕が消えた。


 彼は答えない。


 魔導鏡の都市地図が、再び現在の研究都市へ戻る。


 三つの標的の光点が、順番に明滅した。


 王都。


 帝国都市。


 グラキエス診療所。


 局長は、魔導杖を上げた。


「話は終わりだ。ハウンド、君はまた現場へ戻る」


「あなたは、また上から命令するんですか」


「それが、最も多くの人間を救う」


 局長の背後で、魔導鏡の青い画面が開いた。


 前世の司令室と同じ色だった。


 僕は、その画面を見つめた。


 目の前の男は、僕の死体を確認した。


 僕を引きずり出した人間の名前を言えない。


 そして今、再び都市の上から、人間を光点として数えようとしている。


 局長の声が、最後に低く響いた。


「君が戻ったせいで、また損失が増える」


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