侯爵様が旦那様
クランティフ家は東部に領地を持つ侯爵家だ。再び東部に向かい、屋敷を訪問する。何の連絡もなく突然訪問した治癒士夫婦など怪しさしかない。それなのに治癒活動許可証のおかげか、村々を回ったおかげか、屋敷の住人に取り次いでもらえた。その御方は現公爵の次男ティミドと名乗り、実質このクランティフ家を取り仕切っていると教えてくださる。改めて俺達も俺は治癒士、ファルは護衛と自己紹介を行う。それから彼らのことを少し聞こうとすれば、すぐに俺は現侯爵の所まで案内された。一日のほとんどを眠って過ごしているような容態で、食事も飲み物だけといった具合。今すぐに治してほしいそうだ。ティミド様と父君の関係は悪くないらしい。見られていると治療しにくいと断り、侯爵と二人にしていただく。ひとまず外傷はない。本当に病気なら俺にはどうもできない。見た限り眠っているだけのようだが、医師にもどうにもできなかったと言うのならただ眠っているだけではないのだろう。医師に分からないものが俺に分かるわけがない。分かるとすれば病気ではなく毒が原因の場合だ。仮にも伯爵家の生まれ、一定程度毒に関する知識は入れられ、騎士になってからも学ぶ機会は多かった。繊細な魔力操作を習得したおかげで、どの毒かを調べることもできる。
自分の魔力をほんの少しだけ侯爵の体に流し込む。他人の魔力と肉体を、自分の魔力を通して感じる。以前より感じやすいのはファルの魔力のおかげだろうか。不快感が大きいのは毒のせいだろうか、それとも単に相性の問題だろうか。全身に不快感が広がっており、その不快感の成分を感じ取れば植物由来の毒と分かった。幸い、ヴェルート王国でも採集できた毒と同じ物で、俺が実際に目にしたことのある物。複数混ざっているから分かりにくかったのだろうか。実際に使われた人を目撃したことはないが、毒を作成し、無毒化する実験は行ったことがある。その時の記憶を頼りに、体内の毒を少しずつ薄めていく。複数種類混ざっているため何段階も必要ではあるが、一つ一つの毒は解毒が難しい物ではない。全て解毒し終え、それ以上の治癒は諦める。消化の際に傷ついたらしい胃や腸の治癒も可能ではあるが体への負担が大きい。目覚めた後の体調を見て、少しずつ掛ける必要がある。先に毒のことをティミド様に伝えよう。
侍女を呼び、ティミド様に話したいことがあると伝言を頼む。毒のことは直接伝えるべきだろう。誰が毒を盛ったかも分からないのだ。ティミド様に動機があるとすれば、早く自分が実権を握りたかったからか。治そうと動いている姿を見れば、彼が犯人とは思いたくない。
「父の様子はどうですか。」
声を潜め、毒のことを伝える。幸い解毒はできたが、毒に傷つけられた体の治癒はできていない。目覚め次第、治癒を少しずつ進める予定だが、それには本人の体力が最も必要だ。時間は掛かるだろう。ティミド様には犯人の心当たりがあるだろうか。
「私にはさっぱり。ですが、快方の兆しが見えたなら良かった。貴女のことは大切にします。母や父の愛人には気を付けてください。」
俺の部屋も侯爵の寝室近くに用意してくださっている。いつ目覚めるか分からないため、もう少しこの場で待機していよう。奥方や愛人が見舞いに来られた際にもすぐ話ができる。
会話の期待は数時間経っても叶えられなかった。それよりも先に侯爵が目覚められ、すぐさま侍女に食事を用意させる。今まで用意してきた食事と、熱くも冷たくもない味の刺激もない果実ジュースの二種類を頼んだ。今までの食事に毒が混ぜられていたとしても、今日は入れないだろう。そう思いつつ念の為に同じ物と指定したのだが、毒を探知する魔術を使ってみると、その中に毒が混ざっていた。何か間違えたのか、わざと入れたのか。俺が頼んだほうには毒が入っていない。桃のような甘さのジュースだ。侯爵にはこちらを飲んでいただこう。
「君が、新しい侍女か。すまないね、こんな老人の相手をさせて。」
良い人そうだ。力ない声で、体もお辛いだろうに初めて会った俺のことを気遣ってくださる。小さく一口ずつジュースを飲まれる様子は問題ない。休めば少しずつ体調は改善していくだろう。本人にも毒のことはお伝えすべきだ。会話の余裕はあるように見えるため、お話させていただく。
「家族を蔑ろにしてきた私のせいだ。犯人は探らないでくれ。」
心当たりがありそうだ。しかし協力はしていただけない。説得するにも体力がいるため、もっと元気になるまで待つ必要がある。結局国境付近の戦闘はしばらく続いたままになりそうだ。
侯爵の就寝を見守り、俺も夕食を頂く。ファルとは同じ寝室を用意していただいているため、今日の成果を報告し合う。ファルは奥様のユムール様と愛人のオネット様と会ったそうだ。値踏みされるような視線は当然のようにあり、明日以降はユムール様の侍従としての仕事を頂くことになった。若く美しい男性は奥方の審査を通ったようだ。もしかするとこうして一緒に眠れるのも今夜だけかもしれない。俺も明日は早く起きて侯爵の傍にいるつもりだ。気に入られたかどうかはともかく、治癒士として来ているのだから容態には細心の注意を払う必要がある。
「添い寝でもしてやると良い。既に一人愛人を抱えているならもう一人増えた所で大差ないだろう。」
ティミド様はどう感じられるだろう。自分の病床に臥している父親が治癒士と浮気しているなんて、歓迎できない事態ではないのか。そもそもファルも自分の妻が浮気しているような環境に身を置くことになるのに、それを覚悟で調査すべきとでも考えているのだろうか。ユムール様に求められればファルは寝るのだろうか。俺と違って彼らは本当に男女の中になれる。性別を偽っている俺とは異なるのだ。
「寝室への誘いは断ろう。あくまで期待させて情報を引き出すだけだ。あれも飾りを欲しがっているだけだろう。もしくはそのふりをして俺達を監視しようとしているか。」
ファルが浮気していないかどうかの監視も必要だ。余計な心労を掛けられるのだから、魔王国に戻ったら長い休暇を要請しよう。美味しい物を食べて、ゆっくり寝て、魔力も沢山貰う。少しくらい贅沢な生活を求めたって悪くないはずだ。
「魔力なら今も与えられる。ほら、口を開けろ。」
軽く開ければ舌が侵入してくる。同時に魔力も十分に注ぎ込まれる。魔力の受け渡し方に拘らなければいつでもどこでもできるというのに、口付けに限定するからこういうことになるのだ。ファルの魔力のおかげで解毒も楽にできたから許してやるだけ。俺の心が広いことにむしろ感謝してほしいくらいだ。魔力の心地良さもなければ譲歩してやらないことだってできた。魔力量は少ないながらも効率良い使い方を知っている。これがなくとも十分魔術を使える程度の実力はあるのだ。
口付けを終え、俺の寛大さを教えてやっているとご機嫌なファルは俺の頭を撫でる。ここで子ども扱いに文句を言うともう一度、次はもっと容赦のない口付けをされる羽目になることは学習済みだ。不本意でも気付かないふりをしてさっさと寝るに限る。俺は明日も早く起きて、侯爵の看病をするのだから。
添い寝は免れつつ、侯爵の看病を続けていく。その間に侍女ではなく治癒士という説明もできた。治癒士と伝わったならじっくり体調を確かめることもできる。元々は体が頑丈な人だったらしく、碌に動けない今にとても意気消沈されている。事務仕事すらできない、視察どころではないと俯かれていた。
「民の声を聴くことこそが領主の務めだというのに情けないな。」
領主であっても体調を崩す時くらいある。その時に対応できるよう備えておくのも領主の仕事だ。俺も父が領主だったが、今日は休み、今月は緊急事態がない限り王都滞在、と領主の仕事を部下に任せている期間もあった。ヴェルート王国の貴族階級出身であることは開示しても良い。今はファルの妻だから家名を捨てたと言えるのだから。
今は休む時間だ。そんな慰めも届かず、侯爵様は沈んだ表情をされている。食事こそまだ柔らかい物が中心だが、庭も少しずつ歩けるようになってきた。治癒術を掛けられる程度の体力は戻り始めたのだ。老化に伴う不調はどうしようもないが、少し膝や腰の調子が悪い程度の一時凌ぎならできる。そのおかげで侯爵様には大変気に入っていただき、様々なことを話していただけるようになった。
「若い頃から私は弱かったんだ。妻との関係を間違え、愛人に甘え、家を支えるだけの一人前の男にはついぞなれなかった。その惨状が今だ。」
気力が弱っておられるのだろう。確かに奥様は外の愛人と度々会っているとファルから聞いた。愛人のオネット様もファルのことは気になっているようだが、奥様の侍従になったせいか当たりが強いらしい。クランティフ侯爵様は優しい人だが、愛人を抱えている点には疑問もある。侯爵なら政略結婚が基本のため、彼もそうなのだろうか。
「互いに望まぬ結婚だった。せめて同じ傷を持った者同士、愛する人を見つけた際には応援し合おうと、表向きは夫婦でいようと誓ったものだ。だから私はオネットを見つけ、彼女は外に会いに行く。侯爵家の夫婦を演じる良き友人として共にいたつもりだった。」
夫婦仲が悪いわけではない。俺の実家に愛人はいなかった。実家を出て旅の治癒士をしている立場なら、政略結婚に納得していなくとも自然だ。分かるふりをする必要はない。少し難しいと態度に出し、詳細を聞き出す。既に解毒した実績があるからか、こうして寄り添っているからか、家の恥にもなりそうな話を聞かせてくださった。
個人的な家族の話を聞いている間に、時間のできたティミド様がお見舞いに来られた。政治的な立場の相談のようだが、俺に退室は求められない。聞いていても良いのだろうか。不安になりつつも口を挟むこともできず、ただ聞く羽目になった。
「既に民は限界を迎えています。これ以上の継戦は不可能です。」
「家族を魔王国に奪われた者にはどう説明するつもりだ。今までに命を懸けてきた者達の死を無駄にする気か。一矢報いなければ、せめてこちらが優位な状況での終戦にしなければ、失ったものを回収できない。」
優位にすることなど不可能だ。まだ魔王国側は第二王子軍しか出していない。そのことを知らないはずの俺が忠告などできず、戦争を続けると主張する侯爵様の言葉を聞くしかなかった。ティミド様が反戦派であると知れたことは良かった。そのために協力できる。
議論に夢中になってしまったのか、咳き込んだ侯爵様を止める。今はまだ侯爵様が主導権を握っており、ティミド様は代理としてその意を伝えている。勝手に家としての立場を反戦派に変えるつもりもお持ちでないようだ。だから父君の説得に精を出しておられる。必要なことだとは理解できるが、まだ万全の体調でない侯爵様が必死になってしまう環境は避けたい。治癒士として来ているのなら、患者の体調を最優先に動くべきだ。
「優しいな、君は。あれだけ聞いておきながら、私の身を案じてくれるのか。」
戦争を継続するつもりという意見に賛同はできない。しかしそれと治癒士として患者の体を第一に考えることは矛盾しない。俺達が来た本当の理由は話せないが、戦争で怪我した人の話はできる。俺が治癒士として立ったわけでもなく、その現場を間近で見たわけでもないが、怪我人の想像はできる。治癒士であることを含めれば戦争に反対の立場を取る理由にも納得してもらえるだろう。誰にも怪我してほしくない、これ以上犠牲を増やしてほしくない。一矢報いて何になるのか、さらに苦しむ人を増やすだけではないか、と。
「心が救われる者もいる。それだけを生き甲斐にしている者もいる。君は難しいことなど考えずに、安全な場所にいてくれれば良い。私の治療が終わってもここに居られるようにしよう。」
一時的に滞在している治癒士ではなく、雇われている使用人に。そうなれば旦那様と呼ぶべきだろう。侍女になるのだろうか。その立場でずっと寄り添うようなことができるのだろうか。今より距離は離れ、話をしにくくなってしまうかもしれない。治癒士という立場だからこそある程度の礼儀は大目に見てもらえる。先程のように隣に座り続けることなどできなくなってしまうだろう。そんな不安を上手く伝えれば、好々爺の笑みを浮かべてくださった。
「君のような優しさに甘え続けた結果が今の私だ。もうこれ以上過ちは犯せない。」
頭を撫でる手は優しい。子ども扱いのようだが、彼から見れば俺など子どもか。甘えてくれたほうが情報収集の目的のためには都合が良いが、笑みの仮面を崩すことは難しそうだ。夫婦仲もさほど悪くないなら、付け入る隙も少ない。奥様はファルが担当している。俺は愛人と話してみようか。そろそろ見舞いに来ても良さそうなのに、彼女は一体何をしているのだろう。既に心が離れているのだろうか。旦那様に尋ねて負担を掛けたくない。今は健康になることだけに集中していただきたい。軽く汗を拭い、休んでいただこう。また起きられたら食事の時間だ。
休息の必要性を理解している旦那様は素直に休んでくださった。他の侍女に愛人のオネット様の部屋を尋ねれば案内してくださる。旦那様の言伝を預かっていると思われたのだろうか。部屋の前でも旦那様に関して伝えたいことがあると言えば、オネット様は快く通してくださる。
「あの人はどうなったのかしら。弱っていく姿を見るのが怖くて、こうして聞くことしかできないのよ。」
分からないでもないが、離れていても勝手に元気になるわけではない。ティミド様が医師や治癒士を探した結果、俺が来て治ったのだ。元気になってきたと伝えてあげても良いが、その前に少し意地悪なことを言ってみよう。せめて最期を一人で過ごさせないよう、隣に座っていることもできないのか、と。
「若い貴女には分からないでしょうね。心の妻は私だけだと言いながら、跡継ぎには他の女の子どもを据える男の愛人をする気分は。それも自分の子かすら分からない子どもよ。私の子だって優秀なのに、クランティフ家の血を引かない子をあえて跡継ぎにする理由が分からないわ。」
長男がオネット様の子、ティミド様が奥様の子。そのことに大いに不満を抱いているらしい。容態を心配しているはずなのにすぐこの話が出てくるほど気にしている。あまり突っついては俺まで敵視されそうだ。意地悪はここまでにして、元気になったと教えてあげよう。今は眠ったばかりのため、見舞いはまた後にしていただこう。
「ユムールの新しい従者は貴女の夫らしいわね。良かったわね、大変可愛がっていただいているようよ?」
意地悪の仕返しだ。その件に関しては話し合っているが、あまりに備えていても家の乗っ取りを疑われかねない。ここは不安な態度を見せておこう。旦那様には言うべきではないだろう。元気になってと言っている治癒士が負担を増やすようなことを言うべきではない。
オネット様は一見美しいおば様だが、顔付きは怖い。今意地悪を考えているからだろうか。余裕もないのか、俺に対する罵倒は続く。美しさが足りないや侯爵家に仕えるにしては気品がないとの言葉だけでなく、俺と旦那様との仲を疑うものまであった。俺も浮気をしているのではないか、と。正直に強く否定するが、これを旦那様に対する悪口と思われても困る。旦那様自体は優しいお人だ。自分の体調が優れない中でも自分を治癒するために来た治癒士を気遣える。
「戦場にも行けない遊び程度の術でよく強気に出られたものね。」
一流の腕はないが、旦那様を治癒するに足る力はあった。見舞いすら拒んだ人に言われたくない。俺が来なければ今も旦那様は臥せったままだ。お礼は旦那様本人から頂くが、周囲にだって攻撃的な態度を取られる理由はない。
「本気でそう思っているの?夫のいる身で妻子ある男性に色目を使っているのに?とんだお花畑ね。」
旦那様に色目を使っていることが何故か確定されている。妻子ある男性に色目、と言うなら彼女も同じだ。咎められていないのは奥様が侯爵夫人という地位を職務のためと約束されているからだろう。旦那様も仕事仲間と精神的な妻を分けて考えておられる。オネット様の立場はその二人の容認があって初めて成り立っている。堂々とできる安定した立場ではない。俺を愛人だと思っているのだとしても、愛人同士で争うより先にやることがある。今なら旦那様の健康や心労軽減のために動ける上、子どものことだってある。ティミド様の兄君ならもう常に気に掛けてあげなければならない子どもではないが、優秀なのに不遇な扱いを受けていると思うならそちらに助力すべきだ。旦那様に愛されているなら調べ事程度許してもらえるだろう。
俺の反論が気に食わなかったらしいオネット様に部屋を追い出される。このことを旦那様に報告されては困る。心労軽減を理由に会わせないよう侍女と執事に頼んでおこう。今は俺が治癒士として旦那様の体調を気に掛けている。現在最も長い時間を傍で過ごしており、食事を少しずつ形のある物に変えることも俺の指示で行った。侯爵としての仕事や領地関連、使用人の進退に口を出さない限り、俺の指示もまだ通るだろう。一度旦那様の様子を確認してから奥様とも話をしてみようか。愛人のオネット様との関係やオネット様の子との関係も気になる。ファルに頼んだほうが良いだろうか、敵対する可能性を考えるなら俺が聞いたほうが良いか。旦那様の隣で愛人に近い関係性になるなら、オネット様とは敵対する。しかし旦那様と共に愛人を認め合う関係の奥様は敵対するだろうか。
結論が出せないまま、旦那様の寝室に辿り着く。まだ静かな寝息を立てられており、起きる様子はない。一度に沢山食べられないため、細かく何度も取る方式にしており、空腹で目覚められることもある。空腹になる前に次の食事にしたいが、眠って体を治せているのに起こしたくもない。また少し空けることにしよう。起きてから自力で呼び鈴を鳴らせるだけの体には戻られているのだ。
次に向かうは奥様の私室。こちらにも旦那様の体調に関してお話したいと入室許可を求める。今はお茶をされていたようで、奥様と向き合ってファルが座っていた。にこにこと毒にも薬にもならない作り笑顔だ。今は奥様の前と話しかけることはせず、旦那様について報告する。
「そう、ありがとう。進退については何か仰ったかしら。」
体調が戻れば仕事に戻るおつもりだった。今後の戦争に関してもティミド様とは異なる考えをお持ちのため、譲ってしまうつもりはないのだろう。そう伝えると残念そうにされた。奥様はティミド様に早く侯爵位を譲ってほしいと考えられているのだろうか。
「そうね。気が変わってソンブルに継がせると言われると面倒だもの。あの子は好戦的過ぎる。」
奥様は反戦派。その考えの下、跡継ぎ問題を考えられている。ただ自分の子を侯爵にしたいというだけではないらしい。オネット様のことはどう考えておられるのだろう。
「人を見る目がないわね。公私ともに自分だけを愛してほしいなら侯爵なんて選ぶべきではなかった。ただ愛だけで動ける立場ではないもの。夫も侯爵の器ではないわね。非情になりきれない弱さがある。その血を引くソンブルも同じよ。」
ティミド様もその血を引いているはずだ。奥様の血も引いているから大丈夫とでも言いたいのだろうか。それともオネット様の妄言は事実なのだろうか。直接尋ねることはできない。今は跡継ぎの優勢が反戦派であることに満足すべきか。いや、奥様には旦那様に毒を盛る動機がある。侯爵の器でなく魔王国との戦争を継続しようとする旦那様を退かせ、自分と同じ反戦派の息子ティミド様を実質的な侯爵家の主人にする。ティミド様自身のお考えや性格ももっと知りたいところだ。
あまり話を聞こうとしすぎて怪しまれたくもない。一番は旦那様の体調を気に掛ける治癒士という立場を維持することだ。俺の言葉をきっかけにファルともこの後話してくれるかもしれない。そうすれば他にも何か分かるかもしれない。今俺から聞くことは控えよう。怪しまれない範囲に留めたい。旦那様の容態を見ると伝え、また寝室に戻る。
「ああ、戻ったか。今から食事かな。」
すぐに用意させ、食事用の机に移動していただく。顔色は悪くない。そろそろ肉類を食べていただいても問題ないかもしれない。食べたい物を食べられたほうが気力も早く戻るだろう。
「君はどうして治癒士になろうと思ったんだ?傷付いた人を多く見る、大変な仕事だろう。」
多くの人を助けたいから。理由は用意している。貴族の娘は自分と全く異なる生活の人々を学んだ。苦痛に喘ぐ人々を知った。上の立場でできることは両親や兄弟ができる。自分にできることを考え、彼らの施策が十分行き届かない小さな村で治癒士を始めた。今その村はもうない。
「魔人との対立で、か。」
原因は不明としている。ヴェルート王国の人間ではこの発想にならないだろう。しかし侯爵様は当然といった様子で推測を口にされた。魔人との対立や魔王国との戦争が原因だったとしても、これ以上そのために傷付く人がいてほしくない、誰も怪我をしないように、と治癒士らしいことも言っておく。その気持ちも全くの嘘ではない。そのためにファルと結婚し、この国に来たことは事実だ。
「戦争を止めるなら、復讐を諦めろと言うことになるのは私だ。何故殺された恨みを晴らしてはいけないのかと彼らの感情を受け止めるのも私だ。妻も子も失っていない私が、彼らに何を言えるだろう。」
良い領主なのだろう。民の心と向き合おうとされている。しかし、そのために更なる犠牲を生む道なんて選ばせない。一人で受け止められないなら、それこそ家族に頼れば良い。奥様は一緒に受け止めてくださるだろう。ティミド様も侯爵になるならその覚悟を決められるはずだ。私も、と言葉を続ければ心強く思ってくださるだろうか。




