経過報告
帰りの馬車で眠ってしまったのか、気付けばファルクス殿下の寝室に眠っていた。既に朝になっており、彼も目を覚まして俺を見ている。寝間着も少し落ち着いた色合いではあるものの女性物で、もはや苦情を入れる気にもならない。他の誰に見られるわけではないのだ。もうこれは諦めよう。一時の我慢だ。
気を取り直して朝食を取り、今日の俺の予定を伝える。ファルクス殿下の予定には頼まれても同行しない。団長への報告は必要なのだ。そこから王太子殿下に伝わると良い。残念そうな顔をされても心を揺らがさない。一度断った程度でファルクス殿下が俺への興味を失うことはないだろう。
「王太子殿に会うのか。それなら以前見せていただいたあのドレスを着て行ってくれ。」
会う相手は王都騎士団の団長であり、王太子殿下ではない。今日会うと言って会えるわけがないのだ。しかし俺が王太子殿下から直々に任務を授かったことを知っているためか、何事にも例外があると言って引いてくれない。騎士団にドレス姿で戻れというのか。既にファルクス殿下が俺の正体をご存知である以上、致命的なことはないが、それでも同僚に女装姿を見せたいわけでもない。一度実家に帰って騎士服に着替え、それから騎士団に向かう。ここで着せてもらっても結局向かう時には脱いでいるのだ。
必死の説得もファルクス殿下には届かない。それどころか自分も王太子殿下に会う予定があるとして俺を同行させようとする。俺が団長への報告を済ませた頃に迎えに来るとまで言い出した。どこの世界に他国の騎士団まで騎士を迎えに来る王子がいるのだ。
話し合いは決着しないまま、朝の支度を終える。実家に帰るまでの間ならと彼の選んだ服を着ることは受け入れた。薄い赤のドレスに黒の刺繍とフリル、手袋は逆に黒地の薄い赤の刺繍。ふわりと広がる裾や胸元のフリルが体型を誤魔化してくれる物であることは相変わらずだ。黒いリボンで髪を片側だけ軽く編み込まれる。家に帰ればすぐに着替えてしまうと言っているのに、侍女は丁寧にファルクス殿下の要望を聞き入れた。
「家まで送り届けよう。馬車か馬、どちらが良い?」
一人なら馬に乗るところだ。いや、ドレスの今は一人で馬に乗れない。女性騎士の一部はドレスの時に不測の事態に遭遇した場合に備え、ドレスでも乗馬できるよう鍛えているが、俺はその時間を取れなかった。特に貴族階級出身の女性騎士は自分がドレスで出掛けることもある。その時に対処できるようにという意図のようだ。一度横乗りなのに馬を全力疾走させているところを見たことがある。
今日は馬車にしよう。急ぐ用事でもない。ファルクス殿下も同乗され、馬車が出発する。ドレスでの行動にももう随分慣れた。太腿に手を置かれたって気にならない。いや、令嬢らしさを追求するなら抗議すべきだ。ファルクス殿下限定で許容するなら令嬢としても許されるか。
ふと窓の外を見ると、貴族街を通り過ぎていた。フィブラ邸に向かうのではなかったのか。ファルクス殿下は涼しい顔をされており、予定を変えたような反応ではない。しかし行き先は進むほどに俺の聞かされている場所ではないと分かる。これは王都騎士団の方向だ。
「まず団長に報告するのだろう?騎士団内部には入らないから安心すると良い。」
一度家で着替える。そのことを改めて伝えても覚えているという返答しか得られない。行き先も変えてもらえない。騎士団員も一部はまだ俺が女装していると知らない。知っている団員も女装姿は見ていない者も残っている。以前は見せないよう気をつけたのに、王宮の馬車で寄せた時点で目立ってしまっている。裏口から入るわけにもいかず、正面玄関から入った。
連絡のない王宮の馬車ということで、バタバタと人が出てくる。俺の報告予定を伝えているため、団長もここにいるはずだ。この王宮の馬車から俺が出てくるとは思わないだろう。慌てた様子の団長も建物から出てきた。ファルクス殿下に送っていただいたことを速やかに伝える。
「フラールの報告が済み次第、王太子殿の所まで俺が連れて行こう。外で待たせてもらうから気にせず仕事を続けてくれ。」
これは聞いていない。他国の王子を待たせて気にしないことなど不可能だ。しかし俺を置いて王宮に向かうつもりはないらしく、ゆっくり話すと良いと仰った。団長も礼に則っての対応をされているが、俺に話を聞きたそうにチラチラと視線は向けられる。ファルクス殿下は気にした様子なく、一時的に馬車を止める場所と待っている間入って良い場所を尋ねた。団長の返答は戸惑いを見せないもので、比較的高位の貴族出身の騎士に案内は任された。少しでも待たせる時間を減らすための対処だろう。最初のバタバタの時点で平民出身騎士の多くは姿が見える程度まで離れていた。礼儀も習うが、他国の王子は想定外だったのかもしれない。この国に来られた場合も、警備など近くから守る役目は近衛騎士団の担当だ。
団長の前でファルクス殿下と言い合うわけにはいかないため、一度諦め団長室へと向かう。姫様に目を付けられたかもしれないという相談だ。そもそも姫様に興味を持たれないための任務なのに、姫様自身がファルクス殿下との婚姻に前向きというのはどういうことだろう。おかげで俺が姫様を挑発したような状況になってしまっている。姫様と取り合っているような場面をファルクス殿下にも見られたくない。取り合ったのに婚姻は拒むなんて行動はこの国に対しても良い印象を与えないだろう。
「こちらから王太子殿下にも伝えよう。この後お前も会うなら自分で伝えるか?」
伝えられるだろうか。気を惹かなくて良くなっても、この状況からファルクス殿下を断るのも心苦しい。完全に弄んだ形になってしまう。彼は既に俺が男だと知った上でこの対応をされているのだ。既に三着もドレスを選んでくださっており、口ぶりから察するに他にも選んでくださっている。期間の問題で仕立てることはできないようだが、時間さえ許すのなら幾らでも用意してくれそうだ。そこまでしてもらっておきながら何のお返しもなく任務でしたと別れを告げるのはあまりにも薄情だ。
「そこは自分で解決しろ。お二人の滞在期間は通常任務から外している。鍛錬は怠るなよ。」
騎士としての任務に戻れるよう努めている。筋力も落ちていない。上手くファルクス殿下からの誘いを断りつつお礼する方法が思いつかないだけだ。今何をしてほしいかなんて聞いても嫁に来てほしいとしか言われないだろう。それが希望なら一緒に寝ることだってお礼の一部にならないのか。女装していない時だって他人と寝ることなんてないのだ。その点で俺は既に大きな譲歩をしている。
「俺から他国の王子に伝えることはできない。自分で伝えてくれ。今日のシックな装いもよく似合っている。気張っていけ。」
王太子殿下に会える服装ではある。一度ここで着替えたい気持ちもあるが、これ以上待たせるなという団長の言葉にも一理ある。俺に女装させて寝室に連れ込む変わった人ではあるが、魔王国の第一王子であることには変わりない。こうして俺の仕事場まで送らせ、待たせて良い相手では決してない。王太子殿下に会う予定も聞いたが、具体的な時間は聞かされていない。下手すると王太子殿下まで待たせる事になりかなねい。
着替えは諦め、ファルクス殿下が待っているという前庭に急ぐ。知っている騎士からはニマニマとした笑みで見送られるが、知らない騎士は俺のことをどこかの令嬢だと思っているようで不思議そうにしている。関係者以外立ち入れないはずの場所を一人で駆ける令嬢は不審だろう。しかしそれが団長と一緒に歩いていたところは見られているため、声を掛けられることはない。
ファルクス殿下には改めてフラウと呼ぶよう求め、暗にフラールと呼んで騎士と同一人物だと教えるなと釘を刺す。今はファルクス殿下と一緒にいるため何も言われないだろうが、この任務が終わった後なら好き放題言われかねない。
「ではフラウ。次は俺の仕事に同行してくれるか。」
やられた。この流れでこの頼みなんて断れるわけがない。自分の都合に付き合わせ、相手の都合には合わせないなんて一方的なことできない。そもそも待ってくれなくて良かったが、それでは送らせただけになる。同じ馬車に乗った時点で指摘すべきだった。
仕方なく、表面上は喜んでと同行を受け入れる。次の行き先は王宮だ。差し出された手を支えに馬車に乗った。やはり隣に座るよう求められる。王太子殿下に話してこれは何か変わるのだろうか。ファルクス殿下もいる前で話すなら、姫様から気を逸らすための行動でしかなかったと伝えることになる。いくらファルクス殿下でも怒らないだろうか。怒らなくても傷つけることにはならないか。今度姫様にお会いする機会があれば、俺がいなくてもファルクス殿下は姫様を選ばないという方向に持っていってみようか。女装した俺を面白いと連れ回そうとするファルクス殿下がただの姫君を気に入るとは考えにくい。
あまり入ることのない王宮をファルクス殿下は堂々と歩く。当然案内を受けてではあるが、本当に何故俺を好んで連れ回すのか不思議な立場の人だ。応接間では少し待つだけで王太子殿下が来られた。約束の時間に遅れたわけではなさそうだ。
「騙すような真似をして申し訳ない。妹を説得できなくてね。」
「何のことか分からないな。フラールが妃として来てくれたなら、嘘から出た真ということになるだろう。」
性別を偽ったことは不問になる。俺が気のあるふりをしたことだけが問題にされる。当然他国の王子を騙すことも、気を惹いて情報を引き出そうとすることも失礼に当たる。気付かれなければ自分達の国の利益になるという擁護をしてもらえるが、気付かれている今そんな言い訳は通用しない。
王太子殿下からの視線を感じる。ファルクス殿下は俺を隣に座らせて当然という顔をされている。よく見ればその服は最初に出会った時同様、黒が大半を占めているが、随所に深い赤も含まれている。俺のドレスは薄い赤に黒の飾り。まるで揃いで誂えた服装だ。
いつまでも返事に窮しているわけにはいかない。苦し紛れに光栄という言葉を絞り出し、家族と離れ離れになること、仕事も辞めること、未知の土地にたった一人足を踏み入れることが不安になってきたとして、考えが変わってきたことということにする。これなら最初の行動も嘘ではなく、今後も妃にならなくて済む。夢見ていたが現実を考えて不安になるなど珍しいことでもないだろう。
「私がいるから安心だと思ってもらえるよう努めよう。」
これを拒むことは不自然だ。代わりに、姫様もファルクス殿下を狙っておられるようだから自分は相応しくない、と自ら身を引く態度を見せる。王太子殿下は当然姫様を送り出すつもりがないと俺を励まされた。しかし姫様本人は国の利益とご自身の責務を考え、婚姻に前向きでおられた。その点を王太子殿下はどうお考えなのだろう。まさか俺に姫様と戦い、ファルクス殿下を取り合えと仰るのだろうか。
ファルクス殿下は俺を強く抱き寄せられた。愛情を含めた微笑みの演技がお上手なことだ。
「婚姻政策をするつもりはない。フラールを口説き落とせなかったとしても、国同士の関係に影響させるつもりはない。姫君も愛する者と結ばれることを祈ろう。」
ここまで半ば強引に連れ回し、婚礼衣装の話まで勝手に始めたのに、断っても関係悪化はないと言い切る。強引なのか選ばせてくれるつもりなのかよく分からない。少なくとも連れ回される以外に不利益はない。その程度は任務として想定していた範囲だ。口説かれては困るが、不快になるほど深追いはしてこない。素肌に触れられることはなく、同じ寝台に眠る以上のこともない。返事は保留にしてやろう。
俺が最も問題視しているのはファルクス殿下への態度ではない。姫様と戦うことになるのかという点だ。ファルクス殿下への返事は保留で良い。しかし保留にしつつ姫様と戦うなど、どういった態度を取れば良いのか分からなくなる。取り合ってしまった時点で答えが決まっているようには見えないか。魔王国行きは怖いが姫様にファルクス殿下を取られたくはないなんて回答が認められるのか。
「フラールを連れて帰るか、誰も連れて帰らないかの二択だ。姫にも伝えていただけるか?」
少なくともファルクス殿下は認めてくださる。彼の妃になるかどうかという話のため、彼の意思だけが重要だろう。国同士の関係を考えても、王太子殿下が姫様の婚姻に前向きではない。国王陛下の意向は分からないが、団長も何も言わないということは気にしなくて良いのだろう。
ファルクス殿下に謝罪し、ゆっくり考えさせてほしい、心変わりしないでほしいという要望を述べる。善意につけ込むようで心苦しいが、俺はヴェルート王国の騎士だ。返事は優しい微笑みで一層後ろめたい。王太子殿下は俺の様子を気にしていないのか、今後の希望を述べられた。
「しばらく妹と戦ってくれ。君の実家に不利益は生じないようにしよう。」
姫様個人が攻撃的になった場合も安心だ。俺としては戦わなくて良いようにしてほしいのだが、すぐに解決出来る問題ではないのだろう。しばらくは姫様が割り込む隙などないのだと見せつける必要がある。王族相手に精神戦を仕掛けるのだ。十分な特別手当があると期待しよう。




