時間跳躍に対する不安
帰りの電車では、アリスも橋口も寝てしまっていた。
麗子は思った。周りは仕事帰りのおじさん達ばかりで、私たちは紛れ込んだ異物のようだと。
最寄り駅からは麗子がアリスを背負って、橋口がまとめて鞄を持って歩いた。
永江除霊事務所に着くと、所長の机のところだけポツリと灯りが点いていて、所長は机に伏せて寝ている。
アリスをソファーに寝かせ、誰かの席に掛けてあった毛布を使った。
「所長。所長、起きるんだケド」
橋口が揺すって起こすと、三人はワームホールのある一室に移動した。
「お話しをしておくことがあります」
麗子は別れてからあった出来事と、有栖刑事から聞いた話を所長に伝えた。
「そう。やっぱりあの母親は幽霊だったのね」
「書いた住所のところではなく、アリスちゃんが寝泊まりしていた廃屋を探してください」
「父親が生きていると聞いて安心したわ。あまりに可哀想だもの」
所長に渡した金は、アリスの母が騙されていた宗教団体に渡すはずの金だったのだろうか。いや、もうそんなことはどうでもいい。そんなことより、もっと聞きたいことがある。麗子は言った。
「所長、この時代にいるはずの悪霊を除霊、昇天させてしまったとしたら、タイムパラドックスが起こるのでしょうか」
「……わからない。霊は物質ルールとは違うから、私たちの時間の流れには影響しないかも知れないし、霊の記憶は人にあるのだから、やっぱり影響するとも思えるし。私にはわからない」
永江所長の重く、暗い顔。
橋口が言う。
「えっ、それってどう言うことなんだケド」
「除霊でパラドックスが起こったとしたら、私たち元の世界に存在しないかもしれない。つまり……」
麗子の気持ちが、表情から橋口に伝わった。
橋口も暗い顔になり、俯いた。けれど、しばらくして顔を上げる。
「良いんだけど。今日救った人々や、これからのアリスちゃんが幸せに暮らせるなら。どのみち、私たち、ここには残れないし。未来に戻る時、時代が変わって、消えてなくなるなら、それはしかないんだケド」
日が変わる前にはこのワームホールに飛び込み、元の時代に向かわなければならない。
特異点は今日この日、この場所だけだ。
「かんな…… ありがとう」
「ごめん麗子、ただ、不安だから時間跳躍する間、抱きしめて欲しいんだケド」
「うん」
二人はお互いの体に手を回し、抱き合ったまま台に乗った。
永江所長が、天井の紐に手をかける。
「この穴は閉じるのかしら?」
麗子は言った。
「わかりません。けど、特異点である今日が過ぎれば、何もなかったように無くなっていると思いますよ」
「穴が勝手に閉じて、この蓋だけが下に落ちてるって訳ね」
「……おそらく」
所長は麗子と橋口の顔を確認する。
「これでしばらくはお別れね。あなた達の高校進学の時に誘えばいいのよね」
「私たちが消えていなければ……」
「会えると強く願っていれば、きっと会える。あなた達も、自分達が消えないことを強く願うのよ」
橋口の体が少し震えている。
麗子は少し体を引いて、橋口の表情を確認した。
「強く願うんだケド」
「うん。私も願う」
お互いの表情を確認すると、頷いた。
再び強く抱きしめると、所長の紐を握った手が一度上に上げられる。
「それじゃ、開けるわよ」
二人が頷くと、所長は勢いよく紐を下に引いて蓋を開けた。
天井にあいたワームホールが、麗子と橋口を吸い込んだ。
天井に落ちていく二人。
見届けると、所長は紐から手を離した。
蓋が吸い込まれるようにして持ち上がると、天井に張り付く。
「……」
永江所長はしばらくの間、蓋から下がる紐が揺れるのを眺めていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
永江は、背後に視線を感じて振り返る。
扉が静かに開く。
『お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ』
アリスはそう言った。
「なんだっけ、それ。聞いたことはあるけど忘れちゃった。ちょっと待ってね、お菓子があったはず……」
所長はアリスの横を抜けて、事務所にあるお菓子を探そうとした。
何か、嫌な予感がする。
「……」
立ち止まって振り返ると、しゃがみ込んで目線を合わせ、アリスの顔を見つめた。
「アリスちゃん?」
『お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ』
アリスのワンピースの裾が広がって、体も宙に浮き上がる。
永江は飛び退いて距離を取ると、姿勢を整えた。
「臨、兵、闘、者……」
発声しながら永江は指を組み替え、九字を切り始める。




