小休止の時間
ファルクスは魔王国の観光を約束してくれた。そうは言っても空けていた時に起きたことの把握や、指示の変更の必要性を考えるなどやることは山積みで、ファルクスは忙しい。その間に他種族の勉強を進めていく。観光と言っていたが、実質視察でも良い。ファルクスの妻になるなら領内の把握は必要だ。次に行く予定の場所もまだ決まっていない。それを決めるのもファルクスの仕事が一段落してからになるだろう。挨拶に行けなかったとしても領民のことを知るのは統治者の伴侶の義務だ。
書物とラクエウスからの話で学ぶ日々。少しすればファルクスにも余裕ができたのか、三食を共にし、共に眠れる日々が戻ってくる。重点的に学べば良い種族を先に聞いておこう。
「そうだな。観光するにしても先触れは必要になる。獅子の獣人と海の人魚の所に行こうか。北の方になるが、標高も低く、十分暑い。バテないように気を付けないとな。」
海は初めてだ。ヴェルート王国でも海沿いの地域に行ったことはなく、コンシアンス王国でも海を見る余裕などなかった。泳ぐ時間はあるだろうか。川で泳いだことはあるため、泳ぐこと自体はできる。水着を選ぶ必要があるが、露出は歓迎されないだろうか。
「泳ぐ機会があるかどうか分からないが、水着なら全身を覆うタイプもある。また今度デザインを考えよう。では、俺は執務室にいるから何かあれば来ると良い。」
仕事に向かうファルクスを見送り、俺は出掛ける準備をする。今日はミールウスと麓の街を歩く予定だ。これは許可された。服装もファルクスと出掛ける時ほど気合を入れなくて良い。メルから貰った竜鱗製首飾りは着ける。魔王国内にも悪い人はいるのだ。ミールウスが一緒でも念のため身に着ける。街中だけを歩く予定のため、武器も持たない。いざとなれば魔術で応戦だ。そんなことをする前に警備が対応してくれるだろうが、慌ててしまわないよう心の準備だけはしておこう。
準備ができたら出発だ。待ってくれていたミールウスに声を掛け、馬車に乗って街まで降りていく。久し振りのこの道を最初にお出掛けするのはファルクスが良かったが、仕事のため仕方ない。コンシアンス王国で頑張ったからとしっかり休むよう言ってくれているのだ。これ以上我が儘は言えない。
「言っても喜ぶと思うけどね、むしろ。」
そうだとしても言いたくない。俺は困った令嬢になりたくない。少しくらい待てる。それに今度水着をどうするか相談する約束はできているのだ。獅子の集落にも海の人魚の集落にも夏に出掛けられる。それがファルクスとの旅行だ。
街行く人は相変わらず人間と変わらない見た目の者が多い。一部に動物の特徴を残している者も多く、完全に動物の形態の者は少ない。意思の疎通に苦労することもあるからだろう。
「鳥人はこの街には少ないって知ってる?国境近くを飛んでると警戒させちゃうから、飛行制限が掛けられているんだ。防壁より低い位置なら構わないけど、それ以上なら色々手続きがいる。だから大型の鳥人は住みたがらないんだ。」
見た目から分かる鳥人はいない。鳥もあまり飛んでいない。ミールウスは度々飛んでいるが、それはファルクスからの指示があるからか。彼も完全に人間と同じ形態になっており、外見だけでは鳥人とは分からない。服にも翼が出せるような穴は空いているが、今は片付けられている。
何度か歩いた街には各種族向けの食事処もあった。魔人と人間は食べられるものがほとんど同じで、選ぶ時もファルクスに任せて良かった。人間と鳥人は食べられる物が異なる。以前辛い鍋を平然と食べていた。毒ではないにせよ味覚は違う。どの店なら良いのだろう。
「そもそも鳥人向けの店がこの街には少ないからね。案内するよ。」
看板を見ればどの種族向けか分かる。鳥人は翼の絵だ。それも何種類かある。鳥人の中でも違いがあるのだろう。鋭い翼の絵がある店に入っていく。注文表を見れば料理や菓子ごとにどの種族は食べられないかの記載もある。小さな文字でも材料が記載されており、ヴェルート王国やコンシアンス王国よりも文字が多い。食べて良いかどうかの印は絵になっており、一品辺りの情報が多い。今日はシフォンケーキにしよう。甘く優しいミルクシフォンケーキだ。ミールウスもフルーツタルトを選んだ。その間に一つ相談してみよう。ファルクスと結婚してから続いた魔人化の儀や今も続いている魔力の受け渡しに関してだ。ミールウスも魔人化しているならあの感覚を知っているだろう。俺と同じように夢見心地を体験したのだろうか。
「自分以外の魔力が流れ込んでくる感覚は勿論あったけど、気持ち良かった?それ、魔人化とか魔力じゃないほうじゃない?自分の体が変質するから違和感とか不快感に耐える時間だったね。」
魔人化や魔力の影響ではないほう。魔力の相性では不快感になる場合もあるが、快感に繋がる場合もある。魔人の魔力だからという特別な理由ではなかったというだけだろう。魔力を流し込むためには素肌の触れ合いが必要だが、それは手を繋ぐ程度で構わない。他からの影響だと断定するほどの情報もない。俺がファルクスから魔力を貰う際に口付け一択にされている理由は彼の趣味だ。だがあれは誰でもそうしているわけではなく、ミールウスにはしていなかった。当然ではあるが、ミールウスは手を繋ぐ程度で、単に魔力を大量に流し込まれただけ。確かに魔力を使いすぎた場合は人間同士でもその方法で魔力を受け渡しを行った。そのときは人間同士でも不快感を伴う場合と伴わない場合がある。
「随分可愛がられたみたいだ。朝もお寝坊さんの日あるもんね。魔人化を維持する方法はそういうものだって聞かされた?」
聞かされたが騙されたわけではない。ファルクスは悪いことを考えていたが、俺はしっかり見抜いた。鳥人と人間では勝手が違う可能性もあったが、魔人化に必要な行為すら変わるとは思えなかったのだ。しかしそれで彼が止まるわけではなかった。つまり夜の出来事はほとんど不要だったのに相手させられたわけだ。何か色々言っていたような気もするが、正直それどころではなく少々記憶が曖昧だ。帰ったらまた苦情を入れよう。同じ時間を生きるという話も四六時中一緒に、密着して、という意味ではないはずだ。どうしてファルクスが寂しい思いをしなくて済むように付き合ってあげようと思ったのか、自分でも不思議だ。もっと何かお礼を貰っても良いのではないか。今も仕事が忙しいと言ってミールウスとのお出掛けになっている。これはファルクスが悪いわけではないが、埋め合わせはしてもらっても良い。
今夜も一緒に過ごせるだろうか。日々の交流の時間は増えた。食事も睡眠も共に過ごし、夜に戯れる日もできた。政治的な意味合いの結婚を全うするつもりはないらしく、妻としての実体を求められている。拒んでも特段残念がられることなく、むしろ面白がられている。無理強いされないのは有り難いが、常に余裕の態度を崩されない点は面白くない。たまには俺だって慌てさせたい。
「はいはい、じゃあすぐ帰って旦那様のお部屋に突撃でもしようか。俺とデートしてるのに他の男の話ばっかりだ。」
心にもない嫉妬のような言葉を吐き、フルーツタルトを口に含む。だいたいファルクスが仕事で忙しいから町の散歩をしているのだから、すぐ帰っても彼の部屋には行けない。仕事の邪魔になるだけだ。わざわざ旦那様なんて言うのも俺を揶揄しているだけだ。普段は旦那様なんてミールウスも呼んでいない。名前呼びが基本で、畏まった場でも殿下呼び。俺が呼んであげれば喜ぶなんて戯言も聞く必要はない。それなのに差し出されたミールウスのフルーツタルトに釣られて頷いてしまう。こんな手口を使うなんて卑怯な奴だ。フルーツタルトに罪はない。それを悪いことに利用する奴が悪い。俺の分もせめてと少し分け、これで少し取引する。俺のほうが貰った量は少し多いが、あくまで少しだけ。旦那様という呼び方も一度だけにし、どうしてそんなことをさせられたかまで説明すれば問題ないはずだ。いきなり呼ばれて驚く姿も楽しみだ。俺に嘘を吐いて余計な手出しをしたのだから、この程度の仕返しは受け入れてもらおう。
午前の間食を済ませ、少し街中のお散歩。逸れないようにという子ども扱いに苦情を入れつつ、店を冷やかしていく。ミールウスも百年生きているなら四分の一程度しか生きていない俺は子どもに見えているのだろうか。おばさんやお婆さんが若い頃にお付き合いしていた話は彼女達から少しだけ聞いた。鳥人の寿命を超える今、お付き合いしたいという気持ちはあるのだろうか。
「俺は願ってもファルクスに頼まないと同じ時間を生きることもできないからね。一時遊ぶくらいで十分さ。」
魔人化の弊害はそれか。同じ種族と同じ時間を生きられない。添い遂げることができない。俺は弟もこれから生まれるだろう甥や姪も見送ることになる。添い遂げる云々はファルクスと結婚しているから心配要らないが、そういうわけではないミールウスにとっては関係する。せめて俺も仲良くしてあげよう。
「じゃあ仲良しの証に良い風景の場所まで連れて行ってあげる。おいで。」
抱き上げられ、空に連れ去られる。落とされることはないだろうとは思っても、いきなりだと驚く。しがみつきその高さに慣れた頃、眼下に広がる人々と町並み、森を眺めた。森のほうに屋敷も見える。あの屋敷がファルクスと俺の家だ。
絶景と期待を上げるような言い方でも満足できるくらいの場所だった。来たことのあるメルの山だが、着陸した位置が少々異なる。メルも今は巡回中らしく、不在という話だ。街を見下ろすのに適した場所で、山、街、森、屋敷と広がっている。この場所は竜や鳥人でなければ簡単に来れなさそうに思えるが、獣人ならその足でも行き来できるのだろうか。人間の足では到底無理だ。直線距離ならそこまで遠くないように見えるが、山登りとなれば勝手が違う。少し肌寒く感じるほど標高が高い。ミールウスの翼のおかげで暖まれているが、やはり準備は必要そうに感じられる。以前ファルクスと一緒にメルの背に乗ってここに来たときは冬ということもあり、しっかり防寒具を揃えていた。こんなに急でもなかった。
あの屋敷でファルクスは今も仕事に忙しくしているのだろう。俺も帰ったら勉強に励もう。獅子の獣人と海の人魚に関する勉強を重点的に行う。水着もファルクスと一緒に選ぶのが楽しみだ。
「フラールだったら何が似合うかな?パレオでもビキニでも色っぽくなるんじゃない?」
想像をされても困る。露出は控えめが良い。そもそも泳ぐのだろうか。水着ではなく防水布で作られた衣類かもしれない。濡れても良い程度の備えかもしれない。川と海は同じ感覚で泳げるのだろうか。ファルクスは泳げるのだろうか。
「そりゃあね。俺は泳げないし、入江までしか同行したことないけど。海の人魚が魔術で水中に連れて行ってくれるみたいだね。」
飛べるなら泳げる必要はないか。海の人魚への挨拶が済んだらどんな様子だったかミールウスにも教えてあげよう。俺は一緒に挨拶に行ける。人魚もお伽噺にあった。水中に引きずり込んでくる恐ろしい化物だ。人間の国で語られるそれらが当てにならないことはもう知っている。あれも竜と同じくらいぼんやりとした物語の中の存在だった。少しだけ読んだ所によると、足が尾ひれになっており、水中でも呼吸ができるそうだ。案内を受けたとて、水中で呼吸できない人間は辿り着けないのではないかと思わないでもないが、そこを乗り越えるための何か秘術があるのだろう。
目の前の風景に意識を戻す。ここからは見えないが、南東の方角には魔王城がある。今年は行くのだろうか。お母様はファルクスの幼い頃の話をもっと聞かせてくださるだろうか。
「さすが新婚。離れてても相手のことばっかりだ。もう帰る?」
別に会いたくてファルクスの話をしていたわけではない。屋敷が見えたからふと思い出しただけだ。領内の挨拶の話はミールウスから振ってきた。だからそれに関連して話を続けただけだ。領内の挨拶はファルクスと行くものだ。それならファルクスの話になるのも自然だろう。別に新婚だからでもなんでもない。
俺の反論すら温かい微笑みで受け止められる。これは信じていない。別にファルクスのことばかり考えているわけではないのだ。ただ、帰るのには賛成だ。いくらミールウスの翼で包んでもらっていてもそろそろ寒くなってきた。
「はいはい、そういうことにしておいてあげるよ。」
だから会いたいわけではない。会いたくないわけでもないが、誤解は解けていないままだ。戻ったらラクエウスにも愚痴を言おう。ファルクスはまだ忙しいだろうから。




