俺の卵未遂事件
お茶をする俺達の所に来てくれたファルクスは、ミールウスを伝令として送ったからもう心配要らないと教えてくれた。ミールウスにも仕事を増やしたと謝罪しよう。ファルクスは、緊急事態なら飛んでくるよう指示している、今回のこれも問題ない、と言ってくれる。本当に卵が出来ていたなら緊急事態だ。そんなやり取りの間も次に話すべきことで心臓が激しく鳴っている。まずすべきは謝罪だ。弁明は聞いてくれる姿勢が見えてからにする。
「お前は知らなかったし、そんな気持ちがあって魔力を撚り合わせたわけじゃないだろう?怒る理由がないな。強いて言うならメルの巣に二人きりにして置いて行った俺の責任だ。」
俺のことは許してくれる。せめてこの想いに応えて今後は間違いを起こさない。そのためにもメルにも教育が必要だ。正しい子作りを知れば、流石にそれを俺としようとは思わないだろう。魔力を撚り合わせるのなんて、本当にたったこれだけで、という感覚があったからのはずだ。夫婦でなければできない行為ということを理解すれば、彼だって試そうという気にきっとならない。
念のため竜の卵の作り方を尋ねる。人間と変わらないのだろうか。それとも何か別の手段もあるのだろうか。
「基本的には同じだが、魔花の近くでなければならないというのは本当だ。卵が育つために大量の魔力を必要とするからな。体が成長していく間も魔力が多く必要だ。」
ついでとばかりに竜の卵に関する知識と経験を教えてくれる。卵や竜の子に魔力を与える役割は両親に限らなくて良い。だからファルクスの所に預け、両親は通ってくる形になっていたそうだ。ファルクス、ラクエウス、ミールウスなども魔力を与えていたらしい。ただし他人であればその負担は一層大きく感じられる。ファルクスやラクエウスは魔人のため問題なかったが、ミールウスは上手く飛べなくなるほど体調を崩したそうだ。
そこまで話したところで、ちょっと待てとファルクスは出ていった。すぐに戻ってきたその手には何か本が握られている。メルを育てた時の日記らしい。人の日記を勝手に読むのは良くないが、これはメルに関して綴ったファルクスの日記だ。勝手に、ではない。ファルクスはまた仕事に戻ってしまったが、俺は勉強前に少しこの日記を読ませてもらおう。メルも気になるだろうか。そう誘えば一緒に読むと答えてくれた。
最初のほうのページはメルの両親からメルを預けられた時の話。ファルクスの前の奥様についてもまだ記載がある。その日は前の奥様の命日だったようだ。まだ悲しみに暮れていることが言葉の端々から読み取れる。これから何度でも訪れるだろう別れに打ちのめされないよう、メルの両親が気遣って自分達の子を預けた。子育てに必死になれば悲しんでいる暇などないから。何十年も引きずっていてはいけない、そろそろ立ち直る時間だ。そんな自覚も綴られている。本人が渡してくれたのだから読んで良いはずだが、とても個人的な心の中を覗いているようで罪悪感のある内容まであった。亡き奥様からの言葉と、それに対する彼の思いだ。「いつまでも悲しむことは彼女も望んでいない」、「俺がまた素敵な人と出会えることを祈りながら逝ったのだから」なんて読んでいるだけで胸が痛くなる。亡き奥様はファルクスの幸福を願ってくれる素敵な女性だった。だからこそ彼女の好んだ内装や庭を死後もずっと維持していたのだろう。屋敷の使用人達もそんなファルクスに配慮しながらも早く立ち直ることを望んでいた。そのためかメルのことは皆大歓迎だったようだ。魔力は主にファルクスが与えるが、ラクエウスやミールウスもよく与えていた。これが先程言っていた体調不良の話だろう。発育への影響や体への負担を考慮し、他の使用人には魔力を与えないよう指示も出していた。
卵の成長は輝きから判別できる。最初は宝石のようで自ら光を発することはないが、誕生直前になれば一部屋を照らすに十分な光を発するそうだ。卵の殻も魔力から出来ているため、生まれてすぐの赤子が最初に食べる物は自分の入っていた卵の殻。それ以降は魔力を与えつつ、魔力をふんだんに含んだ野菜、果物、肉類と与えていく。人間の離乳食と同じような物から俺達の食べるような食べ物へと変えていく。メルは幼すぎて覚えていないようだが、今は当たり前のように俺達と同じ物を食べ、美味しいと言っている。
日記にはメルの両親のことも書かれている。一日の半分ほどを彼らもこの屋敷で過ごしていたようだ。夜寝る時間は自分達の家に帰る。そのため、寝かしつけも夜泣きの対応もファルクスが行っていた。夜中の魔力が不必要になってからはミールウスと交代で行うようになったようだが、それでも十分辛かったはずだ。確かに悲しんでいる暇などなくなっただろう。
「私室の雰囲気も変わったな。小さい時に俺が言っても絶対変えてくれなかったのに。」
その頃はまだ奥様を忘れてしまうことが怖かったのかもしれない。悲しみに沈んでいなくとも、まだ思い出を片付けるには早かったのだろう。全て俺の好きにして良いと言われたとはいえ、本当に全てガラリと雰囲気を変えてしまって良かったのだろうか。以前の面影は何一つ残っていない。部屋割や建物の形状くらいだ。
幼い頃のメルは人型になれなかった。小さな竜を膝に乗せ、仕事をしていた記述もある。五歳頃になってようやく人型になった。まだ二足歩行に慣れていないため、はいはいや伝い歩きだったようだ。まだ竜の体も廊下を歩けるくらい小さかったようだが、徐々に扉が通れなくなっていった。数年もすれば廊下を歩くことすらできないほど大きくなり、部屋の中でも厳しくなっていった。屋外限定で竜の姿になる頃には人間の姿でも十歳程度の男の子にまで成長し、庭の樹木を薙ぎ倒すなど随分やんちゃだったと読める。あの小鳥の集落、鳥奏村にも謝罪に行ったと記載があった。
「人間でも十歳くらいなら走り回って遊びたい年頃だろ。」
それはそうだが、規模が全然違う。人間は樹木をなぎ倒せない。竜の巣が人里離れた山奥に作られる理由はそれもありそうだ。飛んで跳ねて走り回っての遊びは広い場所が必要になる。今はもう良いのだろうか。
「巡回してるから運動は十分。人の体でも運動はできるし。」
竜の体が本体ではあるが、ずっと人型でも不快感はないらしい。ただ竜の体の成長のためにはずっと人型でいることは良くないため、屋敷で生活するのではなく少し離れた場所に巣を作り、そこで竜の姿で過ごすようにしているそうだ。他の集落にも遊びに行き、相手から来てくれることもあったため、メルも寂しくなかった、と。
育児日記を読むのもここまでにしておこう。俺も領内への挨拶に向けて学ぶことがまだまだある。夏に獅子の集落と海の人魚の集落を行く予定が決められたのだ。彼らの文化と礼儀を学ぶ必要がある。
ラクエウスに教わる勉強の時間は続き、夕食を経てもまだ少し学ぶ時間だった。ファルクスも仕事をしているのだから、俺だけ休憩したいなんて言っていられない。その時間も過ぎ、風呂場で体を休める。今日は昼間に仕事を中断させてしまったため、いつもより遅くまで仕事しているのかもしれない。
風呂上がりはようやく自由時間だ。互いをお疲れ様と労り、ファルクスは俺に魔力を注ぎ込んでくれる。今はなくとも問題ないが、風呂で温まった体がさらにぽかぽかとする感覚は悪くない。それに浸る前に、昼間のこと、メルと卵を作ろうとしてしまったことを改めて謝罪する。
「お前にそのつもりがなかったことは分かっているからな。昼間にも良いと言っただろう?気になるなら今後の働きに期待する。」
十分に働こう。次の視察は獅子の集落と海の人魚の集落とどちらになるのだろう。どちらに行くにしてもまた服を仕立てるのだろう。そろそろ作り始めないと間に合わないのではないか。どんな服装にするのだろう。獅子と海の人魚。どちらにしてもまた素敵なドレスになりそうだ。
「楽しみか?来週、仕立て屋を呼んでいる。それまでにおおよその形は考えておこう。」
詳細は仕立て屋と一緒に考える。ファルクスとの相談の時間もそれまでに持つ。今はあまり考えては眠れなくなってしまうため、また明日だ。
寝る前の雑談の時間。ふとメルと魔力を合わせた時のことを話してみる。とても熱かった。最初は熱くて驚いてしまったほどだ。次第に慣れたが、それでもファルクスの魔力のような心地良さは感じない。ただ、あれは魔力の触れ合わせ方の違いのせいかもしれない。ファルクスとは魔力を撚り合わせるように触れ合わせたことはない。
「気になるか?試してもみても良いが、必死になりすぎるなよ。」
魔力の操作には集中力がいる。あまり必死になると目が冴えてしまう。少しだけと約束し、魔力の糸を撚る。ファルクスも同じようにしており、彼の魔力と合わせてより頑丈な糸にする。その魔力の糸を織り、卵の形に整えていく。あれは結局竜との子作りでもなかったが、なんだか不思議な気分だ。これをそうと誤解したメルも可愛らしいが、そうでないと知っているのに意識してしまう自分も可笑しい。魔力の糸を撚る動きはメルとも何度もしたが、神経を使うものだ。だからこそ少しだけのつもりだったのに、それでも目が冴えてしまった。本でも読んでいようか。隣の部屋ならファルクスの邪魔にもならない。
「字など読んではもっと眠れなくなるぞ。大人しくしていろ。今のお前の仕事は俺の抱き枕だ。」
仕事と言われては断れない。抱き枕などなくても眠れるだろうにこう言う理由は分かっている。俺も諦めて寝転んでいるとしよう。メルも幼い頃はこうして一緒に寝たのだろうか。竜も風邪を引くのだろうか。
「もちろん引くが、人間よりは頑丈だ。風邪よりも怪我のほうが多かったな。」
それは今のメルの様子を見ても想像できる。それが子どもともなればもっと激しかっただろう。なんせ庭の樹木を薙ぎ倒してしまうほどだ。人間の子どもの比ではない。他の獣人の子ども達もメルのようにやんちゃなのだろうか。小さな種族なら木は倒せないだろう。大きな種族ならどうだろう。例えば去年に行った馬の獣人。馬の足で蹴られれば人間など死んでしまう。子馬が相手でも油断できない。
「今度獅子の獣人の村に行く。その時に聞いてみるか?」
いきなり子どものやんちゃ加減について尋ねて良いものだろうか。メルの話をしてからなら良いだろうか。獅子の獣人の村、剛牙村に行くための衣装も仕立てなければならない。海の人魚の村、白珠村のための衣装も仕立てる。来週は忙しくなりそうだ。どんな服装になるのだろう。
「どんなものにしようか。それぞれの特徴はもう学んだか?」
剛牙村は獅子の村。北部にあり、平地が続く。潮風も流れ込む立地。夏場は特に日差しが強く、はっきりとした色彩の染色や織物が特色と習った。その東には山々が連なり、標高の高いそこは一転して厳しい寒さが待っているという。今回はそこまでは行かない。
白珠村はその剛牙村の北の海に沈む海の人魚の村。真珠を生産しているそうだ。独特な建築と書かれていたが、あまり具体的には分からなかった。海底ということもあり、情報が少ないのだろう。まさか泳いで行くのだろうか。
「人魚の術で向かう。泳ぐような姿勢にはなるが、残念ながら水着の必要はないな。」
何が残念ながら、なのか。水着になるなら露出度もどうするか考えなくてはならなかった。人前で不埒なことも考えられたくない。海は楽しみだ。まだ見たことがない。海水は塩辛いとあった。どのくらい辛いのだろうか。水中で呼吸できるのだろうか。それとも集落は水が入って来ないようにされているのだろうか。人も行ったからこその記録なら、客人を招くための村なのかもしれない。
「もちろん招けるようにはしてくれるが、水中での呼吸は魔術で解決する形だな。だから時間制限がある。宿泊はできないな。」
それはできると言われても少し怖いかも知れない。自分でも水中で呼吸するための魔術を少し学んで行こう。少しだけでも理解しているのと全く分からないのとでは、安心感が変わってくる。今回は海の人魚の集落に行くが、そのうち淡水の人魚の集落にも行くのだろうか。
「そうだな。昨年の夏に白珠村の代表者が代替わりしたそうだ。その挨拶も兼ねて、こちらを優先した。」
順番にもしっかりと理由がある。当然と言えば当然だが、こういった挨拶や視察の話は嫁いで来るまで知らなかった部分だ。一つ一つ訪問する中で、ファルクスからも沢山話を聞いて行こう。次は、何を聞こうと思っていたのだったか。まだまだ知りたいことがあるはずなのに、いつの間にか近づいていた眠気に抗うことなく瞼を閉じた。




