形式上の夫との街デート
森のお散歩は上手くいった。見られても挨拶でき、恋人同士だと思われた。夫婦と言えば新婚かと言われるくらいの仲の良さを見せつけられたようだ。その日の夜も口付けはあったが、特に事件が起きることはなく、穏やかな睡眠の時間を過ごせた。
そしてそこから一週間後の今日、街に降りるお出掛けの予定だ。また服を選ぶ。今回はファルクス殿下に好みを聞いている。それを参考に選ぶため、以前よりは悩まないだろう。花の妖精のようだったという話だが、その服は夏に着ていた。今はもうそれでは寒い。それにファルクスは黒い物を好んで俺に着けさせようとしていた。互いの髪や瞳の色を身に着けるのは魔王国でも同じなのだろうか。
ラパーチェが何着も候補として並べてくれた。その中の深紅のスカートが目を引いた。裾付近に葉の刺繍があり、妖精感が出るのではないだろうか。それならブラウスは黒。それでは寒いだろうと上着類も出してくれたが、合わせるなら何が良いだろう。深緑のカーディガンを着ようか。足はタイツとブーツにする。これではまだ少し寒いだろうか。薄めのコートも着よう。これは白と黒を比べてみる。ファルクスと歩くなら黒にしよう。コートを着るならマフラーは要らない。まだそこまで寒くない。手袋くらいはして行こうか。髪飾りはファルクスに選んでもらう。黒か赤か、花か葉か。これでさらに彼の好みが分かるだろう。
髪飾りを除いて装備し終え、ファルクスを呼び入れる。彼も既に着替え終えており、深緑の軽いコートを羽織っていた。ベストが深紅、シャツとズボンは黒と、なんだかお揃いのような色合いだ。
「美しいな。今日はまるで精霊様だ。」
世辞が上手だ。何の精霊だと言うのだろう。褒められて悪い気はしないため、俺も褒め返してやる。腹が立つほど似合っている。俺が同じ服を着てもこうはならないだろう。二百年分の人生経験の差だと思おう。余裕の態度も少し年上ではなく実年齢はお爺さんなのだと思えば嫉妬もしない。俺の十倍も生きているのだから俺と同じでは困る。今日の行き先も内容も全て任せてしまおう。手始めに髪飾りだ。
綺麗に並べられた髪飾りを見せる。どれが正解と決まっているわけではないが、着けてみて俺が良いと感じられた物が正解になるだろう。ファルクスはどれを選ぶのか。じっくりと俺を見つめ、髪飾りを見比べ、再び俺を見る。少々落ち着かないが、俺に着ける物として選んでいることがよく分かる態度だ。幾つか手に取り、俺に合わせ、ようやく決定した。
「これにしよう。一番見ていたくなる。」
本当に一言付け足さないといられない人らしい。深紅の薔薇のような花に黒い葉の付いた髪飾りが着けられる。鏡を見ても服装に合っているようだ。これも経験だろうか。並んだ二人は夫婦と言われても信じられそうな雰囲気で、何となく直視できない。服装とラパーチェの化粧技術の結果だ。ファルクスの態度もせいもあるだろう。俺も凭れかかってみる。客観的には仲睦まじい夫婦だ。
「だが、手袋は要らないな。手を繋ぐだろう?」
指を絡められる。素手が良いらしい。意外と可愛らしいことを言う人だ。その手を繋いだまま、ファルクスは俺を連れて行く。今日は馬車でのお出掛けだ。既に御者、というか車を引いてくれる馬の獣人コルヌが待ち構えてくれている。馬車に乗らない時は他の仕事をしてもらえる上、御者と馬の両方が必要な状態から実質御者一人で十分な状態になる。確かに効率的だ。馬のような世話も必要ない。人としての環境が必要でもそれは御者を雇っている場合と変わらない。
魔王国では、少なくともこの家では特別なことではないのか、ファルクスも当然のように今日の案内を頼み、コルヌも誇らしげにお任せくださいと胸を張った。第一王子邸の御者は名誉ある職なのだろうか。すぐ傍の小屋で馬の体に変化し、準備万端で待ち構えてくれる。ファルクスが馬車に乗り込む俺に手を貸してくれた。馬車の中でまで手を繋ぐなんて、本物の新婚夫婦のようだ。少しくらいはこの空気に合わせてやっても良い。振動が気にならないほどの乗り心地で、これなら移動するだけでも夫婦二人きりの時間を過ごす雰囲気になりそうだ。これが馬の獣人の技術か。
「それもあるが、俺も魔術で振動を軽減している。ここで疲れてもらっては困るからな。」
魔術や魔力の操作は熟練者になればなるほど少ない労力でできることが多くなると言われている。人間の寿命の倍ほどの経験があるなら、人間の最高峰よりもさらに習熟度は高いだろう。これは少々気になる部分だ。詠唱はなかった。何か術式を使っているのだろうか。少なくとも見える所にはなく、指で空中に描くような行動も見ていない。魔力の感覚だろうか。馬車の乗り心地を魔術でどうにかできるのなら、大きく移動の快適さが上がるだろう。その実現を今後考えても良い。
魔術のことは一旦忘れよう。今日は楽しむための時間だ。ファルクスにとっても息抜きの時間になると良い。そうこの後の予定を尋ねた。
「まずは服屋に行こうと思っている。まだ一枚も自分で選べていないだろう?」
十分な量が用意されており、まだ着ていない服も多い。令嬢の服は多いものだとお母様から習ったが、普段着まで一回しか着ないなんてことはない。少なくともお母様はそうだった。夜会や茶会に出る時の服だって上手く仕立て直し、組み合わせを変え、同じ服に見えないよう工夫を凝らすものであり、本当に一度しか着ないわけではない。俺はそう長く令嬢のふりが続く予定ではなかったため一度しか着ていない物もあるが、ずっと令嬢をしている本物の令嬢達はそんなことないだろう。
何か一枚だけ選ぼう。どんな物があるのか見てみるだけでも良い。これからの季節ならセーターなどもあって良い。どのくらい選択肢があるのだろう。そもそも王族なのに店まで選びに行くのか。商人に家に来てもらうわけではないらしい。
「色んな店を見るのも楽しいだろう?ついでにお茶もできる。今日も気になる店があったら言ってくれ。」
魔王国は王族と他との差が小さいのかもしれない。それともファルクスがこうして出掛けることを好むだけだろうか。俺が伯爵家の出であり、自分で買い物に行くような生活を送っていたから合わせてくれたのかもしれない。
石畳の商店街が近づき、馬車が止まった。ここからは歩いて向かい、気になる店があれば寄り道する。最初は服と言っていた通り、服を飾っている店が多い。ファルクスが考えている店もあるようで、まずはそこに案内してもらう。俺は女性物の服を店で選んだ経験に乏しいため、外から見てどの店が良さそうかなんて分からない。
一軒目はこれからの冬に着られそうな服を置いている。セーターやコートなどどれも暖かそうだ。色も形状も様々で、カーディガンやボレロまである。選んでくれるのかと思いきや、ファルクスは服ではなく俺のことを見ていた。
「好きな物を選ぶと良い。他の店を見ても良いぞ。」
本格的な冬用の衣類はさほど用意していないらしい。今日俺が選び、頼めばそれを参考に今後用意してくれる。結局、今日は俺の感性で選べ、という話だ。暖かそうで、出掛けるなら女装が主で、似合う物。一揃い選べば、今後はそれを基準に他の物も選んでもらえるだろう。まさか王子の妻が数着を着回すわけにもいかない。
どれもふわふわで暖かそうだ。真っ先に目に入ったのは白いふわふわのファーが付いたロングコート。雪のような印象を与える服だ。ファルクスは妖精感や精霊感のある服を特に気に入っているようだった。これもその範疇に入るだろう。カーディガンも触っているだけで良い気分になるほど手触りが良い。綿のようで暖かそうでもある。これも白や桃色など可愛らしい雰囲気が質感にも合っているように感じられた。他にもセーターなどどれもふわふわとしている。夏より女装は楽そうだ。着込む上にふんわりとした防寒着なら素の体型や筋肉質な体が自然に隠しやすい。少しくらい黒い服も選んでおこうか。黒いファーの付いたケープならふわふわし、可愛い女の子を演出できる。
お金は現在全てファルクスから出ている。俺へのお小遣いもあるという話だが、それも出処はファルクスだ。今後の働きで返していきたい。術式作成に力を入れても良い。効率的な魔力の運用はヴェルート王国でも考えたが、術式作成は任務に必要な物の一部に限られた。これからは馬車で移動することも増えるだろう。ファルクスがいない時でも快適に移動したい。毎回魔術を行使してもらいながら乗るのも悪い気がする。誰でも簡単に乗り心地を良くできるならそのほうが良い。
「期待している。魔力の扱いが不得手な者でも使える物だとありがたいな。一部の獣人は魔力もあまりなく、扱いも繊細ではないんだ。彼らでも自分で使える魔道具が増えると便利になるだろう。」
魔力関係に弱い代わりに、肉体関係に強い。逆に肉体の強度が低く魔力に強い種族や、栗鼠や小鳥のように小さな動物形態を利用する種族もいる。上手く協力して魔王国は成立しているのだろう。
服を見るのは楽しいが、疲れもする。買った物は後から送ってもらえるため、身軽なまま店を出た。次の目的地はどこだろう。ファルクスもこちらを見ている。彼はまだ余裕そうだ。疲れを感じないのだろうか。
「どうした?次はカフェでも行くか?」
確かに一度お茶の時間を挟みたい。そう伝えれば手を引いて案内してくれる。店の前に食べ物の絵が描かれている所も多い。飲み物の名前や絵がある店もある。何より特徴的な部分がどの種族向けの飲食物を出しているかまで明記されている点だ。肉食獣の獣人向け、草食獣の獣人向け、鳥人向けなど可愛い絵が併記されている店もある。気になる店があればとは言ってくれているが、どの店なら俺も食べられるのだろうか。
「人間が食べられる物も含まれることが多いな。俺が教えるから言ってみると良い。」
小さなタルトの絵が沢山書かれた喫茶店。きっと使われている果物もハーブもヴェルート王国とは異なる。色とりどりで食欲も唆られる。小さな物なら三個くらい食べられそうだ。
「中でゆっくり選ばせてもらおう。何が使われているか書かれている一覧も見せてもらえるからな。」
種族毎に食べてはいけない食材が異なるため、細かく材料は記載されているそうだ。人間が食べてはいけない食材もファルクスが把握してくれている。店に入り、メニューを確認するが、見慣れない食材名も多く、俺には判断が難しい。
赤いタルトに紫のタルト、緑のタルトもある。どれも美味しそうだが、材料名の果実や野菜は見慣れない物だ。三つとも食べてしまおうか。ファルクスに確認しても人間が食べても良い物だと言ってもらえた。飲み物はお勧めされたものにしよう。
「三つともこの近くの山の麓で取れる果実や山菜だな。一定の標高までは誰でも立ち入って良いことになっている。一定以上は竜の住処のため立ち入り禁止だ。」
竜が実在する。それもこんなにすぐ近くに住んでいるなんて意外だ。実在するにしても遥か東の山々に住んでいるものかと思っていた。どのくらい大きいのだろう。危険なのだろうか。ここから見上げられるほど近くの山のため、住処に入らない限りは安全なのだろうか。
「今度会ってみるか?慣れるまではと紹介を控えていただけだからな。俺の部下だ。」
危険かどうかという話ではなかった。会えるならどれだけ大きいかも分かる。鱗はどうなっているのだろう。手触りはどうなのだろう。しかし初対面の人間同士でも、いきなり体に触って良いかなんて聞かない。基本的に駄目だろう。仲良くなれるだろうか。
「まだ子どもだから懐かれるかもしれないな。十八年しか生きていない。お前より年下だぞ。」
竜も千年以上生きる生物だ。二十歳や二十五歳くらいまでは体の成長が人間と同じくらいと習った。つまり竜の十八歳は人間の十八歳と変わらない。俺の弟より年下だ。その竜から見れば俺は上司の妻か。奥様と呼ばれるのだろうか。もしそうなら名前で呼ぶよう求めよう。
少し話している間にタルトが届いた。小さな粒々の纏まったような赤い果実が半透明の膜に覆われている。甘くゼリーのような食感に続いて、ほんのりと酸味も感じる。後口が爽やかでするすると食べやすい。あっという間に無くなってしまい、適当に頼んだ紅茶を飲んでいないことにもようやく気付く。紅茶は香ばしさのあるもので、甘い菓子にはよく合っている。だからこれを勧めてくれたのか。
「本当に美味しそうに食べるな。これも一つ食べるか?」
ファルクスの頼んだ菓子は揚げ物のような球体で、チョコレートのような色をしている。興味はあるが、先に自分の頼んだ物を食べよう。それはまた次回でも良い。断ったのにファルクスは嬉しそうだ。自分で全部食べたいのだろうか。しかし一個残しておこうと言ってくれもする。また次回、と繰り返すのは何故なのか。夫婦なのだから次回があるのは当然だ。何も特別なことではない。何がそんなに引っかかるのだろう。
今はタルトを食べよう。次は緑のタルトだ。こちらの見た目はさらさらしていそうな質感だ。三つの中で最も水分の少なさそうな見た目でもある。フォークを刺した質感も先程の物よりは硬いが、生地の一番硬い部分よりは柔らかい。香りはハーブのような爽やかさがある。舌触りはざらりとしている。全体的には甘いのに、少しピリピリと刺激もある。これも沢山食べられてしまいそうだ。
最後は紫のタルト。こちらは見るからにムースの質感だ。フォークを入れた感触もそうで、舌触りも滑らか。味は三つの中で最も甘く、濃厚だ。これは間に紅茶を飲みたくなる甘さだ。ただ最も食べた気分になれる、食べ応えのある味でもある。
「それも気に入ったならこれも気に入るだろう。食べてみると良い。」
ファルクスの頼んだお菓子も残してくれていた。俺も残して交換すれば良かったが、もう遅い。食べてしまった後だ。交換できないが、ファルクスがそれでも良いと言ってくれた。それは嬉しいが、何故かそれをフォークに刺してこちらに差し出す。それも柄のほうではなく菓子のほうを差し出してくる。このまま食べるなんて、それこそ甘い恋人同士の戯れではないか。人前でする人もいるが、相手が女性だったとしても恥ずかしくなるだろうことだ。それをファルクス相手にするなんて余計に恥ずかしい。それなのにファルクスはさらに菓子を俺の口に近づける。フォークを受け取ろうとしても反対の手で押さえられる。俺はもう一つ手が余っているが、これはファルクスが俺に食べさせたいということなのだろう。
深呼吸をする。仕方ないため応じてやろう。少し大きいが一口で入る大きさだ。しっかり開け、口で受け止める。じゅわりと甘い汁が溢れてくる。見た目に反した甘さだ。甘さが純粋に濃い。これを平然とした顔で食べられていたなんて驚きだ。意外にファルクスは甘い物が好きなのだろうか。俺でもこれを一個丸々、一口で食べるには甘すぎると感じるほどだ。香ばしい紅茶を飲んで落ち着ける。ワタワタと紅茶を飲んだ俺を見てファルクスは笑いを堪えている。
「すまない。目をまん丸にしているのが可愛くてな。これは魔力を特に多く含んだ蜜を使っている。魔人や鳥人には好む者も多いな。」
魔力が多いからファルクスは好きなのだろうか。味の感じ方も人間とは異なるのかもしれない。
「甘いのは甘いな。獣人の中には甘すぎて吐き気がするという者もいるらしい。」
やはり種族によって味覚に違いがあるようだ。とても甘いが、大袈裟に言っても吐き気がするほどではない。ただ、ファルクスに手ずから食べさせられた事実が薄れてしまうほどの甘さではあった。
紅茶で口直しをし、喫茶店を出る。また服選びの続きだ。次はファルクスにも選んでもらおうか。装飾品類を選んでも良い。ファルクスの両親に挨拶に行く時の服も選びたい。早いうちに挨拶すべきだろう。




