惨劇
廊下で腰を下ろしていた橋口は立ち上がり、廊下の反対側にいる人影を見つめた。
どこかで見たような顔だ、と橋口は思った。
橋口はゆっくり近づいて、廊下の奥で恐る恐るこっちの様子を見ている、その人物に話しかけた。
「もしかして、あなた、中島メアリーさん?」
「……」
言葉にはしないが、頷いた。
そこにいる中島は、眉以外のメイクは落としていたし、二十年歳が違うせいで別人のように見える。だが、持っている雰囲気が本人そのものだった。
「今、あなたのお部屋、取り込み中なんだケド」
「あなた、そもそも誰ですか?」
自分自身の名を言って大丈夫なのか考えた。そもそも今の中島さんは、麗子と橋口がバイトしていることを知らない。名前を言っても無駄なのだ。
「うーんと、永江除霊事務所の関係者なんだケド」
「関係者? 所長の知り合いとか?」
「そんな感じなんだケド」
コンビニの買い物袋を胸の前に引き寄せる。
不安に怯えているようだった。
「怪しい」
「そう思うなら、事務所に電話してみるんだケド」
「……」
中島は二つ折りの携帯を取り出すと、親指が機敏に動いた後、携帯を肩と耳で挟んだ。
そして袖をまくり、腕時計で時間を確認した。
「もしもし、あ、中島です。永江所長ですか?」
袖を元に戻すと、耳と肩で挟んで持っていた携帯を持ち直した。
「家の前に制服を着た高校生ぐらいの娘が来て所長の知り合いだと」
横目で橋口の方を見ながら通話を続ける。
「ええ、そうそう。そうです『ケド』とか語尾につける…… 本当ですか? 分かりました」
通話を切るとパッと畳んで素早くポーチに戻した。
「信用してくれますよね? 今、この世界のピンチなんで、ぜひ協力して欲しいんだケド」
「協力? 何すればいいの」
「部屋の中にいる人物と出会うとまずい事が起こるから、そう、もう一度そのコンビニに言って時間を潰して欲しいんだケド」
麗子から渡されたこの時代の紙幣を取り出し、小額紙幣を一枚渡した。
「……わかった。どれくらい?」
「余裕を見て一時間ぐらいが良いんだケド」
「じゃあ、部屋に入ってメイクだけさせて」
橋口は慌てて両手を広げ『通せんぼ』する。
「ちょっとちょっと、だから今、中島さんが部屋に入ったら世界が崩壊するんだケド」
「私も化粧しないで彷徨いていると近所の評判が崩壊するから、イヤ」
「そんなこと言われても…… 何だケド」
扉を開ければその瞬間に出会うかもしれない。橋口は思った。私が代わりに部屋に入ったとして、思っている通りの化粧品を取ってこれない可能性がある。それに、中に入ったら麗子と一緒に霊戦闘になる、簡単には部屋から出れないだろう。
この時代の中島は橋口が困る様子を見て、手を差し出す。
「じゃあ、こうしましょう。コンビニで化粧品を買ってメイクするから、もう少しお金を頂戴」
「どれくらい必要なんだケド」
そう言って取り出した財布を、中島がパッと取って中身を確認する。
「これでいいよ」
二番目に大きい額面の紙幣を指で挟んで取り出し、ヒラヒラと動かした。
「……」
橋口は悩んだ。一応、麗子の方に高額紙幣が一枚は残っている。おそらく都内の移動ならなんとかなるだろう。
橋口は渋々頷いた。
「じゃね、一時間だよね」
「よろしくお願いするんだケド」
中島は小さく手を振ってエレベータの方へ行ってしまった。
橋口はいなくなるのを確認してから、部屋の前に戻った。
扉を開いて、目の前に槍があっても困る。音を聞きながら、慎重にドアを開け、中の様子を見た。
「避けて!」
麗子の声が響いた。
「!」
橋口の鼻の先を、生き物のように伸びてきた槍の刃が通り過ぎる。
もう少し中に踏み込んでいたら、刃は頭を貫通していたろう。
槍の刃は、スルスルと元来た方に戻っていった。
「かんな、安心して、本人は家の中にはいないわ」
『ちょっと! 私の家に土足で入らないでよ!』
再び刃が伸びて襲ってくる。
橋口は丸めたままの鞭で、叩いてかわした。
そもそもこの鞭は呪文が書き込まれた革製で、簡単には電気を通さないはずだった。しかし、さっき廊下で戦った時に感電した。鞭の素材だけで足りないなら、鞭を持つ手に何か絶縁体を使えば、感電しないのではないか。橋口はそう考えた末、家に入ると、キッチンに向かった。
「あった」
橋口はそれを手につけ、鞭を握った。
そのまま鞭を振るうと、鞭はスルスルと部屋の中を走る。
橋口の視覚に、鞭の先端から見える映像がオーバーラップする。
見えた映像を元にして、橋口は鞭を動かすと、クネクネと廊下を曲がり『未来の中島』がいる部屋まで到達した。
『なんだ、懲りずにまた鞭を使ってくるのね』
「かんな、鞭は危険だわ、さっきと同じ電撃を喰らうわよ」
麗子は、中島のいる部屋の隣にいた。
部屋の境に飛び出ては、隙を見て霊弾を撃っていたのだ。
中島は金属の槍を伸ばして攻撃してくるのだが、攻撃が弱かった。どうも部屋を傷つけたくないという意識が働くようだった。麗子が部屋の壁や柱にピッタリとつくと、槍は伸びるのをやめる。
「私が囮になって仕掛けるから、あいつが電撃を出している間に、霊弾で仕留めるんだケド」
『作戦とやらが丸聞こえよ』
「聞こえても、電撃している時、あいつはどうしようも出来ないんだケド」
橋口は本気で口にした作戦をやる気だ。麗子は考えた。本当に橋口の言う通りだろうか。全力の霊弾を避けられたら終わりだ。完全に倒せるという確証が欲しい。
その時、鞭が槍に絡みつく音がした。
「ほら、麗子、槍を捕まえたんだケド!」
いや、考えてもしょうがない。
麗子は一か八か、掛けにでた。
指先に全力で霊力を集中する。
「中島さん、体で受け止めないと霊弾で部屋が傷つきますよ!」
そう言って部屋に飛び込み霊弾を撃った。
もし中島の意識が残っているなら、部屋を傷つけない為、この霊弾を避けないだろう。
『かかったね。私がこの体を抜ければ、中島本人が霊弾を受け止めることになるのよ!』
まさか悪霊がわざわざ乗っ取った体を捨てるとは。麗子は自分のしてしまったことを後悔した。
この大きさの霊弾を普通の人間が喰らったら、さっきの廃ビルの天井のように……
しかし、放ってしまった霊弾は止めようがない。
「避けて!」
麗子の叫びは届かない。
ビジネススーツを着た中島の胸に、全力の霊弾が当たり、中島の体が光り輝いていく。




