数えられない損失
研究都市の魔力管が鳴り、白い線の上へ小さな光点が集まった。住民、技術員、救護路の運び手。人の姿はなく、動いた場所だけが点として残る。
オメガが指を一本の白線へ置く。線が消え、光点が隣の線へ押し出された。その先で、黒い封鎖印がひらいた。
「閉じた道の先へ、別の道を用意しているように見えるでしょう」
彼は穏やかに言った。
「実際には、行き先を一つへ寄せているだけです」
「救護路の移動記録を、炉出力調整部へ送る。点が集まる前に、線を変えるためです」
オメガの指が、次の白線へ移った。光点が動くたび、黒い封鎖印も一つずつ位置を変える。
「人が通る道を握れば、戦場はこちらで選べる」
「だから、人を数字にするんですか」
僕が訊いた。
「数字にすれば、迷いが消える」
「迷いがあるから、誰かを救えることもある」
「迷いは、全体の損失を増やす」
オメガが魔導鏡へ指を向けた。
三つの標的が浮かぶ。
王都。
帝国都市。
グラキエス診療所。
それぞれの下に、予測人数が並んでいた。
王都、八百四十。
帝国都市、三百二十。
グラキエス、百十六。
数字の横には、出力を送った場合の損失予測がある。
オメガは、三つの数字を見比べた。
「最小の損失を選べば、全体を守れる」
その言葉に、王都で聞いた公爵の声が重なった。人数と被害を並べ、切り捨てる場所を「全体を守る」と呼ぶ。公爵も、同じ言い方をしていた。
「グラキエスを切り捨てるつもりですか」
イリスが言った。
「都市の規模と避難経路を比較すれば、被害の拡大が少ない」
「そこには診療所があります」
「だから、医療資源が集まっている。出力を一点へ送れば、他の二都市への連鎖を防げる」
「人が集まっているから、狙う?」
「人が集まる場所は、戦争では最も重要な拠点になる」
イリスが名簿を握りしめた。
「そこにいる人間を、数字の下へ置くのですか」
「すでに置かれている。私が作ったのではない。人間が集まり、物資を運び、記録を残した結果だ」
オメガは、数字から目を上げなかった。
自分が選んだのではなく、数字が選んだのだと言うように。
胸の奥で、前世の作戦表が一瞬だけ重なった。小さな欄へ数字を書き込む手。僕は、その手を止めなかった。
赤い線が消え、欄の外にいた名前も消えた。
僕は、現在の保守室へ戻った。
「それは、損失ゼロではありません」
僕はオメガへ言った。
「損失を、計算の外へ出しているだけです」
「結果として、救われる人数は増える」
「名前を消した人間は、救われたことにならない」
「生き残った者がいれば、社会は続く」
「なら、あなたが最初に削る名前を選べばいい」
オメガは、僕を見た。
「私は、選んでいる」
「違う」
僕は魔導鏡の光点を指した。
「あなたは、選んだ人間の名前を表示しないようにしている。だから、自分が選んだことを見なくて済む」
魔導鏡の光が一度だけ乱れた。
グラキエス診療所の光点が、黒い線に囲まれる。
そこには、薬を待つ患者、診療所へ避難してきた子ども、物資を運ぶ配達人がいる。
光点の数は百十六だった。
その横に、損失予測「一一六」が表示された。
イリスが息を呑んだ。
「一人も救わない計算です」
「違う。そこを切れば、王都と帝国都市を救える」
「診療所の人間を、最初から救えない人間として数えた」
イリスの声が、震えた。
名簿の七人の名前が、黒い線へ引かれていく。
その中の一つが、グラキエス診療所の光点へ重なった。
「七人目が、診療所へ運ばれている」
ルカが記録板を見た。
「移動記録が、まだ消えていません」
「だから、先に区画ごと切り離す」
オメガが杖を下ろした。
「記録が残る前に、出力を送る」
僕は、魔導鏡へ近づいた。
前世の作戦会議が、現在の研究都市へ重なった。救えない人数を先に除外し、残った者だけを救助対象にする表。
僕も、かつてその表を見ていた。数字を受け入れ、誰かを置いていく恐怖から目をそらした。
オメガの思想は、僕が恐れていたものと同じだった。だから、彼だけを責めることはできない。けれど、同じ過ちを正しい理由にはできなかった。
「その計算を、止めます」
僕が言った。
「君一人では無理だ」
「一人でやるつもりはありません」
ガウェインが盾を構えた。
「ユーリの判断を、俺たちが確認する」
フィーナが鑑定鏡を上げる。
「数字の根拠を、物証へ戻すわ」
セリアが通信石を握った。
「私は、三都市へ分かれた命令の経路を探る」
レヴィが折れた魔導長剣を構える。
「俺は、人間を運ぶ道を開ける」
イリスは名簿を見下ろした。
七人の名前が、黒い線の中で消えかけている。
「私は……」
彼女は言葉を止めた。
オメガが、彼女へ命令を送る。
「イリス。名簿を渡せ」
イリスの手が震える。
けれど、名簿を胸へ抱いた。
「渡しません」
小さな声だった。
オメガが魔導鏡を見た。
「家族を失う」
「もう、失っています」
イリスは顔を上げた。
「名前まで消された時点で、私は家族を失った。だから、名前を消す命令へは従えない」
それは、隠していた忠誠を明かした言葉ではなかった。正しいと信じていた計算が、守るはずだった人間を最初から数えていなかったと認める言葉だった。
魔導鏡の三都市が、赤く点滅する。
出力の切替が始まった。
グラキエス診療所へ向かう黒い線が、太くなる。
オメガが静かに言った。
「なら、全員を救ってみろ」
その言葉と同時に、研究都市の全区画で封鎖扉が落ちた。
損失ゼロを名乗る戦争が、始まろうとしていた。




