有栖の力
有栖刑事に取り憑いていた霊は消えた。
だが、有栖は立ち上がらない。
「水。水をかなり飲んじゃってるんだケド」
橋口は、有栖の体を横にして、口を無理やり開いて吐かせていた。
麗子は駐車場のアスファルトに倒れていた。
麗子自身もかなり水を飲んでしまっていた上に、水を操る悪霊の攻撃で体が痺れていた。
ただ、悪霊自体は消えており、受けた毒も無力化しているはずだった。
「ねぇ、麗子。ヤバイよ! 有栖刑事、呼吸も、心肺も停止してるんだケド」
言いながら、橋口は胸骨圧迫と、人工呼吸を繰り返し行なっている。
心肺蘇生法は、除霊士になる際にも必要で実習していたものだった。
「麗子、AED探して、なんだケド」
そうしたいが、麗子はまだ足に上手く力が入らない。
だが、震えながらも立ち上がった。
私たちは、この時代では携帯が使えない。自分達の力でなんとかするしかない。
「分かった」
TDLの施設方に赤いAEDのケースを見つけると、麗子は今出来る精一杯の速度で走り始めた。
しばらく走ると、後ろから橋口の声がした。
「麗子! 大丈夫! 意識が戻ったんだケド!」
麗子は止まろうとして、足がもつれて倒れてしまった。
「麗子? 麗子!?」
橋口は何度も叫ぶが、反応がなかった。
「有栖刑事、意識が戻ったところ悪いんだけど、麗子を助けに行かないと、なんだケド」
有栖は首を縦に動かした。
橋口が駆け寄った時、麗子は気を失っていた。
心肺に異常はなく、悪霊の攻撃を受け続けたこと、全力で霊弾を撃った反動、それらが複合した結果だと思われた。
橋口は麗子と有栖を順番に、上体を抱き、引きずりながらも駐車場の端に移動させる。
ようやく話せる状態まで回復した有栖は、今何が起こったのか、橋口に尋ねた。
「どこから話したらいいか、有栖刑事の覚えているあたりを教えて欲しいんだケド?」
「私は……」
有栖は話始めた。
宝仙院女子高を出て、警視庁に戻る途中、緊急の霊的事件が発生した。
悪徳降霊師の被害者が、コンビニで人質を取って立て篭もり、人質と交換に『有栖刑事』を要求してきたのだ。
そのまま現場に直行する。
人質の安全を最優先するため、犯人の要求をのんだ。有栖は犯人の指示通り、渡された紐で手を縛った状態で、人質と交換された。
「そもそもその紐に問題があったの。もっとしっかり確認するんだった。コンビニに入ると、私は抵抗する間もなく、悪霊に取り憑かれてしまった」
「そこから意識がないってことなら、おそらく、その直後、有栖刑事は二十年前の時代に時間跳躍したんだケド」
「……」
橋口は、子供のアリスが代わりに永江除霊事務所に時間跳躍してきたこと、アリスに悪戯された除霊士や事務所の秘書がこの時代に送り込まれたことを話した。
有栖は、急に上体を起こした。
「ちょっと待って。なんで子供の私がそんな『いたずら』するのよ。わざわざ逃げてきたのに?」
「そんなこと言われても私には分からないんだケド」
有栖はこめかみに指先を当てた。
そして記憶を手繰っていく。それは自分自身が経験したことに違いない。だから自分で覚えているはずだ。有栖は指先から自らの記憶にアクセスするかのように、深い心の奥底を探っていく。
八歳の自分。確かに少しだけ記憶が戻ってきた。
『悪戯』
そうだ。ハロウィンだ。
「記憶が少しあるわ。私は未来から戻ってくる何かから、逃げることが必要だった。逃げないと大変なことになるって思ってた」
「だとしたら、無意識の内に『タイムパラドックス』を避けようとしてた、ってことになるんだケド」
有栖は、橋口を見つめて言った。
「そう。そして、幼い自分には時間跳躍する為の『霊力』が足りないことも分かっていた。だから、何かから霊力を調達したんだ」
橋口は考えた。
八歳のアリスが時間跳躍の力を得たのが悪霊だとする。悪霊は過去のモノだ。それが未来にいるわけだから、未来の世界に離してはいけない。かと言って、アリスにそれらを除霊する知識がある訳ではないし、時間跳躍した後、除霊出来るだけの力も残っていないだろう。
「……だから除霊士にくっつけて送り返した。 ……って、かんなちゃん、ちゃんと聞いてた?」
「自分も同じこと考えてたんだケド」
「さすが子供とはいえ私ね。頭がいいわ」
そのせいで酷い目にあったんだケド。と橋口は思った。
「まあ、とにかくこれで解決ね」
「記憶が戻ったのなら、有栖刑事のお母様がどこに行ったのか聞きたいんだケド」
アスファルトに手をついて、足を伸ばしていた有栖刑事の表情が曇った。
「この時代、確か、私、八歳なのよね」
その口調から橋口は察した。
重い答え。けれど、それを引き出さなければならない。
「そう。八歳なんだケド」
「母はこの世に居ないわ」




