形式上の夫との森デート
寝食を共にし、仕事や勉強の合間に手を繋いで庭の散歩をする日々を過ごしていた。そんな中、本格的な冬が来る前にと屋敷の近くの森へと誘われる。そこは誰でも自由に出入りできる場所であり、獣人達もよく散歩している場所らしい。確かに新婚らしい姿を見せたほうが民は安心するかもしれない。俺も気合を入れた服装で出掛けようとラパーチェとラクエウスに相談をする。
ファルクスは俺に彼の髪や瞳と同じ色の物を身に着けさせるのが好きだ。人前に出るならそうすることで彼の妻だと服装からも見せつけられる。だから今日は黒いスカートだ。それとも屋敷近くの森は魔獣も出るため戦いやすいズボンのほうが良いだろうか。
「どちらでもファルクス殿下は喜ばれますよ。この世で最も大切な人が自分のために考えて選んでくれた服装なのですから。」
ラクエウスの発言は参考にならない。ラパーチェを見ても黙って頷くだけ。どちらも俺の疑問には答えてくれないようだ。自分で決めるしかないようだ。
ズボンなら動きやすく、俺も剣で戦える。不測の事態に備えるならこちらだ。備える必要があるのかという疑問はある。ファルクスは十分な実力を持っていた。剣術のみでも、魔術のみでも。周囲の魔力を乱す小細工だって通用しない。
妻としての姿を見せるなら女装のほうが良い。そろそろ葉も落ちる季節。タイツはしっかり履かないと寒いだろう。靴は歩けるようなブーツだ。ロングスカートを黒にする。少し傷薬やハンカチを入れる小さな鞄も必要だろう。黒い物が多いが、服も全てが黒いわけではなく、白いブラウスもカラフルなショールやボレロ、カーディガンも用意されている。今日は深緑のボレロにしよう。ショールでは動きにくいかもしれない。茶会に行くのではないのだ。
その他の小物や髪型もラパーチェにセットしてもらい、昼食の入った籠も受け取って準備万端だ。待っている間に少し仕事をすると言っていたファルクスを呼びに行き、執務室に足を踏み入れた。
書類に目を落とし、真剣な表情をしている。何かを書き記したかと思うと机に置き、俺の傍に立った。上から下までじっくり眺めている。全てファルクスの用意していた中から選んだ服だ。全てを吟味したわけではないだろう。想定と合わせ方が異なる物もあったのかもしれない。鏡で見ても納得の出来だった。いくらでも見て感心すると良い。
「綺麗だ。よく似合っている。」
流れるように口付けられる。気付けば俺の手にあった籠が彼の手に移っていることも、差し出された腕も、夫婦として歩くことに慣れた人の行動だ。そっと腕を取れば静かな笑みが返ってくる。奥様ともこうして歩いたのだろうか。
「今はお前が奥様だ。」
そういう話をしているのではない。亡くなった奥様の話だ。肖像画も見た。俺が来るまで庭すら当時のまま維持していたのなら、思い出も多いのではないかと思っただけだ。話したくないなら無理に聞き出さない。質問自体不快だっただろうか。
「そういうわけではない。以前の相手の話など聞きたくないだろうと思っただけだ。俺はお前の元恋人の話なんて聞きたくないからな。」
俺は全敗中だ。いや、任務で演技だったとは言えファルクスを惹きつけられたのなら一勝か。ティーロ様も惹きつけられた。相手が男性ばかりなのは何故だろう。女性相手でも演じればどうにかなったのだろうか。それでお付き合いが長続きするとは思えない。
気にしないのであればと亡くなった奥様グラティア様の話を聞かせてくださる。歩く時にこうして腕を取ることはあまりなかった、半ばぶら下がるような状態だった、それよりも前を駆けて行くことが多かった。語る表情は柔らかく、俺が来るまで屋敷の様子を変えなかったことも分かるものだ。話を聞く限り、行動的な少女のような人の印象を受ける。亡くなった時には老婆になっていたはずだが、若い頃の印象のほうが強いのだろうか。
「弱ってから亡くなるまではほんの数時間だった。お婆さんになっても愛らしい少女のような人だったよ。」
心温まる話のはずなのだが、なんだか聞く気を失ってしまった。だから言っただろうと窘められてしまう点にも言い返せない。代わりに俺はお付き合いに成功したことがないと伝える。過去の女の話は存在しない。生きている年数が異なるためそれだけで不公平だなんて言うつもりはない。魅力の部分でも納得はいく。ただ不満なだけだ。
今日は二人で森にお出掛けだ。気分を切り替えて使用人達に見送られる。領主邸から続く道の人通りは少ないが、街道との合流地点になるとちらほら人が見えた。そろそろどう見えるかを意識して行動しよう。少しだけ寄り掛かって見せようか。甘える態度でもあるが、妻ならこの程度許されるだろう。軽い口付けも許してやろう。夫婦仲良好を見せつけるのだ。
散歩のために来た森ではあるが、魔物もいるような森だ。それでもただの野生の魔物程度、二人で十分だ。ファルクスは魔術が得意で剣術もできる。俺も騎士として鍛えてきた。今日はスカートの上、そもそも剣を持ってきていないため魔術でしか戦えないが、彼がいるなら問題ないだろう。そう踏んでの服装だ。魔術で援護するくらいなら余裕でもある。定期的な討伐や狩りも行われているそうで、特別に強い魔物もいない。少し腕に覚えのある人なら俺達のようにお散歩に使うくらい安全だ。森の雰囲気も落ち着いており、日課のお散歩に組み込むのも理解できる。少し甘い匂いもしており、齧りたくなる果実も見えた。赤紫のよく熟した果実は美味しそうだ。
「あれは人間や魔人には毒だ。鳥人なら食べられるがな。」
残念だが、味は後でミールウスに聞いてみよう。他は、と色とりどりの花も眺める余裕まである。魔人のファルクスは魔力が多く、魔物もあまり近寄らない。そのためか本当にただのお散歩になっている。俺一人ならこうはならないと一人でのお出掛けは止められた。お散歩したい時は毎回付き合ってもらおう。ミールウスが相手でも良い。その時間があれば良いのだが、仕事の都合次第か。
魔人化が進むとどんな感覚になるだろう。そんなことを考えながら歩く余裕まであった。ファルクスによると大きく感覚が変わることはないらしい。ミールウスに聞けば本人の体感も聞ける。この話はまた今度にしよう。
「次は街に出掛けよう。一人では行っていないのだろう?」
禁止されているわけではないが、ファルクスが仕事をしているのに自分だけ遊びに行く気にはならない。彼が仕事をしている時間は俺も勉強をする。俺も仕事をできれば良いが、何か仕事を貰うにせよ、手伝うにせよ、知識がなければどうにもならない。
「気を遣わなくて良いのにな。気になるなら俺も一緒に行こう。休みは必要だしな。」
ファルクスは今までの休日をどう過ごしていたのだろう。ラクエウスやミールウスとは仕事外でも親しいそうだが、一緒に出掛けるのだろうか。ラクエウスからは休日の過ごし方を聞いていない。ミールウスとはそもそも魔王国に来てから話せていない。
「一緒に出掛けることはあるが、頻繁ではないな。仕事でも顔を合わせるんだ。わざわざ休日にまで見たくないな。お前は別だが。」
するりと腰を撫でられた。会話の合間に口説いてくるなんて、これが愛する妻のいた者の実力か。抗議の意味も込めて、周囲から見ても分からないよう軽く指を摘む。俺は仕事中に顔を合わせないため、一緒にいる時間が少ない。だからお出掛けも良いというだけだ。そもそも初めての街なら誰と出掛けても、よほど嫌な相手や緊張する相手でない限り楽しみになるものだろう。ファルクス相手でもう緊張するわけもない。それなのに彼は俺が甘えたかのように指を撫で返してくる。俺は指を絡めたわけではない。
今は近くに人がいない。ちらほらいたが、多いわけではなかったため木々に隠れてしまった。木々の隙間から見える可能性はあるため、苦情を入れることは控えよう。これは演技だ。ファルクスの態度自体は寝室にいる時と同じだという点からは目を逸らそう。
昼食はサンドイッチ。香ばしく歯応えのあるパンに、胡椒風味の肉、甘い野菜、と午後からも散策を楽しむ体力を戻してくれる。飲み物は魔術で水を作れば良いと器だけだった。無駄に魔力を使わないという方向に行かない点がヴェルート王国との違いだ。サンドイッチの水分は少なめにされているが、飲み物の残量を気にしないで良いのなら大した問題ではない。
木陰に凭れ、少しお昼寝の時間だ。舗装された道でもないここは寝転んでも心地良いだろう。ファルクスもこうして休むことがあるのか尋ねれば、何の抵抗もなく寝転んだ。腕を指し、俺にも寝るよう促す。俺も地べたに寝ることに抵抗はないが、腕枕は別だ。
「一緒に風呂も入るのに何を言っているんだ?」
それとこれとは別だ。心の準備がある。鍛錬後に何気なく裸体の見える環境だった頃とは異なり、夜にファルクスと一緒に風呂に入る時は深呼吸をしている。同性同士として自然に同じ大浴場や脱衣所に入ることと、夫婦として個室の浴室に入ることも別だ。俺の裸体を見て何が楽しいのか、視線を感じることも多い。俺の睨み返す目にも気付いておきながら、不意の誘いに応じてもらえるとは思わないでほしい。
深呼吸をし、待ち構えるファルクスを見る。これが自宅なら心の準備は完了だ。しかしここは屋敷近くとはいえ敷地外、誰でも来られる場所だ。いつ誰に見られるか分からない。いや、見せるために親しい行動をしようとしているのだが、本当に仲の良い本物の夫婦であったとして、人前でベタベタ触れ合うとは思えない。
「言い訳が多いな。」
引き寄せられ、半ば強引に腕枕の状態にされる。待ちくたびれたのだろうか。寝る時にもソファに腰掛けた時にも思うことだが、この人は基本的に距離が近い。他の人に対してはどうなのかあまり分からないが、一緒にいる時はほとんど常に触れているような状態だ。魔王国ではそういうものなのだろうか。両親も触れてはいたが、こんなに常にではなかった。それとも見えない所ではこうして触れ合っていたのだろうか。外出時に触れていても、こんな雰囲気だっただろうか。
視線を感じる。口元がほんのりと笑っている。これは演技だ。本物の恋人の触れ合いを演出できるほど、彼が手慣れているだけだ。余裕の態度で見られていることが何となく受け入れがたく、彼の肩に顔を押し付けて隠す。これで周囲からは仲良し夫婦に見え、俺は顔を見られない。完璧な作戦だ。それなのに振動を感じ、すぐ笑い声まで聞こえた。一体何なのか。
「そんなに甘えたいのか?それなら家でゆっくり昼寝でもしよう。今日は一日休みだからな。」
心底楽しそうに細められた目は何か誤解している気がする。背を向けても腹部に手が回され、覗き込むように口付けまでされた。これは外ですることではない。まだ覆い被さっている。逃がしてくれる気は一切ないらしい。これでは寝転んで寛ぐどころではない。
軽く苦情を入れると退いてくれた。ほんのりと肌寒いが、歩いていればまた温まるだろう。そう油断せず散歩を再開しようと誘った。温かい手を繋ぐのは悪くない。一人で魔王国に移って来たが、寄り添ってくれる人がいると感じられるから。戦う相手がそもそもいないが、味方は多い。家の主人の態度が使用人にも影響する。そこはファルクスも考えてくれているのだろう。ラクエウスとの勉強も興味深く、ラパーチェの対応は安心感がある。服選びでも頼りにしているが、スカートにするかズボンにするかなどは自分で決めることになる。次の街へのお出掛けの服装も考えたい。この機会にファルクスの好みも聞いてしまおう。黒を身に着けさせたいことは分かるが、ズボンが良いのかスカートが良いのか、可愛い系が良いのか綺麗系が良いのか、選ぶ基準は幾らでもある。
「考えて選んでくれること自体が嬉しいよ。お前は何を着ても美しい。何も着ていなくてもな。」
人を口説くことが趣味なのだろうか。今夜は一緒に入浴を避けようか。夫婦と考えるなら自然な言葉だが、俺はそこまでの関係になるつもりがない。恋人にならなくても仲良くはできる。仲良くするために好みを聞いただけだ。次の服装を選びやすくするためでもある。強いて言うなら、と聞いたら困るだろうか。困るなら選べないという回答でも構わないと言い添えた。
「ヴェルートで見た、花の妖精のようなスカートは特によく似合っていたな。この髪と瞳がよく映えていた。」
服を選んでも褒め言葉で締められる。これが口説く技術なのか。俺なら重ねてどれでも綺麗と言うくらいしかできなさそうだ。なんと返事すれば良いか分からず、褒め言葉には反応しない。代わりに次回のお出掛けの時の参考にすると返事した。俺の反応に何を感じ取ったのか、ファルクスは楽しそうだ。藪蛇になりたくないため、これも指摘しない。余裕のある態度も見逃そう。俺ばかりが必死になっても面白くない。今日は夫婦としての散歩の時間に協力するつもりなのだ。




