孤独な対姫様戦
ファルクス殿下は予定があると仰り、茶会を途中で退席された。手袋越しの口付けは練習していないが、直接でないなら許容しよう。自分の頬に手を添え、見惚れているように微笑んでみせた。上手く演じられただろうか。見えなくなるまで見送り、既に着席されている姫様達に向き直る。お母様から習った茶会の流れなら、ここで姫様が俺に着席を促してくれるはずだ。
椅子の隣に立つ。しかし姫様は何も言わない。俺は既に招かれており、一度着席している。最初は促されるまで座ってはいけないが、この場合も座ってはいけないのだろうか。落ち着かないが念の為立って待つ。姫様は鋭い視線だが、残り二人の茶会参加者、公爵令嬢のお二人は同情の目を俺に向けているように感じられた。
「婚約者同士は互いの瞳の色を身に纏うというお話をご存知かしら。」
もちろん知っている。これは令嬢でなくとも習うことだ。曖昧に微笑み、今日のドレスはファルクス殿下に選んでいただいたと控えめを装い伝える。代わりにファルクス殿下の服を選ぶよう頼んでもらえた。そんな惚気のように続ける。あらあらとカミーチア・ヴェスティ様は微笑んでくださった。セータ様も呆れたような表情ではあるが、敵対の意思は感じられない。姫様だけが険しい顔をされている。
まだ着席の許可は得られない。俺も勝手に来たならファルクス殿下と一緒に帰れたが、急な誘いでもそれに応じて来た身だ。勝手に帰るわけにはいかない。落ち着かなくとも美しく立って待たなければならない。あまりに凝視されては性別にも気付かれるかもしれない。決定的な部位は隠しているが、それでも絶対に大丈夫とは言い切れない。あまりじっと見ないでほしい。そもそもジロジロと他人の体を見るなんて失礼ではないのか。令嬢教育以前の問題だ。平民出身の男性騎士だって俺の体を凝視なんてしなかった。
「姫様、客人を立たせたまま待たせるものではありませんわ。王女と公爵令嬢しかいない茶会に、それも急な誘いに、勇気を出して出席してくださったのですもの。」
セータ様が姫様に促してくださる。姫様も表面上は快くそれを受け入れ、俺に着席を促した。座る時もショールの動きに気を付け、肩が見えないようにする。やはり視線は感じる。姫様は何を気にされているのだろう。狙っている男が執心している女のことが気になるのか、俺のことを疑っているのか。前者なら良いが、後者なら王太子殿下の助力が必要だ。
「随分大胆なことね。離宮に泊まるなんて。」
隠すための行動を何も取っていない。知っていて当然だ。言い訳は用意していないが、一緒に寝てはいないと弁明しよう。流石に令嬢として一線を超えていないことにはしたい。それでも離宮に宿泊した時点で随分な仲であることは確かだ。そこで魔力を感じたことも言おう。暖かく、包まれているような気分になったと顔を隠してみせる。お返しに送り込んだ自分の魔力も喜んでもらえたと言葉に詰まる演技をしながら言えば、真実味も増すだろう。
俺の発言に驚いたのか、姫様は動きを止めた。扇で隠しきれていないその口はぽかんと開いている。俺の知る限り魔力の受け渡しに特別な意味はない。騎士同士であれば不測の事態で魔力の受け渡しをすることも念頭に置き、同じ隊の者同士で魔力受け渡しの練習も行うことがある。練習時には相互に受け渡す、つまり交換する形になるが、それは異性間でも問題視されない。一般的な令嬢はそんなことないのだろうか。お母様からは何も聞いていない。
「さっきからずっとショールを触っているわ。お気に入りかしら。良い肌触りなの?」
セータ様が話を振ってくださった。ファルクス殿下が選んでくださったため、俺には材質が分からないと困った顔をしてみせる。肌触りは良いと感想を伝えよう。やはり姫様は面白くなさそうだが、セータ様とカミーチア様はにこやかに会話してくださる。ファルクス殿下に関する質問もされ、こうしているとただの少女同士のようだ。恋のお話は難しいが、それらしい返答は心掛けよう。少女の会話に見せかけて俺とファルクス殿下の不仲が国同士の関係に影響しかねない話までちらりと出てくる。ファルクス殿下は影響させないと明言していたが、ヴェルート王国貴族として教育を受けた身ではよく分かる感覚だ。俺も理解しているから気を惹いて、任務に過ぎないと断ることに抵抗があるのだ。
カミーチア様もよく似合っていると褒めてくださった。魔王国の文化や風習はよく知らないとしつつも、ファルクス殿下が婚約しているようなものとするなら大きく問題にすることはないという立場を示してくださる。公爵家の方がこの姿勢を見せてくれるのはありがたい。やはり姫様は面白くなさそうだが、渋々頷かれる。対立が控えめになるならありがたいが、このままでは二つの公爵家にフラウ・フィブラがファルクス殿下と婚約したと誤解されてしまうのではないだろうか。その状態で本当に魔王国行きを断れるのだろうか。ほとんど既成事実が作られてしまっているような気がする。
取り返しのつかなくなる前に団長に相談し、王太子殿下にも姫様への対処を求めよう。今は目の前の茶会に集中する。セータ様とカミーチア様は友好的だ。そう恐れることはない。伯爵令嬢らしく控えめに、礼儀に則った対応をしていると予定にない参加者がまた現れた。今度は王太子殿下だ。もしかしてファルクス殿下から姫様との茶会のことを聞かれたのだろうか。しかしファルクス殿下の姿はない。
「君の王子様は少ししたら来るよ。今は父上と話しているところだから。」
本当に迎えに来られるつもりらしい。帰りの馬車もないためどうしようかと思っていたところだ。ありがとうございますとお礼を言えば、何故か笑われてしまった。立ち上がっての挨拶も行っており、伯爵令嬢として何もおかしなことをしていない。
「そういった所に彼は惹かれたのだろうか。きょろきょろと探す仕草が愛らしい。」
そんなことをしたか。目線でいないことを確かめただけで、いないかと探したわけではない。いや姫様に見せつけるなら否定しないほうが良い。頬が熱くなった自分から意識を逸らすように、王太子殿下の指示に従って着席する。茶を一口含んで深呼吸だ。
王太子殿下が目の前におられるのに他の人を探すなんて失礼だった。謝罪しても必要ないと笑うだけで受け取ってくださらない。せめてと小さくなっていると王太子殿下は姫様にも幸せになってほしいと始められた。
「私が素敵な令嬢と共に務められているように、カヴィリエーラにも互いに尊敬し合える伴侶と共に国を支えてほしいんだ。」
ファルクス殿下は尊敬し合える相手にはなりうる。しかしヴェルート王国を共に支えることは叶わない。視界の端でカミーチア様が頬を染められていた。一体どうされたのだろう。
「カミーチア様が王太子殿下の婚約者様よ。ぽーっとしてばかりでは駄目、フィブラ伯爵令嬢。」
セータ様に軽く叱られてしまった。そんなこと習っただろうか。いや、令嬢教育以前に知っているべき情報か。貴族同士の関係は近衛騎士に任せようと思い過ぎていた。
改めてお二人の服装を見るが、カミーチア様のドレスには王太子殿下の髪や瞳と同じ色である金の刺繍が施されているが、王太子殿下の服にはカミーチア様の優しい桃色の髪の色も美しい灰色の瞳の色も入っていない。そもそも王太子殿下の服装は茶会に来る時の物には見えない。仕事の合間なのだろうか。
「今日はオレッキーノ様には内緒で来たの。見つかってしまったわね。」
くすくすと笑う様はまさに少女だ。それなのに何故か存在感がある。王太子殿下も微笑んでおられ、仲睦まじい婚約者同士だ。姫様との戦いも一時休戦か。
楽しそうな雰囲気のまま、カミーチア様は俺とファルクス殿下の服装についても報告された。とても仲良しなのねと純粋に祝福してくださっている雰囲気だ。これを意図しての服選びではあるが、何度もその話をされると何故だか気恥ずかしくなってくる。先程俺が咄嗟にファルクス殿下を探したことも受けて、微笑ましいものを見る目で見られた。
王太子殿下は俺が女装しているだけの男だと知っている。それなのにファルクス殿下とよくお似合いだとか友好のために励めとか好き勝手言ってくる。この言葉で姫様がファルクス殿下を諦めるよう仕向けられているのだろうか。しかし王太子殿下までこう発言したと二人の公爵令嬢が聞く形になっている。本当に後から邪推されずに断れるのだろうか。ファルクス殿下本人は穏便に拒否を受け入れてくださったとしても、ここまでの仲から婚約しない形に変化したことをヴェルート国内の貴族がどう受け取るか分からない。
気まずい思いをしつつの茶会はお迎えで終了する。基本的に無断で行動してはならないが、茶会の会場に見えたファルクス殿下に呼びかけ、駆け寄った。特に急な動きは危害を加えようとしている動きにも見られかねないが、先に名前を呼んでからなら許容されるだろう。ここまでの流れがあるなら、純粋に俺が喜んで少し礼儀を忘れてしまっただけだと受け取ってもらえる。
「フラウ、待たせたな。」
意図的に甘い笑みを俺だけに向けられた。背後から聞こえるカミーチア様の、まあ、と言う声に気まずくなる。物語の中のような運命などどこにもないのだ。互いへの燃えるような恋心だってない。これはただの打算だ。王太子殿下の命令と、ファルクス殿下の好奇心。俺は彼らの手で踊らされているだけ。女装している男だと気付かれないうちにこの場を辞することだけを考えている。
甘えるようにファルクス殿下の腕に絡みついてみる。反対の手で彼は俺の頭を撫で、見せつけるために頬に口付けた。俺もそれにお返しする。これだけやれば十分だろう。早く帰りたいと目で訴える。
「茶会を邪魔して申し訳ない。だが愛らしい婚約者をこれ以上離すことなどできそうになくてな。連れ帰ってもよろしいか?」
婚約者と断言されてしまった。ここで否定しなければ俺も認めたことになるだろう。しかし否定しては姫様に付け入る隙があると教えることになる。何も言えないまま、姫様からも送り出す言葉が発せされてしまった。その上、王太子殿下からも応援するような言葉を掛けられてしまう。俺が親しくしたいからこのようなことをしているわけではない。演技だと分かっていても少々腹立たしい。
ファルクス殿下に腰を抱かれ、馬車に乗せられる。扉が閉められればようやく一息吐けた。菓子だってほとんど手を付けられていない。そもそも茶会は交流のためであってお菓子を食べるためではないと分かっていても残念な気分にはなる。この後も帰れば夕食の時間だ。デザートを楽しみにしよう。
視線を感じながらの移動や夕食を済ませ、入浴の時間を迎える。当たり前のようにファルクス殿下の部屋に連れ込まれたが、これから入浴なら行くべきはここでないはずだ。ショールを奪われ、腰のリボンを解かれ、背中にまで手が伸びてくる。パシンと手を叩けば引っ込むが、何も反省した様子はない。まさか一緒に入る気なのか。
「男同士だ。何も問題ない。この国の騎士は訓練終わりのシャワーも個室なのか?」
そんなわけはないが、そういうことではない。彼は俺を婚約者と言い切り、自国に連れ帰ろうとしているのだ。他の同性の騎士と同じ扱いになるわけがない。そもそも当たり前のように俺が宿泊する流れになっているが、これも俺が許容しているだけだ。令嬢として行動するなら既に帰っている。
反論を並べるが、彼は脱衣所から出て行く様子を見せない。一人では脱げないため、ここで入るなら彼の手を借りることになる。実家や寮に帰る選択肢はない。諦めて彼の手を借りよう。
笑いを堪える様子には俺も気付いている。気付かないふりをしてやっているだけだ。背中の紐も解かれた。ここからは自分で脱げる。それなのにドレスに手を掛けてきた。婚約しているものだとしても結婚はしていない。一緒に入浴するだけでも十分な譲歩だ。
「そうだな。こちらも譲歩しよう。」
手は離れていった。彼も自分の服を脱ぎ始める。俺も残りのドレスを脱ぎ去り、ただの騎士の体を晒した。これで婚約者として連れ帰ろうという気もなくなるだろう。
さっさと浴室に入り、頭と体を洗う。今日は何度も嫌な汗を掻いた日だ。緊張の連続だった。上品なご令嬢少数の茶会だったため香水の匂いなどは問題なかったが、それでも気の抜けない時間だった。あれが品のないご令嬢を含む会になると匂いの面でも地獄になるらしい。俺は関わることもないだろう。令嬢同士の交友関係や情報網を広げる必要はない。むしろ性別が露呈する機会は極力減らすべきだ。
「良い体をしているな。」
伸びてきた手を反射的に叩く。脱ぐ時に駄目だったのだから今も触って良いわけがない。この人は何を考えているのか。一瞬だけ触れられた手はすぐに離れた。騎士として鍛えた体だ。彼はそのような趣味があるのだろうか。また手が近づいた。本人だって立派なものを持っているのに、何が楽しくて俺の体を撫でているのだろう。
仕返しに彼の体にも触ってみる。騎士ではないが鍛え上げられた体は筋肉質で、俺より身長も肩幅もある。腰回りだって太い。体の厚みも負けていそうだ。いや、俺は細くしなやかな筋肉とラーマ隊長から褒めていただいた。彼とは筋肉の付き方にも違いがあるだけだ。
「意外に傷痕は少ないな。」
腕の良い治癒士のおかげだ。ほとんど痕は残っていない。生死を彷徨うような大怪我の経験がないおかげもあるだろう。今は怪我するような激しい訓練がないためでもある。これは令嬢のふりをするに当たっての対処だ。露出は避けるとはいえ、万一そうした衣装を着た際にも対応できるようにしている。侍女達が熱心に肌を手入れしてくれているおかげでもある。今の俺は本物の令嬢達には負けるだろうが、王都騎士の中では一、二を争うほど美しい肌と髪をしている自信がある。今夜も俺がよく使っている石鹸類が何故かこのファルクス殿下の部屋の浴室にも用意されていたため、使わせていただいた。最初から連れ込むつもりだったのだろうか。
体を洗い流し、湯船に体を沈める。手足を伸ばし、全身の疲れが溶け出て行くようだ。一緒に入る時点で譲歩しているのだから、もう気を遣わなくても良いだろう。苦情があるなら二度と連れ込むなと言ってやろう。そのくらい許してもらっても良い。
「大物だな。ここには来ないのか?」
姫様との茶会の時のように太腿の上を指し示す。座るわけがない。あの時は親密さを見せつけるため拒むことが適当ではないと判断したまでだ。今は誰にも見られていないのだから不必要に触れ合うこともない。誰が勝手に婚約者と断言した人の腿に座るものか。魔力の交換が婚約のようなものだという話も知らない。そもそもあれは本当なのだろうか。
「半分本当だな。魔人が寿命の短い伴侶を迎える際に、同じ時間を生きられるようにする秘術がある。寿命を伸ばすという意味だけなら伴侶に限らないがな。お前にはまだしていない。」
つまり婚約しているようなものという話は嘘ということだ。しかし俺も最初女と偽って近づいた。嘘を吐くことで関係にヒビが入るという話は分が悪い。本当に突き詰め、国同士の話に発展してしまっても困る。ここは一度口を噤もう。
伯爵家の実家も当然浴室はあるが、さすが離宮の浴室は広さが異なる。湯の品質まで異なるように感じられた。どこかから持ってきているのか、適した魔力の質の方が水を魔術で生み出しているのか。この力のある方を雇うことができれば毎日特別な湯の風呂に入り放題だ。
「改めて魔力を送ってやろうか?」
どういうことだと聞き返す前に両手を握られた。ふわりと流れ込む温かなものが彼の魔力だ。これは悪い感覚ではないが、簡単に受け入れてはまた婚約云々の口実に使われかねない。ほんの少し魔力を押し返すように抵抗する。彼もそれに気付き、軽く笑った。無理に押し付けることなく魔力は引いていく。体の内部に一瞬だけ入っていた温かさが消えた。それだけなのに、それもまだ湯の中に浸かっているのに、どことなく冷水を浴びせられた気分だ。
魔力が出ていったかと思うと、今度は表面をなぞるように戻ってきた。どことなく柔らかさを感じる。これは婚約云々言われないだろうか。やられっぱなしは良くないだろう。好き勝手して良いと思われても困る。今度は俺からも彼の体に這わせるように魔力を動かした。俺の魔力はどんな感触と温度をしているのだろう。
「春の風のようだな。」
感じ方は人それぞれだ。表現のために使うものも変わってくる。温度や感触、色や匂い、味や旋律で表現する者までいるほどだ。あまりどういうものなのか伝わってこなかったが、悪いものではなさそうだ。もうおしまいかと尋ねてくるということは気に入ったのだろう。
そろそろ風呂から上がろう。手早く水気を取り、いつの間にか侍女が置いたらしい寝間着に手を伸ばす。また可愛らしいネグリジェだが、今度は黒だ。ファルクス殿下の色という話を今日散々したのに、夜寝る時の服として黒を身に着けさせる。やはり警戒すべき相手だ。
何も着ないよりは良いと割り切り、寝室で待つ。この服を用意していたということはおそらく寝台にまで連れ込むつもりだろう。諦めも肝心だ。俺が堂々としていれば相手も驚くだろう。図々しいと思われたならそれも良い。国に連れ帰る気をなくしてもらっても良いのだ。




