赤い光
空き地の廃ビルを、麗子と橋口の二人は慎重に上っていく。
慎重に上っているのは、そもそも制服がずぶ濡れで、体にくっついてうまく動かないせいもあった。
二人が三階まで上がって、四階に上がる階段を見上げた時だった。
「ちょっとあそこ、赤くない?」
麗子は階段の天井や、壁に、光が差しているのを見つけた。
四階で何かが燃えていて、その光が階段の壁を照らしているように思える。
「行って見れば分かるんだケド」
「いきなり正面突破? 何かありそうなら回り込もうとか考えないの? 他に階段ないのかしら」
「こんだけ静かだと、私たちの話し声で、相手も気がついてるんだケド」
確かにそうかもしれない。私たちに強い霊力が感じれるのなら、敵もこっちの霊力を感じているだろう。距離や位置まで正確にわからないとしても、だ。
「どうしよう……」
「素直に、ここから行くんだケド」
「分かった」
麗子は右の人差し指を伸ばし、霊弾を撃てるよう準備した。
階段を音を立てないよう一歩、また一歩、上がり、上がっては周囲を確認した。
踊り場まで来るとかなりはっきりと分かるようになった。
天井や壁の赤い光は、強くなったり弱くなったりする。
「何か燃えているんだケド」
「そうね。火の光、炎が照らしてるみたいね」
燃えているのが物、なのかそれとも……
「なら、温まって制服を乾かすのにちょうどいいんだケド」
「ちょっと、待って……」
ホイホイと階段を上っていく橋口を止めようと思って手を伸ばすが、間に合わない。
麗子は橋口のことを諦め、銃を構えるように右手を伸ばし、周囲を素早く確認しながら後ろを追いかける。
「ほらほら、麗子。やっぱり焚き火があるんだケド」
フロアの真ん中で、金属で格子状のカゴを作り、そこに突っ込まれた木に炎が上がっていた。
天井に黙々と黒い煙が溜まってきている。
橋口は呑気に体を温めている。
「麗子も来なよ。制服を乾かさないと動きづらいんだケド」
右手を伸ばして、いつでも撃てるようにしながら、周囲を警戒する。
四階に不審なものは見当たらない。
麗子は霊弾を撃つ姿勢は解いたが、なお警戒しながら焚き火に近づく。
ビルの中で焚き火しているのは誰か。動物は火を使わない。少なくとも自然には発火しない。だとすると、鈴木、金田と来て、次に来るのは三井しかいない。
そして、三井が焚き火をして待っているのだとすれば、この火に何らか仕掛けがあるかもしれない。
「ねぇ、その焚き火からなんか感じないの」
「何のこと? 体が温まるのを感じるんだケド」
「霊力は感じないの」
「普通の一般的な炎なんだケド」
「……」
とすればこの焚き火に注意を引きつけて、他で待っているのかも。
麗子は焚き火を背にして、周囲を見渡した。
「じゃあ、麗子の真似して、私も背中を温めるんだケド」
橋口は呑気に焚き火に背を向けた。
「どう考えてもおかしいよ。ここに誰かいるはずなんだ。あのリストの中の三井か、中島が。今までは不利な状況から始まって苦戦してたから、今度は初動である程度優位に立たないと」
「見渡す限り居ないんだから、考えてもしょうがないんだケド」
「鈴木は身体的な特徴が、金田はスケベ根性がそれぞれ弱点だったけど、三井はイケメンで事務所のナンバーワンだし、もし事務の中島さんだったら、美形で、噂じゃ巨乳でスタイルも抜群だよ。この二人には、わかりやすい欠点なんかないよ」
麗子はリストを広げ、そんな勝手な考えを述べた。
「ふん。どんなにイケメンや美人秘書だって、欠点はあるに決まってる。欠点のない人間なんてそもそもいないんだケド」
「だから『欠点がない』とは言わないよ。私たちがそれに気づくまでにやられちゃう、ってこと」
「……」
橋口は黙っているが、納得いかないという表情だ。
「戦いを有利に進める為、先に見つけて、先制攻撃するべきよ」
「それと焚き火が、どんな関係があるって言うんだケド」
「それは……」
麗子はチラリと後ろの焚き火を返り見る。
「私にもわからないけど」
『まあ、喧嘩するな』
焚き火から声が発せられた。
「!」
全く気づかなかった。麗子は焦った。飛び退くようにして、焚き火と距離をとる。
橋口は懐の鞭に手を掛け、前方に回転し、体を捻ってから立ち上がった。
焚き火の炎が、映像のように人の姿を映す。炎が上下する度に、顔まで見えたり、腹だけになったりと変化する。
『俺の周りじゃ、いつも女が争っているがな』
「三井楓!」
麗子はそう言って霊弾を撃つ姿勢を取ったが、何かが引っ掛かって撃てなかった。
『俺はここだぜ。さあ、撃ってみろよ』
炎の中で三井はそう言った。
橋口が炎に向けて、鞭を振り下ろした。
鞭の先端が、焚き火の木片に当たって弾ける。同時に、火の粉が飛び散った。
「麗子、焚き火の周囲には、やっぱり全く霊力がない。だから、これデコイなんだケド」
橋口の言葉に麗子は腕を下ろした。
『よく見破ったな。だが、それがどうした。分かったところで、俺がやられたことにはならない』
全くその通りだが、デコイに霊弾を撃っていたらこっちが不利になった。先制して有意に立とうと思っていた麗子は、撃つとしたら最大出力で撃っていただろう。それを回避しただけでも良かったと言える。
「何その口の利き方! ムカつく! 三井、ムカつくんだケド!」
橋口は突然キレて鞭を振り回した。
何度も焚き火に当たり、あっという間に木片は粉々になっていく。
「ふぅ……」
気づくと、焚き火はすっかり消えしまって、赤い光を失ったフロアは薄暗くなっていた。
「かんな、どうしたのそんなにムキになって」
橋口は制服の袖で、汗を拭っている。
「ああいう言葉が嫌いなの。減らず口というか、負け惜しみというか、何というか、態度全般が許せないんだケド」
「そうだったんだ」
「とりあえず、このフロアには三井はいないから、上の階に行くんだケド」
そう言って、人差し指を上に向けて何度も動かした。
「そうみたいね。けど、上のフロアで、さっきみたいに火に隠れていたら、どうやって確かめよう」
「炎は触れないから確実に判断する方法がないってこと? 最後は私が鞭で確認するから片っ端からやっつければいいんだケド」
「片っ端から…… ね、それ、流石に無茶じゃない」
金田のときは、片っ端から草を薙いでうまく行ったが、今度はそう簡単にいくだろうか。草や木は霊力で動いていたから、霊力を吸収できた。さっきの焚き火には霊力はなかった。つまり鞭を振るう度に霊力は減る。麗子が霊弾を撃って、焚き火の炎を消しても同じことだ。最小の力だとしても霊力の消耗はある。こっちの力が尽きたところで反撃されたらどうするというのか。やっぱり、その作戦には無理がある。
「このビルが無限に高いならいざ知らず、あと数階しかないんだケド」
「それにしたって、燻り出すのに力を使い果たしたら本末転倒ってやつでしょ」
「……」
橋口は言葉を返さなかった。
無言のまま階段に向かって歩いていく。
麗子も後をついていくと、二人を背後から、赤い光が照らした。
麗子が振り返ると、焚き火が燃えていた格子状に組んだ金属の中に木片が入り、燃えていた。
前をいく橋口の腕を取って止める。
「かんな、待って、焚き火が復活した」
「……」
橋口は焚き火の方に体を向け、鞭を構えた。
パチン、と鋭い音と共に鞭が走る。
鞭の先端が踊るように跳ね、焚き火の木片に当たると、激しい振動で火の粉が飛び散った。
「やっぱり、いないんだケド」
砕けた火の粉は、床に落ちるまでに消えてしまう。
再び暗くなったフロア。階段の天井や壁が赤く照らされ、上の階にも焚き火が燃えていることを教えている。
「何だろう、嫌な予感が」
三井の側は、いつでもデコイを復活できるということか。おとりがたくさんあると、本物を見つけにくくなる。既に麗子が画策していた初動の一撃で戦闘を有利に進める計画は崩れてしまった。
橋口は上のフロアを指差す。
「そうね。いくしかないよね」
橋口が鞭を持ち直して、先に階段を上がっていく。
右手の人差し指を伸ばし、銃を撃つような格好をすると、周囲を警戒しながら麗子も追っていく。
五階が見えてくると、二人は熱に驚いた。
四階と同じ格子状の金属の箱が置いてあった。一つ一つ燃えている木片は小さかったが、設置してある数が多かった。フロアを覆い尽くすように広がっている。
「一体何箇所あるの」
「どこに本体がいるかわからないんだケド」
麗子は考える。それぞれの焚き火と焚き火の間が狭く、中に入ったら体ごと燃えてしまうだろう。燃えないにしても、危険な温度になるはずだ。
「火を消す方法を考えないと」
「さっきの方法を試してみるんだケド」
橋口は鞭を振り下ろす。
木片にヒットすると、砕けて火が消えた。
そのまま手元を素早く左右に振り回すと、鞭が蛇のように動き、その左右の焚き火も破壊し、火が消えた。
「どう? 霊力はあるの?」
橋口は首を横に振った。
さらに前後に鞭を振るうと、奥の焚き火を破壊した。
そしてその左右の二つも。
橋口は、次々と破壊していく。
麗子が橋口の顔を覗き込むように見るが、ずっと首を横に振るだけだった。
「大分消えたけど……」
このまま進んでいいのか。この焚き火を置いておくだけのことが、相手の攻撃手段なんだろうか。ここまでは、ただ炎の中に隠れて逃げているだけだ。
橋口が鞭の届かない更に奥の焚き火に鞭を振るうため、足を踏み出す。
「待って。だめよ。さっき四階で見たじゃない」
三井は焚き火を復活できるのだ。踏み込んでから焚き火を復活させられたら、焼け焦げてしまう。
「この格子をどかさないと」
「麗子、ダメっ!」
今度は橋口が麗子を引き留めた。
「まだ熱を持っているんだから、素手で触ったら火傷しちゃうんだケド」
「……迂闊だった。ごめん」
「こうやって足で蹴れば、平気なんだケド」
橋口は足を胸の高さまで振り上げて、金属の格子を蹴り出した。
「そんなに足上げたらパンツ見えちゃうよ」
橋口は振り返り、両手を広げ、笑った。
「ほら、こんなことしても、このビルの中じゃ、誰も見てないんだケド」
そう言って制服のスカートをたくしあげた。
「!」
「私のパンツ見て、麗子がそんなに驚くとは思わなかったんだケド」
「そうじゃなくて」
確かにいま近くに霊気を感じた。
この霊気。
いま、この近くに三井がいたのだ。いや、霊気を感じただけで、はっきりと姿は見えなかったから、推測になってしまうが、三井に違いない。
橋口の色仕掛けに反応したのだろうか。
麗子の表情を読み取って、橋口は頷いた。
「私だけだと恥ずかしいから、麗子もパンツ見せて欲しいんだケド」
橋口は、鞭を手元に戻しながらそう言った。
「えっ? なんでそういう発言になるの? どんな空気を読んだの?」
「麗子もこの格子を蹴り飛ばすんだケド」
焚き火の格子は、どれも同じぐらいの高さにある。橋口の胸の高さなら、麗子にとっては腰の高さよりちょっと高い程度だ。さっきみたいに完全にパンツが見えることはないだろうが、正面に回られたら見えてしまう。
「やらないとだめ?」
「あたり前なんだケド」
そう言うと、橋口は鞭の全体を手元に納めた。
橋口のこの言動は、もしかしたら、何か意図があるのかもしれない。まさか、イケメンでモテる雰囲気を醸し出している三井が、JKのパンツが大好きだったりするのだろうか。
もしこのまま足を上げて格子を蹴った瞬間、その先の焚き火に三井が現れたら…… まさにそうだった、ということだ。イケメン除霊士は『ド変態』という弱点を持っていることになる。
麗子は左足でバランスを取りながら、右足を徐々に上げていく。
焚き火が燃えていた格子状の金属にはまだ届かない。
橋口が鞭を扱きながら、巻き戻し終えた。
「……」
二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
「えい!」
そう言いながら右足を更に高く上げ、格子を蹴り落とした。
その瞬間、格子の中に火がつく。
蹴り落とした先にある焚き火に、うっすらと人の影が見えた。
「逃がさないんだケド!」
橋口が人影に向かって鞭を振り下ろす。
鞭の先端が、焚き火を破壊し消す前に、人影は消えていた。
「(やっぱり相手はド変態だよ)」
「(今回は、麗子が引き摺り出して、私が仕留めるんだケド)」
「(えっ、私がパンツ見せ続けるの?)」
橋口は表情一つ変えずに言う。
「(除霊のためならパンツ見せるぐらい耐えてほしいんだケド)」
橋口がまた鞭を準備すると、顎で狙う格子を指示した。
すでに橋口が炎を消している格子だ。
麗子が近づいて、また左足で立ち、右足を上げていく。
スカートの裾が右足に持ち上げられて、広がっていった。
「(いくよ?)」
橋口が頷く。
更に足を上げようとすると、突然、麗子の目の前の格子の中に木片が現れ、炎が上がった。
さっきよりも激しく、強い。
だが、もう足を蹴り出していて、止められない。麗子は足の動きを止めずに、蹴り切る判断をした。
「!」
炎の中に、視線を下に向けた三井の姿が現れた。
だが、もうどうにもならない。麗子は最後まで足を伸ばしきり、格子を蹴った。
格子状の金属は、ガラガラと音を立てて床に転がった。
炎は小さくなったが消えずにいる。
「?」
麗子は、何も反撃がなかったことに驚いていた。完全にこっちの不意をついて炎を燃え上がらせたのに、何もしてこないなんて…… 何のためにギリギリのタイミングで炎を差し込んできたのか。
橋口が、床に転がっている焚き火に向かって鞭を振るった。
大きな音とともに、火種を粉砕した。
「その炎の中で、床で横になった三井が、ニヤニヤ笑ってたんだケド」
そう言って、橋口は鞭を巻き戻している。
「ど、どういうこと?」
「普通の考えじゃないから、想像し難いことなんだけど。あいつ、麗子に蹴られて嬉しいと思ったとしか考えられないんだケド」
キモい。もし本当ならキモすぎる。だがそれなら、三井を誘き出すことができる。
さっきの鈴木や、金田と同じようにその瞬間に仕留めればいいのだ。
麗子は蹴り転がした金属の格子に近づいて、右足を掛けた。
そして右手の人差し指を伸ばして、霊弾を撃つ準備をする。
「三井! ほら、もう一度こいつを踏みつけてやるから出ておいで」
『そんな見え見えの罠にかかると思うか』
麗子も、橋口も、声が出てくる場所を探す為、周囲を見回す。
しかし、それ以上三井は喋らない。霊気も弱い。場所が特定できない。
麗子は更に格子を強く踏みつける。
ガン、と金属が床のコンクリートとぶつかり、擦れて音が出た。
「ほらっ! これくらい強い方がいいだろ?」
『だから、見え見えの罠に……』
今度は違う方向から聞こえてくる。焚き火を移動したのだ。二人はまた声の方向を探すが、見つからない。
「パンツを見上げながら、ふみつけられたいんだろ?」
「麗子、その発言は結構過激なんだケド」
麗子が金属の格子を踏みつける音が響く。
何度も、何度も、激しく、強く。
『くっ……』
麗子は声の方向を探さない。ただ踏みつけ続けた。足元に炎が点き、そこに三井が現れることをひたすら待っているのだ。
ガン、ガン、と踏んでいくうち、三井の声がしなくなった。
失敗したと思い、麗子は後悔した。しつこく繰り返しすぎた。完全に三井は冷めて、引いてしまったのだ。
悔しさに格子に載せていた足を、グリッと捻った。
「?」
格子に小さく炎が上がった。
『……踏んでくれ、踏み躙ってくれ』
キター。麗子は覆った。まさか、本当に罠に掛かるとは思っていなかった。炎の中に、三井のニヤけた顔が浮かび上がる。
「ほらっ、これで満足か!」
小さい炎とはいえ、距離が近いため相当に熱い。
『お願いだ、もっと、もっと強く踏んでください』
「くっ!」
麗子は踏みつける足を少しずらして、金属の格子を跨いだ。
制服のスカートが広がる。
三井側から見れば、麗子のパンツは丸見えのはずだ。
その時。
麗子はスカートの上から、真下にいるはずの三井を狙って霊弾を放った。
スカートの裾を貫通し、強力な霊力が三井を直撃する……
「?」
橋口が、麗子の腕を引っ張る。
「麗子! 避けるんだケド!」
麗子は自分のスカートの下から、霊光が上がってくるのがわかった。
とにかく避けないと。橋口の引っ張る方向に体を反らせ、下から上がってくる霊弾を避けた。
「……」
避けた。何とか直撃は避けた。
だが、上がってきた霊光は、この廃ビルの天井を破壊した。
「かんな、危ない!」
二人の頭上から、砕けて落ちてくるコンクリートの塊。
麗子は橋口を突き飛ばすように押し出すとともに、自らも飛び退いた。
しかし、少しだけ間に合わなかった。
床に倒れ、全身を打った。
次の瞬間、麗子の左足の上に、コンクリートの塊がガラガラと落ちてくる。
その塊と床の間に足が挟まってしまう。
「!」
激痛が麗子の頭蓋骨の中で、何度も何度も跳ね返って、強くなっているようだった。
あちこちで燃えていた焚き火が消えている。
薄暗いフロアに橋口の声が響いた。
「麗子! 麗子! ねぇ、麗子! 大丈夫なんだケド!?」
その橋口の声は、麗子の耳に入らない。いや、聞こえていたかもしれないが、応えられなかった。
麗子は足を押さえながら、苦痛に顔を歪め、苦しみ、もがくだけだった。




